今月の言葉抄 2010年6月

宇沢弘文が語る アスワンハイダム

アメリカの大学にいた頃、思想的にも学問的にもつよい親近感をもった学生の一人にE君がいた。故国エジプトに帰ったE君から突然、相談したいことがあるからカイロへ来てほしいと連絡があった。1960年代の終わり頃のことである。それはアスワンハイダムの建設にかかわることだった。
アスワンハイダムの建設は当時のエジプトの独裁者ナセル大統領の政治的威信をかけた大事業であった。ところが工事が進行するにつれて、ダムが大変な環境破壊をもたらし、エジプトの自然、歴史、経済に壊滅的といってよい打撃を与えることがわかった。
そこでダイナマイトを使って、ダムを撤去することを考えて、私が彼の上司を説得することになった。しかしアスワンハイダムはあまりにも巨大で、頑丈にできていて、どんな方法を使っても完全に撤去することができない。逆にナイル川の水路を危険なものとすることがわかって断念せざるをえなかった。このことが発覚して、E君の上司であった大臣は亡命を余儀なくされた。それからしばらくしてE君自身もエジプトを出て消息を絶ってしまった。
そのE君から突然連絡があった。日本に来ているというのである。彼が成田空港から出発するわずかな時間を利用して会うことができた。今はもうすべて許されて、自由にカイロに帰ることができる。しかし五千年に亘(わた)って聖なる河として崇(あが)められてきたナイルは、汚いドブ川になってしまった。

『私の収穫』アスワンハイダム 8 (完)朝日新聞 2010年5月28日夕刊より

更新2010年6月5日