ある遍路日記  第33日目

2002年12月23日(月)  
曇り 一時雨

今日も長丁場なので、朝食なしでおにぎりをつくってもらい、早朝6時に宿を出る。まだ真っ暗だ。この辺りは 24番最御崎時と23番薬王寺の中間点になる。どちらへもおおよそ40kmの地点だ。宿のおかみさんの話、宍喰町 (ししくいちょう))の宿から室戸岬まで40kmで、次の札所の薬王寺までは40kmないと言う。近年国道にトンネルが沢山出来て 距離が短くなった。徳島まで100kmあったのが今は89kmしかないと言う。これは正確なアドバイスであった。 距離の記録は遍路地図のもので、遍路道はほぼ国道沿いになっている。実際に歩いた距離は、35〜36kmくらいかもしれない。 確かにトンネルが沢山あった。車を真っ直ぐ走らせるため、曲がりくねった旧道を捨て、次々とトンネルを掘ったのだ。 どれも最近のものである。

身代わり地蔵
身代わり地蔵

道端の縁石に腰掛けておにぎりの昼食をとっていると、身代わり地蔵というのがあったので面白く思い、写真に撮る。 交通事故の犠牲者を出さない為、地蔵さんにお願いしてその身代わりになってもらう意味で建てたものであろう。 お地蔵さんは仏教の世界ではどの位置にあるのだろう。そもそもの源は何だろう。

牟岐(むぎ)を過ぎてからは、腰掛けて休めるところがなく、商店も喫茶店もない。 たまのレストランも休業中で、海も見えない単調な道を歩く。足の調子はとてもよい。今まで一番順調なペースだ。 やっと慣れてきたという事だろうか。もっとも国道を歩いているので、道を間違う心配はないのだが。

日和佐(ひわさ)の町が、いきなり目の前に飛び込んできたように現れる。 ここは海亀が卵を産みに来るところで知られている。薬王寺の竜宮城のような塔が目に入る。とりあえず寺の前に喫茶店を見つけて 一息つく。腰掛けてしまうと、ぐったした感じでかなかな立つ気になれない。しばらく休んでから薬王寺を打つ。

空海と同時代の 薬王寺境内の古木
空海と同時代の
薬王寺境内の古木

薬王寺の境内は、吉川英次の鳴門秘帳の舞台になったらしく、案内板があちこちにあった。本物の歴史より、分かり易いのだろう。

ユースホステル日和佐は民家を改造した造りで、ペアラントの老夫婦は食事を作るのがおっくうそうだったので、素泊まりにした。 野宿を続けている若者達の泊まりが多いそうで、何日も風呂に入っていないような人達がよく泊まりに来るそうだ。

本日の行程

民宿えびす
06:00
42.6km

23番薬王寺(やくおうじ)
15:00
0.5km

YH日和佐
16:00

距離 43.1km
所要時間 10:00