磨きましたまへる御方々のありさま ひとしお美しく飾られた女君たちの御殿は。御簾なども新しくしたのであろう。
まねびたてむも言の葉足るまじくなむ 「まねびたてむ」言い立てる。「まねびたてむ」「まねぶ」はそのままに言う、形容する。「たつ」は仰々しくする気持ち。「む」は仮定。
千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事どもして 幾千代の栄えもあきらかな一年のはじめの祝い言を言い合って。「万代を松にぞ君を祝ひつる千年の蔭に住まむと思へば」(『古今集』巻七賀 素性法師)
中将の君ぞ 源氏の寵を受ける女房で、須磨下向の時以来紫の上付きとなっている。葵の君の時からの召人。よほど紫の上の腹心になっていたようです。
『かねてぞ見ゆる』などこそ、鏡の影にも語らひはんべりつれ。私の祈りは、何ばかりのことをか わが君の千年のお栄えは疑いもないと、お鏡餅に向かって話し合っておりました。「近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千年は」(古今集 巻二十 神遊びの歌 大伴黒主)
薄氷解けぬる池の鏡には世に曇りなき影ぞ並べる 薄氷も解けた新春の池の、鏡のような表には、類なく幸せな二人の姿が並んで映っています。(新潮)/ 春が来て薄氷も解けて鏡のように澄んでいる池の表に世の中にまたとないしあわせな私たちの姿が二つ並んで映っている。(玉上)
曇りなき池の鏡によろづ代をすむべき影ぞしるく見えける 澄み切った池の鏡に、幾久しくここにお住いなるなずの君のお姿がはっきり映っています。(新潮)/ 一点の曇りもない鏡のような池の面に、いつまでも変わりなく住んで生活してゆく私たちの影がはっきりと映っています。(玉上)
今日は子の日なりけり 正月の子(ね)の日に、小松を根ごと引いて長寿を祈る風習があった。
おきどころなく見ゆ じっとしていられない。
年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ 長の年月を対面の日を待ちわびて過ごす私に、今日はせめて年の初めのお便りなど下さいませ。(新潮)/ 長い年月、小松(姫君)の成長を待ち続けて過ごしている私に、今日は鶯の初音(お便り)を聞かせてください。(玉上)
ひき別れ年は経れども鴬の巣立ちし松の根を忘れめや お別れしてから年月は経ちましたけれども、生みの母君を忘れましょうか。(新潮)/ お別れして年は経ちましたけれども、鶯(わたし)は巣立ちした松の根(生みの母9を忘れましょうか。(玉上)
にほひ多からぬあはひにて いかにも、はなやかさには欠ける色合いで。
正身も、あなをかしげと、ふと見えて ご本人も、ああ美しいと、見るなり思われて。親として直接対面するのである。
なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつの心地もしたまはねば、 やはり考えてみると、(そこは実の父でないので)気のおけることがおおく、何となく落ち着かぬ感じなのが、夢を見ているような思いもして。玉鬘の気持ち。
まほならずもてなしたまへるも、いとをかし (源氏に対して、玉鬘が)すっかり打ち解けた態度をお見せにならないのも、大層風情がある。
うしろめたく、あはつけき心持たる人なき所なり 気の許せぬ軽はずみな考えを持った人は誰もいません。
めづらしや花のねぐらに木づたひて谷の古巣を訪へる鴬 何と珍しいこと、はなやかな御殿に住みながら、埋もれた元の古巣を尋ねてくれるとは。
鶯は冬の間、谷に籠っているとされていた。(新潮)/ 珍しいこと、美しい花のすみかに住んでいて、谷間の古巣をたずねる鶯がいる。(玉上)
咲ける岡辺に家しあれば 「梅の花咲ける岡辺に家しあればともしくもあらず鶯の声(『古今六帖』六 鶯)家も近いのでこれからもお便りがいただけようの気持ち。
さすがにみづからのもてなしは、かしこまりおきて、めやすき用意なるを それでも自分の源氏への態度は、慎み深くて、程よい心がけであるのを。そうは言っても明石の君自身の振る舞いは、(源氏に対して)へりくだって礼儀にかなった態度であるのを。
aしき年の御騒がれもや 新年早々、紫の上にやかましく言われるかもしれないと。
「なほ、おぼえことなりかし」と、方々に心おきて思す 「やっぱり明石の君は別格だ」と、源氏は方々の女君に気を使いながら思うのだった。// やはり御寵愛が格別なのだと、おん方々がそれぞれに妬ましくお感じになります。(潤一郎)/ やはり明石の君への御寵愛は格別だったのだと、女君たちは油断できないとお思いになります。(寂聴)// やはり(明石の君の)寵遇のされ方は格別なのだと、(六条院の)女君たちはおもしろからず思っている。(岩波新日本文学古典大系)// 「やはり(明石への)愛情は違うのだ」と、(源氏は)方々の婦人に気を使っていらっしゃる。(玉上)/
やはり、明石の上の寵愛は格別なのだと、(六条の院の)女君たちは、おもしろからずお思いになる。(新潮)/ 「心おきて」気をつかって。/ 主語を六条院の女君たちにするか、源氏にするかで、解釈が分かれる。
なまけやけしと思すべかめる心のうち 「なまけやけし」なんとなくわずらわしい。不快に思う。
あやしきうたた寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかしたまはで いつになくうたた寝をしてしまい、年甲斐もなく寝込んでしまいましたのを、そうだといって起こしてもくださらないで。/ とんだうたた寝をして、子どものように眠りこけたのを、そうといって起こしてもくださらないで。
そこら集ひたまへるが 大勢お集まりの来客の方々が。以下、草子地。
いと有職多くものしたまふころなれど 諸道に精通した人が大勢いらっしゃる頃であるが。
さしいらへしたまふ御光にはやされて、色をも音をも増すけぢめ、ことになむ分かれける (源氏が)お声を添えられるすばらしさに引き立てられて、花の色も楽の音も格段に映える点が、ほかの場合とまったく違うのだった。
「世の憂きめ見えぬ山路」に思ひなずらへて 憂き世のつらさのない山路にはいったつもりになって。「世の憂きめ見えぬ山路に入らむみは思う人こそほだしなりけれ」(古今集巻十八雑下 物部良名)
何とかは見たてまつりとがめむ 何といってお咎め申し上げたりしよう。
ものまめやかにはかばかしきおきてにも 実生活上のちゃんとしたきまりでも。生活を支えるしっかりした経済的な処遇の点でも。
常陸宮の御方は 常陸の宮の姫君。末摘花のこと。
人のほどあれば、心苦しく思して、人目の飾りばかりは、いとよくもてなしきこえたまふ ご身分がご身分なので、源氏は気の毒に思われて、人目には立派に見えるように、大層行き届いたお扱いをなさる。
かたはらめなど 「かたわらめ」横顔。傍から見える姿。
なかなか、女はさしも思したらず、今は、かくあはれに長き御心のほどを、おだしきものにうちとけ頼みきこえたまへる御さま、あはれなり かえって女君はそれほど気にもなさらず、このようにやさしく変わらぬご愛情を、安心に思って心から源氏にお頼り申している様子は、いじらしい。
きすくの人 「きすく」(生直)すなおで言行に飾りのないこと。きまじめ。
山伏の蓑代衣に譲りたまひてあへなむ 山法師の蓑代わりの雨衣にお上げになっていいでしょう。醍醐寺は修験道の本山。
おれおれしく、たゆき心のおこたりに 「おれおれし」(愚愚し)ぼんやりしている。間が抜けている。{たゆき心」動きの鈍い心。
まして方々の紛らはしき競ひにも、おのづからなむ 他の方々にもそれぞれご用がありますので。
ふるさとの春の梢に訪ね来て世の常ならぬ花を見るかな 昔住んでいた里の春の木の枝をたずねてきて世にも珍しい花(鼻)を見たことだ。(玉上)/ 元の住処の春の梢を尋ねきて世にも珍しい花(鼻)を見ることだ。(新潮)
うけばりたるさまにはあらず 「うけばる」他にはばからず事を行う。わがもの顔に振舞う。得意げな様子、いい気になっていること。
かごやかに局住、みにしなして 「かごやかに」ひっそりと。「局住み」部屋住みのような体にして。へりくだったさま。
青鈍の几帳 鈍色(薄墨色)に青味がかった色。尼の住まいに相応しい色。
『松が浦島』をはるかに思ひてぞやみぬべかりける 尼姿のあなたとは、所詮結ばれぬものとあきらめねばならないのですね。「音に聞く松が浦島今日見るむべも心あるあまは住みけり」(『後撰集』巻十五雑一 素性法師)
かかる方に頼みきこえさするしもなむ、浅くはあらず思ひたまへ知られはべりける こうして(仏に仕える身となって)お頼り申し上げる方が、かえってご縁も浅からず存じられます。
かのあさましかりし世の古事を聞き置きたまへるなめり あのとんでもない昔の事件をお耳にとめていらっしゃるのだろうと。夫の伊予の介没後、継子の紀伊の守が言い寄ったこと。
かかるありさまを御覧じ果てらるるよりほかの報いは、いづくにかはべらむ こんななれの果ての尼姿をお目にさらすよりほかの報いは、どこにございましょうか。
かくもて離れたること、と思すしも、見放ちがたく思さるれど こんなふうに、手の届かぬ尼になってしまったことよとお思いになると、かえってただではすまされぬ思いがなさるけれども。主語は源氏。
はかなきことをのたまひかくべくもあらず 色めいたことをおっしゃってみるわけにもゆかず。
かばかりの言ふかひだにあれかし せめてこの程度の話し相手が勤まってほしいものだと、末摘花の方を見るのであった。
かやうにても、御蔭に隠れたる人びと多かり こんな程度のことでも、(末摘花や空蝉のような具合に)源氏の庇護を受ける女君が多い。
朱雀院の后の御方などめぐりけるほどに 弘徽殿の大后。朱雀院に上皇と同居している。
水駅にてこと削がせたまふべきを 「水駅」男踏歌の一行を饗応するのに、酒、湯漬などで簡単にもてなすこと。飯駅(はんえき・大掛かりな饗応)に対する。
男踏歌あり 正月十四日、宮で行われる儀式。清涼殿東庭の帝の御前で、歌を歌い足拍子うを踏んで舞いを舞う。終わると禄の錦を賜り、宮中を退下、続いて院、中宮、東宮などを廻って同様の踏歌を行い、暁に宮中に帰る。これに対し正月十六日に行われるのを女踏歌といい、毎年行われたが、男踏歌は隔年、または数年を隔てて行われた。
插頭の綿は 踏歌の人の冠の額に挿す綿の造花。
こぼれ出でたるこちたさ (袖口が御簾のから)こぼれ出た仰々しさ。
高巾子 冠の巾子(こじ)(冠の頂上後方につきでたもの)が普通より高いもの。見慣れぬ様子。
弁少将にをさをさ劣らざめるは 「弁少将」は内大臣の次男。美声の持ち主。賢木の巻で、高砂を謡って、源氏にほめられた。
情けだちたる筋は 風雅の道では。趣味の面では。
まことにかしこき方やすぐれたることも多かりけむ ほんとうにしっかりした学問という面では秀でたことも多かっただろうが。
みづからのいとあざればみたるかたくなしさを、もて離れよと思ひしかども 私自身の風流にかたよった愚かしさに似ないでほしいと思ったけれども。「あざればみたるかたくなしさを」趣味に凝って実務をやらない、頑固にそうしている。
公開日2019年6月18日