文章を書く基本 常識をもつ
・・・内輪で読まれている間は、意地の悪い専門家がいませんから、何を書いても、お互い判り合ったような気持ちになり、
それで無事に済んで行くんですが、雑誌が発展すると、そういう甘えがもう通用しなくなる、通用しなくなっても、まだ隙だらけ
の文章を書いていると、そのうちひどい目に遭うのです。
隙だらけの例ですか。そうですね、「人間性を尊重しよう」などという議論も、或る意味では、一つの例になるでしょう。実際、
近頃は、どこへ行っても、人間性の尊重が説かれていますが、「人間性とは何のことですか」と誰かが質問したら、何と答えたら
よいでしょうか。仮に「人間の性質のことです」と答えたとしますと、相手は、「ご承知の通り、人間には善い性質と悪い性質
がありますが、あなたは両方を尊重しようとなさるのですか」と聞くかも知れません。あるいは、「人間性には先天的部分と
後天的部分とがありますが、あなたが尊重しようとなさるのは、どちらですか」と聞くかも知れません。質問は次から次へ現れ
て来るでしょう。その場合、どうしたらよいのですか。
そうなんです。文章を書く場合は、自分の使った言葉の定義を求められたときのことを考えておかなければいけないという
戒めなのです。その言葉を自分で使いながら、定義が判らないとしたら、これは醜態と言うほかはありません。
先生なら、人間性をどう定義するか、と言うのですか。それは困ります。私も出来はしません。といっても、私がただ無智だから
というわけではなく、世の中には、もともと、スッキリした答えのある問題と、そういう答えのない問題とがあるのです。
数学や自然科学にでて来る問題の多くは前者で、人間生活に関する問題の多くは後者です。例えば、「人生とは何か」というような
問題は、いくら勉強しても、いくら考えても、みんなが気持ちよく承認するような答えは出て来ないのです。「人間性」も同じ
ようなものでしょう。
みなさんをガッカリさせてしまったようですが、しかし、ご承知の通り、こういうスッキリした答えのない問題は、遠い昔から
今日まで、実に沢山の人たちが考え続けて来たものなのです。彼らが与えた答えは、内容もまちまちで、それに、どれも、万人の
承認を得るには至りませんでしたが、みな思想的な悪戦苦闘の産物なのです。私たちは、一部分にしろ、悪戦苦闘の歴史を
知っていなければなりません。また、「人間性とは何のことですか」と質問される前に、それを自分なりにトコトンまで
考えていなければなりません。それを怠って、軽い気持ちで「人間性」を持ち出すというのは、日常の会話ならともかく、
活字の世界では少し甘すぎるでしょう。こういう問題の意味は、それをスッキリと答えることでなく、答えようと努力することに
あるのです。考えること自身にあるのです。そう気がつけば、古来、その問題を沢山の人たちが考えてきたことに関心が
湧いてきます。その人たちは、一体、どう考えていたのだろうか。それを調べることによって、私たちは、この問題に関する
常識を持つことが出来ます。どういう問題について書く場合でも、それに関する常識をあらかじめ貯えておかねばなりません。
スッキリした答えが出来なくても、それに関する人々の意見を知っていれば、言い換えますと、常識を持っていれば、
意地の悪い専門家が現れても、そう慌てる必要はないのです。恐らく、彼自身もスッキリした答えは持っていないでしょうから。
常識とは何か。これも、スッキリした答えのない問題の一つです。戦前、私は、常識とは五円札のようなものである、という
学説(?)を唱えたことがあります。私がフリーのジャーナリストとして、不特定多数を相手に、あの問題、この問題と、
雑誌や新聞の求めに応じて文章を書いていた頃の話です。今なら、さしずめ、一万円札のようなもの、と言うべきでしょうか。
大した学説ではないんです。友だちと一緒にどこかで夕食を食べた時など、一万円札一枚くらい持っていないと、飛んでもない
恥をかくものです。どなたも、ヒヤヒヤした記憶がおありでしょう。しかし、逆に、僕は一万円札を持っている、と誰かに向かって
言ったら、十中八九、馬鹿扱いされるでしょう。一万円札は持っていなければ恥をかくが、さればといって、持っているのを自慢そうに
見せれば恥をかく、そういうものです。
お判りだと思いますが、常識も同じことで、持っていないと恥をかくが、自慢そうに見せても恥をかくものです。文章を書く場合、
そこで触れる事柄について、平素から充分に勉強して、常識をシッカリ身に着けておく必要があります。そうすれば非常識だと言われる
危険がなくなります。その半面、常識は文章の背後に隠しておいて、それを並べ立てることは避けねばなりません。この点に気が
つかないと、常識的だという非難を受ける結果になります。
(「第九話 文章と常識」から)
『私の文章作法』(潮新書75 潮出版社)清水 幾太郎著