ある遍路日記  第31日目

2002年12月21日(土)  
雨 風強し

朝4時半に目覚めたが、風が強く横殴りの雨が降っていた。一日宿に待機を決め込む。テレビのニュースでは、 瞬間最大風速41.8mとか、とても歩ける天気ではない。

荒れる室戸崎の海
荒れる室戸崎の海

隣の喫茶店「CAFE OKIATO」の案内パンフレットによれば、室戸崎(むろとざき) が正しい呼称だそうだ。この地名は昨日引用した空海の「三教指帰」に書かれたのが、一番古いものらしい。 昭和2年に「新日本八景」の公募があり、室戸崎が海岸部門で全国一位に選ばれたそうだ。海岸は岩だらけだが、 足摺岬と違って断崖絶壁があるわけではない、波の来るところまで歩いてゆける。風の強いところだ。

雨風の 荒れて籠りぬ 室戸崎

宿のおばさんの話。北川村に円海というお坊さんがいる。九州でキリスト教系の高校生のとき病にかかり、 真言宗の祈祷師に直してもらったことから、高野山大学に入り北川村の寺の住職になった。空海にならって修行の為、 檀家の許可を得て、1年以上御蔵洞で座禅を組んだがその能力は得られなかったと言う。38歳の時で、12年前のことだそうだ。 おかみさんに昨日の御蔵洞のおじいさんの話をしたら、地元の人と分かったら、兄貴にはこんなことをしていると言ってくれるな、 と念を押されたそうだ。

またおばさんの話。高野山のお坊さんが順打ちをして、これといって得るものもなく帰朝報告をすると、 では今度は逆打ちで回って来いといわれた。逆打ちは順打ちの3倍疲れると嘆いていたそうだ。それでも道中で悟る こともなかったので、困った困った、と言っていた由。

本来、凡人または強い菩提心がなければ僧侶になれないのであって、徹底大悟の経験が得られなければ、 個人的に自立もできないし、他人の役にも立たないだろう。そしてそれは、一代限りで消えてゆく。仮に伝承されたとしても、 またその人とともに消えてゆく。良寛は余技の書や歌が下手だったら、これほど後の世の人に慕われなかったであろう。 越前にこんな坊さんが居たと生前の記憶が残るだけで、歴史の中に忘れ去られてしまったであろう。

神明窟 ここから明けの明星が見える
神明窟
ここから明けの明星が見える

御蔵洞は東の海に向かって、大きいのと小さいのと二つの洞が並んでいる。明星が見えるのは神明窟と呼んでいる小さいほうの洞だ。 空海は徹夜の行をしていたのだろうか、早起きをして修業していたのだろうか。教海と称し、如空と名乗っていた空海が、 最終的に名を改めたのは、室戸崎での経験が決定的だったのだろう。

本日の行程

終日宿にこもる

民宿室戸荘

距離 00.0km
所要時間 00:00