ジョン万次郎の生誕の地、中浜に寄る。昔と変わらないような小さな漁村風景だ。「宙」という喫茶店に立ち寄る。
「坂本竜馬を読んでも、高知だから有名なのでしょう、万次郎のことは少ししか書いてない。万次郎のほうが役に立つ仕事 をしたのにねえ。」とおかみが言う。中浜万次郎生誕地・帰郷150周年記念碑が真新しい。英語の間違いがないか気にしながら、 恩人のアメリカの捕鯨船長に出した手紙が印象的だ。
金剛福寺を打つ。汚れたタオルをかけたままの寺が多いが、ここの手水場の手拭いは きれいだった。境内も清潔で、感じのいい寺だ。納経所の人と話をしていて、歩き遍路と知ると手水場にかけてあったのと同じ 寺の手拭いをお接待にくれた。今ノ山峠を越えて来たと言うと、わざわざ地図を持ち出してきたので、説明すると信じられない という顔をしていた。やっぱり普通は下ノ加江を経由するらしい。境内の石の長椅子に座って、おにぎりの昼食をとる。
仁王門の「補陀洛(ふだらく)東門」の字は嵯峨天皇の書いたものの模写だそうだ。補陀洛とはインドにあるとされた観音浄土 のことだそうで、補陀洛信仰というのがかってあり、お参りするだけでなく、実際小船に乗って僧達が渡海して行ったそうだ。 いつの世にも誤った信仰があったのだ。衰弱した信仰と言うべきか。現代のオウム真理教だけではない。 何故そうなるのか。本来いかにあるべきなのか、の問いかけが不十分なまま信仰に走った為であろう。だがこの問いかけには果てがなく、 懐疑主義や不可知論におちいるわなでもある。
足摺岬の展望台に立つと、左右の断崖絶壁に波が寄せている。自殺の名所だ。左の天狗の鼻の絶壁のほうが高そうだ。 落ちたら確実に死ぬだろう。どんな絶望を背負ってあの上に立つのだろう。絶望の底まで行ったのだろうか。 あるいは精神の一時的衰弱状態なのか。発作的に身投げしようとしても、あの断崖の上に立てば足が竦んでしまうだろうに。
すっかり暗くなって海沿いの国道を行く。車が止まって、高知まで行きますが乗りますか、と声がかかる。 午後7時過ぎ久百百(くもも)を通過する。月が後ろから照って、私の影を前に映している。 目の前に海が広がっている。水平線の上に、オリオン座がのぼりはじめている。カシオペアは天頂近くに上がっている。