ある遍路日記  第20日目

2002年12月10日(火)  
晴れ

国道56号線を歩き、観自在寺を打つ。人のいない境内で般若心経を唱えてみる。

一本松まで順調に歩く。ここまでは道を間違える心配はないので、安心して歩ける。一本松市役所前の喫茶店で一休みし、道を尋ねる。 ここで入り口を間違えたら峠を越えられない。歩き始めて通りがかりの車に再度確認、さらに分かれ道の近くの民家で再確認し、 分岐点で仕事中の農家の人に道を聞き、農道をしばらく登ったところで来た車にまた確認し、結局5回道を尋ねたことになる。 農道から左に折れて、いきなり遍路道に入る。

松尾峠への遍路道
松尾峠への遍路道

松尾峠は、昔伊予の国と土佐の国の国境になっていたところで、今も県境になっている。峠に石碑が建っておりその名残が残っている。 伊予側には「従是西伊豫國宇和島藩支配地」の碑があり、土佐側には再建された太子堂と茶店跡がある。眼下に宿毛湾が見える。 整備された遍路道で、昔は重要な道だった為、下りにはところどころに往時の敷石が残っていた。 下りきって農村風景のなかを少し歩くと、今は農家の庭先になっている処に昔の番所跡の案内板がある。説明にあり、 「松尾坂は、伊予と土佐を結ぶ重要な街道であったため、その麓にあったこの番所(関所)は、すでに長宗我部の戦国末期から 設置されていた。慶長6年(1602年)山内氏入国後も、この番所は特別重視され、四国遍路もここと甲浦以外は土佐への出入りは 許されなかった。そのため多くの旅人でにぎわい、多い日で三百人、普通の日で二百人の旅人があったと古書に記録されている。 この旅人を調べ、不法な出入国者を取り締まったのが番所で、関守は長田氏であり、子孫は今もここに居住している。」 大変な数の人が通っていたことになる、今は近隣の農家の人か歩き遍路しか通らないような処だ。

夕日をあびて 文旦の実る山
夕日をあびて
文旦の実る山

みかん畑に大きな美しい黄色い実がたわわに実っている。 ぽんかん(ぽん柑)とともに、 高知でよく見かける文旦 (ぶんたん)だ。

峠越え 文旦の実る 里に入りぬ

午後6時過ぎ宿毛大橋を通過し、延光寺前の「へんくつや」に午後7時30分到着。おやじさん手造りの岩風呂で一息つく。

本日の行程

旅館かめや
08:00
11.0km

40番 観自在寺 かんじざいじ
11:00
16.4km

松尾峠
15:00
13.4km

民宿へんくつや
19:30

距離 40.8km
所要時間 11:30