宇沢弘文が語る ヨハネ・パウロ二世
1990年8月、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から一通のお手紙をいただいた。1991年が、有名な回勅『レーノム・ノヴァルム』が出されて百周年に当たるので、『新しいレーノム・ノヴァルム』を出すことになった。その作成を手伝ってほしいというお手紙だった。
1891年5月、法王レオ十三世が出された回勅『レーノム・ノヴァルム』は、ローマ教会の重要な歴史的文書である。レオ十三世は『レーノム・ノヴァルム』の中で、当時の状況を「資本主義の弊害と社会主義の幻想」という印象的な言葉で表現された。
ヨハネ・パウロ二世からのお手紙に対して私は躊躇(ちゅうちょ)することなく「社会主義の弊害と資本主義の幻想」こそ『新しいレーノム・ノヴァルム』の主題にふさわしいというお返事をさし上げた。
ヨハネ・パウロ二世はもともとアメリカが広島と長崎に原子爆弾を落としたのは、人類が犯した最大の罪であるときびしく非難されていた。ローマ法王になられてすぐ、広島、長崎へ行かれたし、小石川の後楽園で盛大な野外ミサを司式された。そのとき流暢(りゅうちょう)な日本語で言われた。「平和は人類にとっていちばん大切な共通の財産である。とくに日本の平和憲法は、全世界にとって共通の財産である。社会的共通資本という言葉こそ使われなかったけれども、それを守ることの意味を強く強調された。ヨハネ・パウロ二世のお手伝いをしたのは、私の人生でもっとも厳粛な、感動的なときであった。
『私の収穫』ヨハネ・パウロ二世 宇沢弘文 5 朝日新聞 2010年5月20日夕刊より