宇沢弘文が語る 後藤田正晴
1990年11月、ヨハネ・パウロ二世のお手伝いを終えて、自宅に帰りついたその日、成田の空港反対同盟の三人から一通の長い手紙が届けられていた。反対同盟の若い人々が直面しているさまざまな問題、困難にふれ、成田問題に対して、社会正義に適(かな)った解決を見いだすために私に協力してほしいという内容であった。
その数日後、後藤田正晴さんからも同じような要請を受けた。そのときの後藤田さんの言葉は強烈だった。
「自民党の中に『成田の問題は国家の威信にかかわる重要な問題だ。軍隊を投入して一気に解決すべきだ』という声が高まりつつあって、もうそれを防ぐことができない危機的状況だ」「運輸省から言われて、立場上これまで警察を成田に投入してきた。その結果数多くの農民を傷つけ、地域の崩壊をもたらしてしまった。警察の威信はまさに地に堕(お)ちた。今後、成田空港問題の社会正義に適った解決の道を求めて真剣な努力をしないまま、運輸省がやれといってきたら今度は運輸省をやる」
この後藤田さんの強烈な言葉に圧倒されて、私は成田に入って成田空港問題の社会正義に適った解決の途(みち)を探るという困難な営為に、全力を尽くさざるをえなくなってしまった。それから十年近くの間、研究的営為はもちろん、家庭の生活も滅茶苦茶(めちゃくちゃ)になってしまったが、反対同盟の若い人たちの高い志を知り、魅力的な生きざまに触れることができたのは、私の人生にとって最高の収穫であった。
『私の収穫』後藤田正晴 宇沢弘文 6 朝日新聞 2010年5月21日夕刊より