文章を書く基本 真理は裸であってはならぬ
実はこの(ナポリの)サン・ビアジオ通りというのは、ヴィーコ(1668年-1744年)というイタリアの哲学者が生まれ、
そこに住んでいた町なのです。最近、私はヴィーコの大きな意味に気がついて、彼の生涯や学説を少し勉強していたので、
サン・ビアジオ通りという名も知っていたのです。ヴィーコの大きな意味とは何かとおっしゃるのですか。
それは、彼がデカルト(1596-1650)の最初の最大の批判者である点にあります。どなたもデカルトのことはよくご存知でしょうが、
すべてを疑って、どうしても疑い得ないような絶対的な確実性を求めた哲学者です。
彼は、そういう確実性を持つ学問は数学だけだと考えました。さて、それからが問題なのです。
デカルトは絶対確実な真理は、誰でも真理として認められるものであるから、真理を表現するのには、
文章上の特別の工夫など不必要である、有害である、と考え、レトリック(修辞学)というものを排斥したのです。
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ヴィーコは「裸の真理」ということを言っています。数学の世界なら、真理は裸であったもかまわないが、
人間の世界では真理は裸であってはならぬ、と彼は申します。真理は、真理に相応しい衣服に身を包んで、
真理らしく見えなければいけない。真理を真理らしく見せる衣服が立派な文章であり、その方法を研究するのがレトリックである。
そうヴィーコは考えたのです。もちろん、虚偽が虚偽らしく見えるような衣服を身に着けていれば、何も問題はないでしょうが、
虚偽が、あの手この手と、いかにも真理らしく見える衣服に身を包んでいたら、裸の真理は簡単に虚偽に負けてしまうでしょう。
(「第十四話 文章という衣服」から)
『私の文章作法』(潮新書75 潮出版社)清水 幾太郎著