いい歌が少ない
巻第十には、採りたい歌が一首もなかった。万葉集全体から見ると、まだ半分読んだだけであるが、この先どうであろうか。
巻第三の頃から気になっていたが、巻第七で旋頭歌の引用でお茶を濁してからは、採りたい歌がだんだん少なくなってきた。この巻において遂に一首もいいと思う歌にめぐり合わなかった。人によって解釈や鑑賞力はまちまちであるが、万葉集にはいい歌は意外に少ないのである。
万葉集は大伴家持(718-784)が最終的に編者としてまとめたというのが定説になっているが、その家持の歌はここまでに沢山読んできたのであるが、いい歌はなかった。未だ一首も採っていない。家持の生きた時代は、丁度平城京(710-784)の時代と重なっている。すでにこの時代には、歌の定型化が出来てしまっていたのである。
歌の定型化とは、相聞はこう詠わなければならない、春の歌はあるいは秋の歌はこう詠わなければならないという、詠ずるときの前提がすでにあるということです。題材も相聞から始まって、花・鳥・風・月・山・川・等々暗黙のうちに決まってきているようです。それはすでに積みあがって伝統となってしまった詠い方があり、それらが一種の範例のようになっていたのではないか。歌人の精神の自由な発露は感じられず、歌が一種の儀礼になった感じがする。これは平城京という時代の安定とも関係がありそうです。
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巻第十終了。0首採集―全539首。