朝お礼のメモを書いて丸和石材を出、国分寺、大日寺と打つ。大日寺では寺の人が、石段や境内をひとり清掃していた。 寺全体が清潔ですがすがしい感じがする。境内の長椅子に腰を下ろして、乾パンの昼食をする。
大日寺を出て街中を通り、海辺に出ると道の駅夜須(やす)がある。 ここから安芸までのおよそ15kmは、海沿いに自転車専用道路ができていて大変歩きやすい。
途中「無人島長平」の像というのがあった。「天明5年(1785年)、赤岡から奈半利に米を運んだ一隻の船が帰りに手結沖で 遭難し、十数日間の漂流の末、鳥島に漂着する。鳥島は水も湧かない絶海の無人島。雨水をためアホウドリを食べて暮らすが、 漂着した四人のうち三人は二年以内に死亡。一人残った長平は、その後漂着した薩摩・大阪の船乗りたちとともに流木を集めて 船を作り、漂流十二年後に生還を果たす。」(『四国八十八ヶ所を歩く』竹内鉄二著 山と渓谷社)
芸西(げいせい)村というところを通過する。海亀が卵を産みに来る海岸と言う。 砂浜が遠くまで広がって続く。海が良く見え、今はもう少なくなった海沿いの松林の中を歩く。快適な気分だ。 約15kmの距離を4時間で歩いている計算になる。足の遅い私としては、随分快調なペースだ。 村営と思われる海水温水プールの施設もある。時折自転車が来る他は、誰にもすれ違わない。この辺りを歩くのは、 今はもう遍路くらいしかいないのだろう。
歩いていると、本で読んだ遍路の先達のことを思い出す。20代初めに野宿もいとわず出かけた、日本女性史の高群逸枝もすごいところ があった。前後関係は忘れたが、何か気に添わないことがあって、寺の軒下に座ったまま一晩中身じろぎもせずに朝を迎えた、 と記述があったのを思い出す。また遍路に行った帰りに自殺したある歌舞伎俳優の話が忘れられない。昔、新聞に載って 話題になった記憶がある。八代目市川団蔵という人で、84歳で遍路に行き、人形のような舞台を離れ、生まれて初めて人間らしい 自由を得たと語っていたそうだ。84歳で遍路に行くのもすごいが、生まれて初めて人間らしい自由を得たと感じる若い感性に驚く。 そうして帰路、「さらば地獄へ」の遺書を残して、鳴門海峡の海に飛び込んだ。社会的人生は立派に全うしたが、若い頃からの 心の中のしがらみが最後まで解けず、現役を退いてからも葛藤し続け、自分の無明の人生を貫いたのだ。その鮮烈な姿が痛々しい。 84歳まで人生のこだわりを持ち続けたのは、どんな心境だったのか。最後に自分の渦に飛び込んでしまった。