ある遍路日記  第10日目

2002年1月15日(火)  
曇り 時折小雨
早朝の太子堂で一心に般若心経を唱える人
早朝の太子堂で一心に
般若心経を唱える人

早朝、まだ薄暗い宝寿寺を打つ。太子堂で、小声で般若心経を一心に唱える中年の女性あり。 その流暢な調子が、 のちのちまでずっと耳に残る。市井の人がこのように、経典を見ないでお経を唱えられるのは、ひとつの地域文化であろう。 それだけで立派な教養を身につけていると言ってもいいだろう。帰ってから少し読んでみたが、般若心経は短い経典だが、 状況の説明がなくいきなり結論のみ説いているので、納得ずくで理解するのは容易ではない。それに激しい修行を経て初めて 認識できるとする点が厄介なところだ。修禅の場として実質的に門を閉ざしている寺が多い現状では、 在家にはなおのこと理解するのは難しいだろう。至らざる者にとっては、一種の仮説のような気がする。

寺を出たところで、後ろから呼び止められる。中年の女性が、走ってきて頭陀袋に入りきらないほどいっぱいのみかんを お接待してくれた。

横峰寺に向かう道路沿いの東屋で、小休止する。山々に朝霧がかかり、世界中が静かだ。車も人も誰も通る人はいない。 自分ひとりが、大きな静けさのなかで休んでいる、大変贅沢な気分になった。

横峰寺は標高740mある。その上は標高1982mの石鎚山に続いている。四国最高峰の山で、空海も修行した行場だ。

横峰寺への途上で
横峰寺への途上で

空海は若い頃、大学を中退して山岳修行に入ったが、何故かは今も謎になっている。自分の中に湧き起こる疑問、 本来あるべきものは何か、何がより本質的なのか、すべてを包含する真実はあるのか、それはどうすればこの手に得られるのか、 などの欲求が彼を突き動かしたに違いない。彼は当時知られていたあらゆる行場に行って人並み以上の修行をしただろう。 何かを求める気持ちが強く、体は頑健で多分身のこなしも軽かったと思われたから、修者達の間でもすぐ一目置かれる様になったであろう。 彼は行場の修行だけで、目的達成出来ると思っていた訳でもないであろうが、それにしてもそこに何を求めて山野をさまよい、 激しい修行をしたのだろうか。そこで確かに、根本的な何かを得たのだ。

下りはかなり急な坂道で、自然石を石段状に組んである。谷川には庭石によさそうな大きな石・奇岩がごろごろしていた。 弁当を買うところもなく、今日も昼飯なし。お接待のみかんを食べながら歩く。

夕刻野球部の生徒が、次々と挨拶しながら追い抜いていった。今日一日でやっと自分の歩くペースがつかめた感じがする。 身体のあちこちに湿疹ができている。

本日の行程

香園寺(宿坊)
07:00
0.0km

61番 香園寺 こうおんじ
07:00
1.5km

62番宝寿寺(ほうじゅじ)
07:30
10.8km

60番 横峰寺 よこみねじ
12:30
17.1km

旅館栄屋
17:00

距離 29.4km
所要時間 10:00