宇沢弘文が語る 李登輝
2000年5月、李登輝さんのご招待で私は妻と台湾を訪れた。一週間ほどの滞在だったが、数多くの出会いがあり、また李登輝さん自身の生きざまと志を直接お聞きすることができた。
1970年、ニューヨークで、後の台湾総統、蒋経国が独立運動の志士に狙撃され重症を負った。台湾の人々が自分たちをこれほどまでに憎んでいることに衝撃を受けた蒋経国は、台湾大学教授定年直前の李登輝さんを呼び、副総統となり、自分の後継者になってほしいと依頼した。李さんは宣教師として少数民族のために余生をおくりたいと、その要請を断られた。その言葉に蒋経国が感動して、三たび副総統の就任を要請し、李さんもとうとう断りきれず、受諾されたという。
李登輝さんはまた、総統になられたとき、二つのことを誓って、任期中に実行に移された。第一に憲法を改正して、民主主義的なルールによって国家権力の継承が可能になるようにすること、第二に国民党支配下にあった軍隊を政府の支配下に置くことであった。
李登輝さんは、新しい総統が、民主主義的ルールにしたがって、国民の選択にもとづいて総統として選ばれるようにすると同時に、アメリカに亡命していたかっての独立運動の指導者たちが合法的に帰国できるようにした。民主主義的なルールにしたがって国家権力を継承する中国五千年の歴史で最初の偉業は、この李登輝さんの深慮、遠謀によってはじめて実現したのである。
『私の収穫』李登輝 7 朝日新聞 2010年5月27日夕刊より