今月の言葉抄 2010年5月

宇沢弘文が語る ヴェブレン

1956年8月私はケネス・アロー教授に招(よ)ばれスタンフォード大学に行くことになった。スタンフォードでは私たちはキャンパスのはずれにある一見山小屋風の家に住んでいた。家主はアン・シムズさんといって40歳前後の物静かな落ちついた品のよい女性だった。私たちのために何かと気を遣って、住みやすいようにいろいろ配慮して下さった。アーサーという10歳ぐらいのかわいい男の子がいた。
ある日アンさんと雑談していた。私が経済学の研究をしているといったところ「私の父も経済学者だった。名前はソースティン・ヴェブレン」。
ヴェブレンは、アメリカの生んだ最も傑出した経済学者の一人で、また深遠な思想家、そして鋭い文明批評家でもあった。私自身早くからヴェブレンの経済学に傾倒していて、社会的共通資本を中心とした制度主義の概念をよりどころにして考えを進めてきたが、それはヴェブレンの経済学を私なりの言葉で表現したものに他ならない。
アンさんはヴェブレンの晩年の思想的影響をつよく受けて、世界の平和を求めて大きな運動を展開していた。大学のすぐそばにある、アンさんがよく集会に使っていたケプラーという本屋には、一人の魅力的な女性がしょっちゅうやって来て、ギターを弾きながら歌っていた。それから何年かして、ヴェトナム反戦のリーダーとなったジョーン・バエズである。当時、スタンフォードのある町のパロアルトハイスクールのシニアだった。

『私の収穫』ヴェブレン 宇沢弘文 1 朝日新聞 2010年5月6日夕刊より

更新2010年5月7日