万葉集から、辞世の歌を集めてみた。有馬皇子と大津皇子は、謀反の廉で処刑される時に詠んだもの。柿本人麻呂は旅先で病死した。
死に臨んで、いずれも特別な感慨もなく、淡々と詠んでいる。日本人であれば、一首作っておきたいものだ。
辞世の歌ではないけれど、菅原道真が大宰府に左遷されたとき詠んだとされる歌は、いいなあ、と思うようになりました。
東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
このような歌が残せれば、いいのですが・・・。
有間皇子自ら傷みて松が枝を結ぶ歌ニ首
2-141
岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば またかへり見む
2-142
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
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2-141
岩代―和歌山県日高郡南部(みなべ)町西岩代および東岩代の地。この地は熊野街道の要衝に当たり、旅人が行路の平安を祈る場所であったらしい。
引き結び―古代人は紐のみならず木の枝や草の茎葉などを結ぶことによって何ものかと盟約し、何らかの願わしい事態が実現することを期待し予祝した。
2-142
笥に盛る飯を―ケはすべて物を入れる容器をいう。
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柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて死に臨む時に、自傷みて作る歌一首
2-223
鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ
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2-223
石見―国名。島根県の西部。
鴨山―所在不詳。島根県邑智郡湯抱温泉の西北にある鴨山(260m)に擬する説が有力。 |
大津皇子、死を被りし時に 磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首
3-416
百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
右、藤原宮の朱鳥元年の冬十月
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3-416
磐余―奈良県桜井市南西部から橿原市香具山の東北麓にかけての一帯。この地に神功皇后の磐余稚桜宮をはじめとして都が営まれたことがある。「磐余の道」というのは、飛鳥からこの磐余に至る道の称。磐余の池は香具山の東北にあった池。
百伝ふ―地名磐余のイの枕詞。
鳴く鴨―鴨は秋飛来し春北帰する。処刑された十月三日は太陽暦の十月二十八日に当たる。
雲隠ル―死ヌの敬避表現で、自らの死には用いない。 |
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