イエスはガリラヤのナザレ(またはユダヤのベツレヘム)で生まれ、ナザレで育ちますが、 そこでどのように成長しどのような生活体験をしていたのかは、まったく分かっておりません。 再びイエスが登場するときは、およそ三十歳になってすでに宣教する決意をしており、自分の使命を 十全に自覚したイエスになっております。この空白の期間を埋めるのは、福音書の断片的な記述を集めて想像するしかありません。 その断片的情報を福音書の中から集めてみます。
ナザレにはユダヤ教の会堂がありましたから、安息日には家族で行って熱心に礼拝をして いただろうことは想像できます。会堂が唯一の公的教育機関だったから、イエスはそこでユダヤ人の由来や伝統そして聖書の すべてを学んだと思います。また家庭の日々の 生活のなかで、ユダヤ人としての代々の風習や生活信条を学んだことでしょう。文字はどのように学んだか分かりませんが、ナザレ村の 教養ある人に学んだだろうと思われます。あるいは幼い頃は父のヨセフが教えたのかもしれません。
当時の誰もがそうするように、13歳位になると、父のヨセフについて大工の仕事の見習いを始めたと思われます。 大工は近隣に出かけていってする仕事が多かったから、ヨセフと一緒にガリラヤの各地に出かけたことでしょう。農夫たち、果樹園の 働き手たち、羊飼いたち、ガリラヤ湖の漁師たち、道端の乞食や病人や気の触れたものたちなど、ガリラヤに生きる人々の 生業や有様をつぶさに見聞きしたことと思います。こうして下層の地の民にも、世間からさげすまれている人々にも、それぞれに 素朴で純粋な気持ちや願望があることを知ったでしょう。それに比べて本来尊敬されてしかるべき司祭たちの、名誉欲や見栄や、 本質を理解せず、ただ律法の細部にこだわって自己満足している態度に怒りがこみ上げてきただろうと想像できます。 ガリラヤの村や町を巡る巡回職人として、こうして世間の人間の営みの有様を目撃し体験したことが、イエスにとっては拭い去る ことのできない問題意識として心のなかに深化し、また後にイエスの適確で巧みな たとえ話の素材にもなったものと思われます。しかしイエスのたとえ話のなかで、大工に関するものは建物の土台のことで 一例あるのみで、その他の畑や果樹園や羊飼いのように農業や牧畜の話が圧倒的に多いのは何故だろうか。 父と別れて大工の仕事を止め、あるいは大工の仕事のかたわら、畑の耕作やぶどうやオリーブ園の仕事や牧畜の仕事も やっていたのかも知れません。
家族の絆はどうであったろうか。父のヨセフは「正しい人」 ✽2であったので、 家庭生活のなかでは朝に夕に他のどの家庭でも行われていたようにユダヤの生活規範を守り、 そうした環境のなかで家族の絆は深まっていったと思われます。しかしイエスは後に教えのなかでこのことを真っ向から 否定しています。
10 37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。 わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。(『マタイ伝』10:37)
家族の絆より優先するべき絆がある。そして実際イエスは母マリアや兄弟たちには冷淡ともいっていい態度を示しています。 このように大義を前にしたときの激しさは、ガリラヤ人気質を幾分か引き継いでいるのであろうか。
何も書かれていない空白を想像で埋めているのであるが、イエスの少年・青年期を通じてその姿が書かれている場面が 一箇所あります。
2 41さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 42イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 43祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、 両親はそれに気づかなかった。 44イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、 それから、親類や知人の間を捜し回ったが、45見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 46三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを 見つけた。47聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 48両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。 お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」49すると、イエスは言われた。 「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 50しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。51それから、 イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 (『ルカ伝』2:41-51)
これは事実であったかどうか分かりませんが、このようなことがあったとしても不思議ではありません。 何故イエスだけをエルサレムへ連れて行ったのか疑問ですが、イエスが長男であるとすれば理解できる話です。 この節から色々なことが分かります。まずヨセフ一家が毎年、過越しの祭にエルサレム巡礼へ行っていたこと、 そしてイエスは小さい頃からエルサレムの様子はよく知っていたということです。
イエスは勿論極めて聡明だったに違いありません。マリアが少年イエスをとがめる様子は、普通の母親の態度ですが、 マリアがイエスの聡明さを感じなかったはずはありません。自分の子ながら、内心非常に不安だったでしょう。 尋常ならざるものを、少年イエスの言動から感じ取っていたが、マリアは母親としてどう処していったらいいのか 分からなかったからです。「母はこれらのことをすべて心に納めていた」と書かれていますが、このように胸に 仕舞ってしまう以外に何も出来なかったでしょう。すでに自分の手の届かない処にいるかのようなイエスを、 マリアは遠くから見るように接していたようです。
父ヨセフのことは、イエス生誕前後のエピソードの後では、福音書になにも書かれていません。 完全に舞台から消えてしまいますので、ヨセフが息子のことをどのように感じていたか、また父が息子にどのような影響を 与えたか、知るすべはありません。ただこのことは言えると思います。アラム語で幼い子は父のことを「アッバ」と 呼ぶそうである。それなら幼い頃のイエスも、父ヨセフを「アッバ」と呼んでいたでしょう。不思議なことに 後年イエスは、天にいる神のことを「アッバ、父よ」と呼んでいることです。これはイエス独特の言い方であり、 弟子たちに強い印象を与えたようです。一方イエスは、最後の時になっても、十字架の上から母マリアを「女よ」と呼んでおります。 この落差はあまりにも大きいので、どのように解していいか分かりません。
最大の疑問はこれである。一体イエスは、かって人間が到達した最も 高い極みに至る智慧を、いつどこでどのような状況で獲得したのであろうか。イエスには、それは突然一挙に現われたのであろうか、 あるいは成長の節目ごとに徐々に来たのだろうか。われわれには、イエスは突然われわれの前に、 イエスとして現われるのである。それはいつも、初めて目の前に現われるかのようです。
公開日2009年7月21日
更新11月17日