二回目に長期休暇をとった初日。どこまで歩けるかちょっと心配だ。手前の菊間に宿を取るか、北条まで行くか迷ったが、 とにかく行けるところまで歩くことにする。
今治駅を出たところで、若い女性のお遍路さんにすれ違って挨拶をかわす。その後7〜8人のお遍路さんに会った。 シーズンなのでお遍路さんが多い。一体どれくらいの人が、四国遍路を歩くのだろう。ある本によれば、バスなど乗り物を使う遍路は 年間20万〜30万人で、歩き遍路は2〜3千人の間だそうだ。約1%だ。こんなに少ないだろうか。貴重な存在である。
国道196号線は海沿いに走っている。昼からよく晴れ、瀬戸内海がキラキラ光っていた。ときおり海を見ながら一服し、 またひたすら歩く。どこまでも海沿いの道が続く。
行く春を 海を眺めて 歩いていたり
空海達もこの海を通って唐へ渡って行ったのだ。804年(延暦23年)第16次遣唐使節は4隻の船団を組んで、5月12日難波の港を 出港した。ところで空海は入唐するため、急遽官僧の資格をとったのであるが、それは延暦23年4月7日31歳のときであった(延暦22年 30歳の時と解釈する説もある)。ギリギリのタイミングで間に合ったのである。この遣唐使船団は、実は前年の4月16日難波をいったん 出港したのであるが、暴風雨にあって船が難破したため、この年に再度出航することになったのである。もし前年の船がそのまま唐に 着いていれば、空海の入唐はなかったことになる。まるで奇跡のような運の強さ、あるいは歴史が空海のためにお膳立てしたようにも 思える。最澄は前年の船に乗っており、九州に漂着したためそこで越年して、再度乗船している。空海は20年の留学生、最澄は朝廷の 庇護を受けた2年の還学生の資格である。
北条市に入る頃には、足が突っ張ってきた。島にある国民宿舎鹿島荘に予約の電話を入れたが、今やってないと言う。 かわりに「北条水軍」と言う宿を紹介された。名前に驚いたが、昔この辺りは海賊の基地だったと案内書にあったのを思い出した。 行ってみると、設備は全くの民家だが、ユースホステルになっている。初めて泊まったが、遍路には会員並みのサービス料金で、 食事も大変美味しかった。朝食は和風・洋風の選択が出来る。洋風を選らんだら、朝から手作りのパンとコーヒー2杯ご馳走になり 大変満足する。「週間四国巡礼」のWebsiteをすすめられる。遍路に関する情報が沢山あるそうだ。自分もホームページを持っている といっていた。若い男性のペアラント(ユースホステルでは主人のことをこう言うらしい)で料理が得意のようだ。 この先の安い宿も紹介される。