この行程は、四国随一の難所と聞いていたので、かなりナーバスになっていた。順打ちの難所なら、 逆打ちは下りになる訳だからそれほどでもないかもしれないとも思って、宿のおかみに聞いてみたが、 そうですやろか、とあんに逆打ちのほうがもっときついだろうと言わんばかりの返事があった。 同宿の遍路さんが昨日越えてきたので聞いてみたが、もともと登山をする人で、ここまで来たのなら大丈夫でしょうとこともなげに言う。 とにかく行ってみないことには分からない、と開き直って宿を出た。
ゆるやかな登りが続く。朝の日差しが山々や農家の軒先に映える。
干し柿に 陽のあたりたる 山家かな
玉ヶ峠と思われる処に来るが、峠の表示はどこにもない。ここから道が下りになっているので間違いと思い、いったん引き返す。 あちこち標識を探ivしていると、昨日どこに泊まったのか、ひょいと若い男女の遍路さんが現れたのでほっとした。 少し下ってから、いきなり林の中の狭い遍路道に入るようになっている。ここから下りきって大きなバス通りに出、 また登りが始まるのだっだ。
焼山寺は標高700mある。昔は文字通り深山幽谷の地だったらしい。江戸期の遍路書の記述の紹介あり、「向こうの山に寺楼見えたり。 これこそ焼山寺とて嬉しく思えば、寺との間に深谷在り。道はその谷の底に見えたり」(澄禅)(『四国は八十八ヵ所を歩く』 竹内鉄二著)。
下りはいきなり石がゴロゴロ転がっている急峻な山道が2km位続く。ここが遍路ころがしと言われているところだ。 確かに登れば胸突き八丁、大変な坂道だ。そのあとは比較的なだらかなくだりが続く。 途中、大阪から来た30代の遍路さんに会い、写真を撮りあう。工場閉鎖で退職し、失業保険がでるまで四国巡礼に出たのだそうだ。 自分は全然歩きにこだわっていません、車にも乗せてもらうし、嫌になれば途中から帰ります、3日間で遍路に会ったのは私が初めてだ、 とも言っていた。午後3時頃長門庵を過ぎた処で、白衣も新しい若い遍路さんとすれ違った。これからきつい登りが始まるし、 今日はどこに泊まるのだろうか、野宿しかないだろうと思われるのだが。