ある遍路日記  第1日目

2002年1月6日(日)  
晴れ 風なく かなり寒い

朝6時30分、横浜から夜間高速バスで高松駅前に着く。あたりはまだ暗い。道路向かいの高松築港駅から6時50分発の琴電に乗り、7時25分長尾駅に着く。幸いバスは88番大窪寺迄行くことが分かり,時間があるので87番長尾寺へ行ってみる。さっそく納経所で遍路用品一式取り揃えることにしたが、何を買ったら良いかよく分からない。納経所のおじさんにあれこれ聞いてみるが要領を得ない。 白衣(びゃくえ)、金剛杖(こんごうつえ)、頭陀袋(ずたぶくろ)(サンヤと言っていた)、納経帳(のうきょうちょう)、経本、納札(おさめふだ)、線香、ロウソクを買う。どれも抵抗があったが、どれが欠けても遍路にはならない気がした。白衣は袖なしにした。金剛杖はしっかりしたものが欲しかったが、軽いものしか置いてなかった。頭陀袋は、初め使いみちにとまどったが、何でも入るし、前で簡単に出し入れできるので、のちのち大変重宝した。

人気のない長尾寺の境内で、初めて般若心経を唱えてみるが、小声でぶつぶつ言うのみで、上手く読めない。以後人前で唱えるのは止めた。

大窪寺前に着き、門前の茶店で朝食をとる。境内でうろうろしているうちに、帽子をどこかに落としてしまった。どれが本堂なのか、太子堂がどこなのか、またお参りの仕方やロウソク・線香のあげかたも分からず、その他納経帳やカメラをザックから出したりしまったりしているうちに落としたらしい。茶店に戻って聞いてみたが、誰かが拾ってどこかにかけてあるよと言う。境内に戻って順番にたどって見ると、言われたとおり寺の欄干に引っ掛けてあった。

女体山から讃岐平野を望む
女体山から讃岐平野を望む

長尾寺への遍路道は、いきなり境内中から、人一人歩ける程の小道が藪の中にあり、直ぐ上りになっている。急峻な 山道を登って、女体山の山頂に出ると、ハイキングらしい若者2人に出会う。そこで昼食にする。山頂から讃岐平野の眺めがいい。頂上から急な山道を下りると、途中から林道になる。林道と言ってもアスファルトで舗装された立派な車道で、何時間歩いても車にも人にも誰にも会わなかった。失礼ながら、どうしてこんな所にお金をかけたのかと思う。日本の公共投資の実態を垣間見る思いがした。このような農道・林道は、工事中を含めて、以後沢山見ることになる。

前山ダムを過ぎたところに、真新しい「へんろ資料展示室」があり、江戸時代からの納札や遍路の歴史的事物が展示してあった。中務茂兵衛(なかつかさ もへえ)と言う人が江戸末期から明治にかけて280回巡礼した事が紹介されていた。一回1.5ヶ月としても35年かかったことになる。一生を遍路したことになる。その間88回から記念して237基の道標を建てたそうだ。すごい人がいるものだ。

朝予約しておいた長尾寺に隣接する宿に泊まる。夕食は鍋物、刺身、焼き魚、酢の物など5〜6品のおかずがついて私には食べきれなかった。遍路であれば粗食でいいと思う。

本日の行程

88番 大窪寺 (おおくぼじ
10:30
1.2km

女体山(にょたいさん)
11:45
11.8km

87番 長尾寺 ながおじ
16:00
0.0km

民宿ながお路
16:00

距離 13.0km
所要時間 5:30