イエス伝 資料編

ユダヤ人の三大宗派

福音書を読めば、パリサイ派やサドカイ派や律法学者たちは、一も二もなく悪者である。しかしことはそれほど単純ではないのである。彼らは当時のユダヤ社会に大きな影響力を持っていた体制派であった。イエスを処刑に架けた大祭司のカイアファはサドカイ派であり、その他サンヘドリンには圧倒的多数でパリサイ派が占めていたと思われます。イエスが彼らに痛烈な批判の矢を放ったことで、イエスの信奉者たちは彼らを悪の根源のように思ってしまいがちであるが、ことはいつの世にもある体制派と反体制派との対立である。彼らにとってイエスは、体制の基盤を突き崩す恐れのあった危険分子であった。彼らは、イエスの説くことに、あるいはイエスの思想に全く関心を示していない。彼らに関心があったのは、イエスが多くの群集を惹きつけ煽動する恐れがあったことである。ローマは比較的宗教に寛大で多少の自治も認めていた。そのようなローマにたいしても、ユダヤの人びとは何かと不満を訴えて、自分たち自身の治世を実現しようとする傾向にあった。しかしローマの支配下にあった当時のユダヤ人にとって、またユダヤの体制派にとって、ローマを刺激することは、厳に控えなければならないし、そこに格別の政治的配慮が必要であった。現にこうした政治的配慮を欠いた30余年後に、ユダヤ人は無謀にもローマに反旗を翻し、ユダヤ戦争(紀元66年-70年)が勃発するのである。ローマの圧倒的軍事力によってユダヤの各都市は攻略され、エルサレムは陥落し、神殿は炎上する。以後20世紀中葉までの長い長いディアスポラが始まるのである。

イエスはどうしてあのように痛烈な体制派批判をしたのであろうか。批判することによって何かをなそうとしたのであろうか、あるいは何かを群集に示そうとしたのであろうか。ただ単にそれは祭司たちにたいするイエスの怒りであったのだろうか。我慢がならなかっただけであろうか。イエスは政治的意図は微塵も持っていなかった。地上のユダヤを統治することは、全くイエスの関心外であった。組織的な活動も興味を示さない。・・・天の王国が近いということであれば、パリサイ派やサドカイ派や律法学者たちが小さな地上の権力を握っていたからといって、全く邪魔にはならなかったであろうに、とわたしは思うのであるが。

当時のユダヤで主流となっていた宗派を知っておくことは、イエスを取り巻く環境を理解する一助となると思います。福音書にはパリサイ派やサドカイ派は出てきますが、エッセネ派は一切言及されていない。

以下は『ユダヤ古代誌』「XVIII ユダヤ、ローマの属州となる」( フラウィウス・ヨセフス著 秦剛平訳 山本書店)よりの引用です。(管理人)

ユダヤの三大宗派

ユダヤ人社会には、古代から、先祖たちの教えにもとづく三つの哲学(ヨセフスはここで、ユダヤ教の三大宗派の「教義」を「哲学」という言葉であらわしている)があった。すなわち、エッセネ人(びと)の哲学、サドカイ人(びと)の哲学、そして第三に、パリサイ人(びと)と呼ばれた連中が信奉した哲学である。
わたしはすでに『ユダヤ戦記』の第二巻において、これらの哲学についての説明を行なっているが(『戦記』第二巻119-166)、にもかかわらず、ここでしばらく、もう一度それらについてふれておきたい。

パリサイ人

パリサイ人は簡素な生活を営み、かりそめにも贅沢な生活に惑溺するようなことはしない。
かれらは、彼らの教義が彼らに命ずる数かずの戒めを守ることに重点を置きながら、彼らの教義が善として選び伝えてくれたことを手本として学びとろうとする。
彼らは年長者たちには敬意と恭順の態度で接し、その提案にたいして軽はずみに異議を唱えたりしない。
彼らは、すべてのことは運命によって定められていると考えるが、しかもなお、人間がその能力の範囲内であることを追求しようとする意志の自由をもっていることも否定はしない。なぜなら神は、運命と人間の意志とが連携し、美徳と悪徳をともにもった人間が、自らの意志で、その運命と責任とを分かつことに喜びたもうからである。
そして彼らは、霊魂は不死の力をもっていること、さらに、生前に有徳の生活を送ったか否かによって、地下において、よき応報なり刑罰なりがあるものと信じている。すなわち、悪しき魂の行きつく所は永遠の牢獄であり、善き魂のたどる所は新しき生への坦々たる大道なのである。
さて、こうした見解のため、パリサイ人は一般大衆に大きく訴えるものをもっており、その影響力は甚大で、その結果、神に捧げる祈りや、もろもろの聖なる務めは、すべてパリサイ人の指示にしたがってなされたが、それは、自分自身の生活態度においても、また人びとにたいする講和においても、最高の理想を実践するパリサイ人にたいする、市井の人びとが示す大きな敬意のしるしでもあると考えられた。

サドカイ人

サドカイ人は、霊魂は肉体とともに消滅するという教義を信奉している。彼らは、書かれた律法以外の何ものにもしたがうことを認めない。実際彼らは、自分たちが求めている知識についてその教師たちと論争することは正しいことだ、とさえ考えている。
この教義を知っている人は少数で、それは高位の人たちである。しかしながら、実際的には、彼らがなしとげたものはほとんど何もない。というのも、彼らがどのような公職についてもパリサイ人の強制と無理じいに屈してではあるが、最終的にはパリサイ人の見解にしたがうからであり、また、そうしなければ一般大衆が彼らを許しはしないからである。

エッセネ人

エッセネ人の教義は、いっさいのことを神の手に委ねることにある。彼らは霊魂を不滅なものと見なし、自分たちは神の義に向かって、一歩でも近づくよう努力すべきであると考えている。
彼らは、神殿に奉納物を献ずるが、一般の人びととは異なる清めの儀式にしたがって犠牲を捧げている。そして、そのようなことから、彼らは、すべての人びとが出入りする神殿の域内から閉め出されており、結局自分たちだけの手で犠牲の祭儀を営んでいる。しかしながら、その他の点においては、エッセネ人は、ひたすら農事にのみ励む、品性のもっとも高潔な人びとである。
まことにこの人たちの立派さは、自ら高潔を誇るいかなる人びとと対比してもいささかの遜色もない、真の賞賛に値するものであった。そして、そうした資質は、ギリシャ人やその他の非ギリシャ人の中には全く見出せないものであり、かつそれは、昨日今日のことではなく、遠い昔から絶えることなく、つねにその献身の生活を実行してきたのだから驚異である。
さらに、彼らはそれぞれの財産を同志と共有する。したがって、富者といえど、無一物の人以上にその所有する財産から恩恵を受けるということはない。
さて、このような生活を営んでいる人びとの数は、4000人以上に達しようか。
彼らは、慣習として、その共同生活の中へ妻を伴うこともなければ、また奴隷を所有することもない。後者は、不正を助長するものであり、前者の存在は、トラブルの原因をつくると見なしているからである。その代わり、彼らは手ずから働くと同時に、人のいやがる卑しい仕事も交代で行なう。
彼らは、収益および土地からの収穫物を受け取る執事と、パンその他の食物を準備する祭司たちとを挙手によって選ぶ。すなわち、彼らの生活態度は、この点ではダキア人の中のクティスタスと呼ばれている人びとときわめて似かよっている。

ユダスとその一味

哲学の第四の派は、ガリラヤ人ユダスが指導者となってつくりあげた。
この連中の主張は、ほとんどの点でパリサイ人の見解と一致するが、異なる一点は、神こそが彼らの唯一の支配者、主であると確信するため、自由ということにたいして不屈の情熱をもっていることである。
彼らは、異常な形で死ぬことを少しも意に介さなかったし、また何びとといえども、その人物を主と呼ぶべきではないという大義名分によって、ローマ皇帝を主と呼ぶ近親者や友人たちを襲って復讐することを平然と認めたのである。
そして、このような場合における彼らの決意の固さについては、すでに多くの人びとが目撃してきているので、わたしはこれ以上の説明を差し控えたい。それは何も、彼らについてわたしの語ることが人から信用されないだろう、と心配するからではない。心配があるのは、むしろ、骨身をけずるような激しい苦痛を受けながらも平然とそれを無視する彼らの不遜な態度を、わたしの言葉が最小限にしか表現できないことにある。
そして、わが民族がこの種の蛮行に悩まされはじめたのは、権力の濫用によって彼らをローマ人からの離反に駆り立てたゲッシオス・フロロス(ユダヤ駐在の最後の第十四代総督〔64-65〕)のときである。
以上が、わがユダヤ人の中の哲学の諸派である。

『ユダヤ古代誌』「XVIII ユダヤ、ローマの属州となる」( フラウィウス・ヨセフス著 秦剛平訳 山本書店)より

頁をめくる
次頁
頁をめくる
前頁

公開日2007年11月30日