午前中続けて井戸寺、観音寺、国分寺、常楽寺、大日寺と打つ。国分寺は曹洞宗の寺だ。88ヶ所中真言宗以外に曹洞宗1、臨済宗2、 時宗1の寺があるそうだ。どういういきさつでそうなったのか、国分寺は江戸時代半ばまで無住寺で、藩命で在住になったそうだ。 江戸期に改宗がありましたから、と納経所のお坊さん。国分寺は今は小さな寺だが、奈良朝の創建当時は広大な敷地に大きな 伽藍が軒を連ねていたらしい。現在一部発掘中で、史跡になっていた。
大日寺の横の「寂光庵」で昼食にする。おかみさんが大日寺の長女で、作務衣姿でコーヒーを出してくれたのが修行中の息子らしく、 寺の一家でやっているようだ。これから行く建治寺の話になり、今は大日寺の別院ではないとのこと、いつから管理しなくなったのか おじいさんに聞いたが分からないらしい。檀家もいないから信仰寺です、と言っていた。
その建治寺への遍路道に入ると、すぐ88ヶ所の本尊と大師の石像が路傍に、点々とあった。 雨風にさらされて置かれているのがとてもよい。丁石の代わりではなく間隔はまばらで、一対のもあれば2〜3対のもあり、 写真のように6対並んでいるのもある。本尊だけのもあったり、大師だけのもある。これがずっと建治寺まで続いていた。 途中滝の行場を通って、しばらく歩いて本堂に着く。境内は広くはなかったが、貧しい寺かと思っていたが、宿坊まであるのには 驚いた、2〜3人しか泊まれないのですがといっていたが。各地から寄せられた寄付の石碑も沢山並んでいる。 寺の維持費も日々の生活費も必要であろうに、檀家を持たずに当てにならない寄付だけでやってゆくのは大変だろうと思う。
若い女性が、納経帳に書いてくれた。この女性はまだ18歳で、遍路遍路をしていてここが気に入り、 親の許しを得て寺の手伝いをしている、とあとで近所の農家のおばさんに聞いた。なかの休憩所で若い女性3人が、 しきりに僧と話していたので、入るのを遠慮した。