タルムードとは
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ユダヤ人は、およそ四千年以上の歴史を有する民族である。紀元前ニ千年頃メソポタミア(今のイラク)辺りから
イスラエルの地に移住してきた遊牧民の一人、アブラハムを祖として始まったユダヤ民族は、紀元前一千年前後、ダビデ王の
時代に黄金時代を迎えた。しかし、十二部族より成るその王国は南北にユダ王国とイスラエル王国に分裂し、イスラエルは
紀元前722年に滅亡、イスラエル十部族は歴史より消滅した。残ったユダ王国も紀元前586年にバビロニアに征服されて、人々は
バビロンに捕らわれる運命をたどった。それまでは、エルサレムを都とし、そこに立つ神殿を中心に唯一の神を礼拝していた。
その時代をユダヤ民族史では、第一神殿時代という。
バビロン捕囚になった人々は、祖国の回復を祈り、民族の拠り所として、「聖書」の編集を始めた。会堂(シナゴーク)
を中心とした宗教礼拝をもち、新たに民族宗教が形成されていった。やがて紀元前538年、バビロンを征服したペルシャ帝国
によって、ユダヤ民族は祖国帰還を許され、再びイスラエルの地に戻り、エルサレムに神殿を再建する。
以後、ローマによって国を滅ぼされる紀元70年までの時代は、第二神殿時代と呼ばれる。この時代に、ユダヤ教が成立
したとされる。現在のように聖書がほぼ聖典化され、安息日や祭り、慣習法規が整えられ、聖書学者が登場し、口伝の言い伝え
が研究された。第二神殿時代は、ユダヤ民族史の中でもユダヤ教が栄えた時期である。一部キリスト教神学者が信仰の衰退期の
ように言う説があるが、誤りというべきであろう。
ここで聖書とは「旧約聖書」のことである。(旧約とはキリスト教の概念で、ユダヤ人はもちろんそう呼ばない。旧約という
よりも「ヘブライ語聖書」というのが適訳であろう)。ヘブライ語聖書は、大まかに「モーセ五書」「預言書」「諸書」より成る。
中でも、最も重要なのが聖書の最初の五巻、創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記で、伝統的にモーセの作とされて、
モーセ五書と呼ばれる。ただし、ユダヤ人による一般的な呼び名はトーラーという。
古代のギリシャ語訳聖書「セプトゥアギンタ」がトーラーを「ノモス」、つまり「律法」と翻訳したため、この用語が
定着し、新約聖書の中でも「律法」という訳語で登場している(マタイ5:17)。モーセ五書は法や戒律ばかりではないので、これは
誤解を招きやすい名称である。
「トーラー」は、ヘブライ語では「教え」を意味する。ユダヤ教において最も重要な概念が、この「トーラー」である。
聖書の他の巻はトーラーを注解するものだと見なされて、トーラーが聖書全体を意味する場合がある。トーラーは、神の言葉
であり、それを学ぶことはユダヤ人の宗教生活の中で礼拝に匹敵する位置をもつようになる。第二神殿時代、イスラエルの村々町々
に子供たちに聖書を教える学校があったという。世界最初の義務教育は、ユダヤ人から始じまったのである。学ぶ者がいれば、
教える人もいるわけである。ユダヤ教においては、「教師」は大変重要な位置にあった。
ユダヤ民族史において捕囚期とそれ以後、トーラーをユダヤ人共同体の規範とし、あらゆる生活を営まれるようになり、いかにその教えを現実の社会生活に適用するかが(つい最近にいたるまで)重要問題であった。
そのために共同体において、聖書を「注解」する教師が必要とされた。伝統・慣習・言い伝えを教える人々でもあった。彼らを「賢者(ハハム、複数でハハミーム)」と呼んだ。のちに「ラビ」と呼ばれた人々である。(イエス・キリストもラビと呼ばれている。)
ユダヤ教を理解するのに大事な点は、文字に書かれた「トーラー(聖書)」のほかに、文字に書かれない「(口伝の)トーラー」が、つまり「口伝の律法」があるということだ。律法というけれども、何も法律的なもの、規範的なものばかりではない。説教や伝承、物語なども含んでいる。それらの口伝が聖典なみに重んじられるところに、ユダヤ教の特徴がある。だから、文章になっていない口伝律法を記憶に頼って子々孫々に伝えていくのは、ユダヤ賢者の大事な役目であった。伝統が途絶えないために、弟子の養成も重要な使命であった。
賢者の最初の世代の人たちをソフェリームと言った。新約聖書にも「律法学者」という名で登場している。紀元前五世紀から紀元一世紀頃までの時代に活躍した。
次の世代は、紀元一世紀から紀元二世紀までの賢者たちでタナイームと呼ばれたが、ユダヤ賢者の中でも有名なj日ヒレル、シャマイという大学者の時代から、ラビ・ユダ・ハナスィの時代までの学者をいう。彼らは、口伝律法を研究し発展させ、ラビ・ユダが最後に膨大な口伝律法を整理し、編集した。なお、文章化するにあたっては大分抵抗があったようだ。
文章化されても「口伝」というのはおかしいが、伝統だから仕方がない。ラビ・ユダによってまとめられた「口伝律法」はミシュナーと呼ばれる。
タナイームの時代は、ユダヤ民族が最も悲劇的な運命を味わった時代の一つである。紀元七十年にエルサレム神殿をローマ軍に征服され、国が滅んだのである。それ以降、一九四八年、イスラエル国が再建されるまで、国を持たない流浪の民族となる。エルサレムが滅んだ後、賢者たちはローマ軍に願い出て、ヤブネ(海岸平野の町)にユダヤ教の学院をつくる許可を得た。ヤブネから、優れたラビたちが生まれ、やがてミシュナーが成立したのである。(すべてのユダヤ人が、世界中に離散したわけではなく、エルサレム以外のイスラエルの地に少なからず居住していた)。
賢者たちが律法を教える学院のことをイェシバーあるいはベイト・ミドラッシュと称した。(本書では教学院と訳した)この教学院は各地に栄えていくが、単に教室であるばかりか、律法の重大問題を賢者同士が論じ、法規の決定がなされていく高等アカデミー、学士院、最高法廷のような機関の役目も果たした。
ミシュナーが出来たのちも、賢者たちはそれを元に口伝律法の研究と発展に尽くし、ミシュナーの内容をさらに注釈・議論していた。時代時代にそれぞれ問題はあるものである。その注解も、また膨大なものになってゆき、整理されて文章化された。それをゲマラという。ゲマラは、ミシュナーの注解であって、当時の日常語、アラム語で書かれている。ゲマラを生み出したタナイーム以降の賢者をアモライームと呼ぶ。
さて、ミシュナーとその注解ゲマラを合わせたものがタルムードである。だから、タルムードはいわば二種類の本が同じページに合本されているようなものだ。ミシュナーはヘブライ語、ゲマラはアラム語、出来た年代も二、三百年の違いがある。作者も違う。しかし、テーマは口伝の律法である。タルムードとは、ヘブライ語で「学習」という意味である。タルムードはそれ以降のユダヤ人の学習の根幹となる。タルムードを学んだものは、「トーラー(教え)」に精通したものであり、ラビと呼ばれる資格を得た。
タルムードには、実は二つの版がある。ゲマラが編集されたのが、パレスティナとバビロニアの異なる二つの場所であったからである。バビロニア・タルムードは紀元六世紀に成立している。
ユダヤ賢者の広範な活躍は、タルムードばかりではなく、様々な文献を残している。それらを総称してラビ文学と呼ばれている。文学という用語を使っていても、トルストイや夏目漱石などの文学とは全く違うので注意を要する。タルムード以外のラビ文学で、重要なものにミドラッシュという文学様式がある。これは聖書本文の注解であるが、聖書のテキストを文字通りに読む仕方から、さらに隠れた意味を汲もうと「探った(ダラッシュ)」ことから始まる。この起源は大分古く遡(さかのぼ)るといわれる。注解をするのに、もちろん勝手な解釈が許されるわけではなかった。解釈学の法則をラビたちが挙げている。なお、トーラーについてのミドラッシュが有名である。ミドラッシュは広義に賢者たちの「ラビ文学」の中の注解そのものを言う場合がある。日本人には、一神教の世界は一定の思想と戒律でがんじがらめになっているような誤解がある。ところが、「トーラーには七十の顔がある」という賢者の言葉が象徴するように、ユダヤ教はミドラッシュという手法を通して、トーラーから常に新しい洞察とあらゆる問いへの答えが発見される、フレキシブルな世界なのである。
『タルムードの世界』モリス・アドラー著 河合一充訳 ミルトス 1991年7月 「訳者まえがき」より