今月の言葉抄  2006年4月

デルフォイの神殿の言葉の意味

「アートマン」atmanというのは、語源的には「息」という意味です。ドイツ語のアートメンatmen(息を吸う)と源は同じです。 西洋でもプシュケー***とはやはり「息」です。そしてギリシャではグノーシ・サウトン***(自己自身を知れ)という教えが ありましたが、これは最初、デルフォイの神殿などでは、「身のほどを知れ」という意味だったそうですね。ところがソクラテス以降、 と言いますかプラトンあたりから、もっと深い意味になっていくわけです。そうすると「自己」を表すためにプシュケーという言葉を 使いました。それがインドではアートマンという言葉にあたります。アートマンは、インド思想一般としては、元の「息」という 連想を離れて、「自己」という意味になります。再帰代名詞として使われているわけです。つまり再帰代名詞が哲学の主題になっている。 ところが西洋哲学では、「プシュケー」は主題になったでしょうけれども、das Selbstあるいはles soil(ル・ソワ=仏語の再帰代名詞) などは哲学の主題にならなかった。やはりアプローチの仕方が違っていたのではないかと、私は思います。

(「自己について」から)
『人生を考える』(青土社)中村 元著

デルフォイの神殿に掲げられていた言葉は「汝自身を知れ」と言う意味で、これが哲学の始まりと覚えていました。 2500年たった今も人間はこの知識を少しも深めることができず、蓄積することもできず、体得することもできず、自分に無知のままでいます。自分のことなのに人間にとって修得するが一番難しい課題です。
「身のほどを知れ」と、アポロンの神が人間に忠告しているのであれば、人間は共に生きる生物との関係、自然のなかでの立場、宇宙の中での存在に思いをいたし、思いのままに自然を搾取し破壊することなく、共存のなかで分相応の生き方をせよといっているのでしょう。意味がまったく違ってくるようです。(管理人)

更新2006年4月1日