朝、民宿の主人と話をしているうちに、この先の宿は廃業しているところもあると言う。岩屋寺往復で一日かかるので もう一泊することにし、荷物を預けて出発する。
大宝寺は堂々たる仁王門だが、前の引きがなく写真に上手く納まらない。本堂も狭く急な斜面に建っている。 今まで敬遠していた山頭火の句碑を撮る。
岩屋寺への国道で、小柄な中年のお遍路さんにすれ違い、46番までは大分あるんでしょう、と聞かれる。 三坂峠のことも含めちょっと得意になって説明する。菅笠(すげがさ)をかぶって元気そうだ。
国民宿舎岩屋荘から遍路道をたどったつもりがどんどん山道になり、高いところに登っていく。 元の所に引き返し、間違う心配のない車道を行く。どこで間違えたのか分からない。
岩屋寺は横幅2m位の参道で、登りがかなり長く続く。お年寄りにはかなりきつそうだ。平地を避けてわざわざ山の岩場を選んで 建てたようだ。登り切ったところで無数の穴のあいた岩壁にへばりつくように、本堂はじめ寺のすべての建物が建っている。 工事中の人の話によると、上の岩が崩れて屋根にしょっちゅう落ちてくるという。
弘法大師の開基とある。あらためて数えてみると、88札所のうち弘法大師の開基が40ヶ寺あり、行基開基が30ヶ寺、その他あわせて 18ヶ寺となっている。はたして人の一生の間に、こんなに沢山の寺の開基が出来るものだろうか。唐から帰朝した後の空海は、 多忙だったはずだ。
帰りは遍路道を確認しながら、国民宿舎まで川沿いの遍路道を通る。車道から入ってすぐ直角に曲がるところで、 ひとつ道標を見落としていたので迷ったのだ。
帰路、国民宿舎のレストランでコーヒーブレイクにする。ロビーで尋ね人のポスターを見た。広島の56歳の女性。 平成12年12月、四国八十八ケ処巡礼に行くと言って家を出、その後丸亀市と今治市から連絡があったきり、行方が知れないと言う。 歩き遍路か乗り物を使ったのか定かではないが、巡礼に出たとすれば逆打ちで回ったことになる。 どんな思いが彼女をお遍路さんに駆り立てたのか、あるいは同じ思いで死に場所を探しに出たのだろうか。
陽は暖かく、一日中鶯が鳴いていた。田植えの季節だ。