ある遍路日記  第23日目

2002年12月13日(金)  
晴れ 風弱く快適

今日は、札所はない。国道沿いに距離を歩くのみ。321号線を歩き、中村市から国道56号線になる。 四万十川には昔ながらの渡し舟があり、今も一日5便往復している。定員13人、自転車50円、人100円と案内にある。 旧道で少し遠回りになり、道に迷う可能性もあったので、安全な国道を行き、四万十川の左岸・右岸でのんびり休憩する。 天気は良く風もない。乾パンを食べながらぼんやり河を見ていた。

四万十川大橋を渡る
四万十川大橋を渡る

道々考えた。空海は、最澄の求めに応じて経典を何度も貸し出しているが、「理趣経」の借経を求められるに至って、 断固として断っている。それもかなりしつこく、理路整然と、微に入り細にわたり、修行のいたらない弟子に噛んで含めるように、 その理由を述べている。しかも最澄は空海の7歳年上だ。「理趣経」は、男女の交合を菩薩道の一環として認めている経典だそうで、 後に東寺の別当になったとき、密教化の為の重要な経典として日々唱えることを義務づけたといわれる。 経の詳細は知らないが、空海の強いこだわりを見る思いがする。12歳で仏門に入り、優等生のように育った最澄が頭でのみ 理解しようとしたことに対し、山野で厳しい修行に明け暮れて自分の心中で何事かを覚知した空海にとって、 安易な危ういものを最澄に見たのであろう。空海はこの世の有様を、良き様も悪しき様もすべて現実として認めたうえで、 彼の宗教的宇宙を築いたのではないか。彼はこの世の有様の何事をも禁じることはしなかったように思う。 そのことに彼は相当な自信を持っていたように思う。彼は何処でその突き抜けるような自信、覚醒を得たのだろうか。 19歳の時、阿波の太龍岳(たいりゅうだけ)や室戸岬の御蔵洞(みくろど) で厳しい修行に明け暮れ、谷が響き、空と海の世界を見、遂に明星が飛び込んできた時であろうか。 そのような気がする。あとはその自覚の立証であったであろう。このようなことは、段階的に自覚してゆくものではなく、 一気に押し寄せただろう。

だが歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダルタ)の覚醒の世界を超えて、大日如来の普遍性への理解は、空海の生きた時代の 所産だろうか。人間は、人間を超えたものの原理をどのようにして見つけるのだろうか。

鯨が来る入野の海岸
鯨が来る入野の海岸

入野の海岸を通過する。本来の遍路道は海岸の白浜を歩くようになっている。鯨のくる海として海浜公園になっており、 ホエールウォッチングの船もでているらしい。

本日の行程

旅館安宿
07:00
13.1km

四万十川大橋
11:00
17.8km

入野
16:00
7.0km

白浜
18:30

距離 37.9km
所要時間 11:30