雨具を着て宿を出る。宿の女将に道順を教えてもらう。昨日も私と同年輩の逆打ちの僧に遍路道を教えそうだ。 歩き始めてすぐ道筋を間違え、雨のなか車の往来の激しい車道を歩くが、一本外れた遍路道を見つけてからは、 車も人も少ない歩きやすい道になった。
道端の駐車場で、小降りになったので雨具を脱いでいると、同年輩の女性が車を停めて近づいてきて、もっとあげればいいんですが、 と言いながら500円のお接待を受ける。納札を見て、横浜からですか、と言って去っていった。
仙遊寺は標高281mとあるが、街中の平地からいきなり山中の遍路道に入り、落ち葉の積もった急な坂道を登る。 山道を登りきったところに、古い丁石があり国分寺まで45丁とあった。仁王門をくぐってから、 細い石段の参道をステンレスの手すりや杖を使って延々と登ること10分、やっと本堂に着く。お年寄りにはとても登れそうにない。 確かに手すりは必要な参道だが、その寄贈者は3mはあるような巨大な石碑に大昭和製紙社長の名前を刻んで、 誰もが見えるところにこれ見よがしに建てている。手すりの処々にも念入りに、寄贈者の銘板が打ち付けてある。 何故このように己の名前を刻みたがるのだろうか。死んだら何もかもおしまいだろうに。大きな石碑だけ残って、 手すりはそれより長く持つとも思えない。もっと目立たないように考えないのだろうか。人はいずれ誰にも目立たなくなり、 誰からも顧みられず、忘れ去られてしまうのだから。
栄福寺、泰山寺と急ぎ足で打って今治駅に着くと、すぐ特急に飛び乗った。非常に疲れを覚えた。 靴下を脱ぎ足の裏をもむが、むくんで痛みが取れない。
とりあえず第一ラウンドは終わった。特急で高松に戻り、夜行バスで1月17日早朝横浜駅前に着く。 駅のおびただしい人の群れの中に入り、平日の通勤客の青白い顔や人の流れを見ていると、 あの世界は別の世界だったのだろうかと思う。そこに入りきれない自分と、ここの人の流れにも入りきれない自分がある。 宝寿寺の太子堂の前で唱えていた般若心経の響きが思い出された。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦