ある遍路日記  第35日目

2002年12月25日(水)  
曇り 夕方一時雨

今日はゆっくり行こうと思った。先へ急いでも宿はなく、いずれにしても徳島市内に泊まるしかないのだ。

木立に囲まれた鶴林寺の境内
木立に囲まれた
鶴林寺の境内

朝もう一度鶴林寺を打つ。遍路道を登り、宿から約50分で着いた。直線的に登る為、車道より大分距離が短い。難所と言われているが、 荷を宿に預けているせいか、比較的楽に登れ足も軽かった。

立江寺を打ち、恩山寺の近くの山中に、弦巻坂というのがあった。この向こうに弦張坂もあるという。 現地の紹介では義経ロードとなっている。説明にあり、「このあたりは弦巻坂と呼ばれ、その先の弦張坂とともに義経ゆかりの道。 (敵兵がいないことを察知して)彼が兵の弓の弦の巻きを命じたことに由来する。義経は、屋島の合戦に向かう際、 この小松島から上陸、夜も馬を走らせて翌日には高松に到着している」(「四国八十八ヶ所を歩く」竹内鉄二著・山と渓谷社) 四国に何で義経がと思ったが、屋島の合戦があったのだ。私は何と日本の歴史に疎いのかと思う。あるいは私の年代に共通した傾向か。

古い遍路道標 十九番立江寺の文字と指差しで方向を示す
古い遍路道標
十九番立江寺の文字と
指差しで方向を示す

恩山寺を打ち、境内でのんびりしていると、菅笠をかぶった遍路さんに会い、少し立ち話をする。 私と同年代だ。昨年すでに一度回り、今回は別院等も回っている由。これからの私の行程を見てもらったり、 高野山の話など聞いたりして別れた。今回は暇が出来たので、正月を通して回るのだと言う。穏やかな人だと思った。

夕方暗くなってから、徳島市内を通り抜ける。出来るだけ次の札所の近くまで行こうと思い、街中をずっと歩き続ける。 途中薬局に立ち寄り、テーピング用のテープを買う。店の人とこれからの道順や遍路の話をする。言葉使いの優しい土地柄だ。 夕食にうまいうどん屋さんを探したがなかなか見つからない。結局道沿いにあった店で牛丼の大盛を食べ、 持ち帰りで鮭弁当を買って、宿に入る。宿の夕食は3杯おかわりし、おかずもみながんばって食べているうちに、大食漢になったようだ。

遍路に出てから、一度も新聞を読んでいない。食堂などに新聞が置いてあっても、不思議と見る気がしない。 部屋ではテレビをつけっぱなしにして、翌日の天気予報ばかり何度も見ている。世間のニュースがどうなっているかの全然気にならなくなった。 明日はどこまで歩くか、何キロになるか、行程は大丈夫か、天気はどうか、特に雨は降るか降らないか確認し、そして寝てしまう。

本日の行程

民宿金子屋
07:00
7.4km(往復)

20番鶴林寺(かくりんじ)
08:30
10.3km

19番立江寺(たつえじ)
12:30
3.8km

18番恩山寺(おんざんじ)
14:00
13.7km

BH蔵宿
19:00

距離 36.2km
所要時間 11:30