源氏物語  人物一覧

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• 葵上あおいのうえ 左大臣の娘。母は桐壷帝の妹女三宮(大宮)。頭中将と同腹。光源氏の正妻。源氏12才、葵上16才で結婚。源氏の四歳年上ということもあり、端正すぎて源氏に打ち解けなかった。夕霧を出産し、死去す。 (桐壷1.15)
葵の上(Wikipedia)  
(呼称)娘・女君・大殿の君・妹の姫君・大殿・妹の君・姫君・故姫君・故大殿の姫君・母北方・大将の母君・母君・大将の君の御母君・大将の御母上
(通称)葵上 
• 明石尼君 あかしのあまぎみ  明石入道の妻、明石御方の母。中務宮を祖父に持つ家柄で、由緒ある家柄の女性。夫入道の播磨守赴任に際し任国に下り、その国司の任が果てた後も夫と共に播磨に留まり、一人娘明石御方の養育に心を尽くす。(若菜下35.13)
明石尼君(Wikipedia)
(呼称)母・母君・尼君・古人・明石尼君 
• 明石御方
• 明石君
あかしのおんかた
あかしのきみ
明石御方。明石君。明石入道と明石尼君との間の一人娘。その誕生前に不思議な夢を見た父入道は、一族再興の期待を娘明石君にかけ、その養育費捻出のため、田舎に下り受領階級となった。明石の浦で、父入道の方針通り育てられた。多くの求婚者が現れたが、父入道が退ける。入道は娘に、もし念願がかなわなかったら海に身を投げよと言い聞かせつつ、住吉をはじめとして諸々の神仏に娘の開運を祈った。源氏と結ばれ、姫君(のち今上帝の中宮)を生む。後に姫君は、紫の上に預けられて養育され、姫君が入内するまで、会うことはなかった。(明石13.14)
明石御方(Wikipedia)
(呼称)娘・入道の娘・女・明石・子持ちの君・女君・明石の人・明石御方・御方・君・大井・母君・山里の人・山里人・大井の御方・北のおもと・冬の御方・明石の君・おば君
(通称)明石上
• 明石御方乳母
• 明石君の乳母
あかしのおんかたのめのと
あかしのきみのめのと
明石尼君と共同戦線を組み、明石の入道の頑固な一徹さを非難して、明石の君に同情する。(明石13.21)
(呼称)乳母
• 明石中宮あかしのちゅうぐう 今上帝の中宮。父は光源氏、母は明石の御方。明石で誕生。父光源氏が許されて都へ帰った、二年後、母・祖母と共に上京、大井の山荘に入る。その美しさに源氏は感嘆する。二条院の紫の上の養女となり養育される。四年後六条院への移住で、母明石御方も同じ邸内の西北の町に住むこととなったが、顔を合わせることはなかった。その後冷泉帝の譲位があり、春宮が即位し、明石女御腹の第一皇子が新しい春宮と決まった。(御法40.5)
明石の姫君(Wikipedia)
(呼称)ちご・若宮・君・姫君・西の御方・御方・桐壷の御方・淑景舎・女御の君・春宮の御方・御息所・女御・桐壷・六条の女御・春宮の女御・女御殿・内裏の御方・后の宮・中宮・宮・后・今后・大宮・御前
(通称)明石の中宮
• 明石入道あかしのにゅうどう さる大臣の息子であったが、父が失脚したためもあって、出世できず、中年になってもまだ近衛中将にしかなれず前途を悲観して受領となった。近衛中将という名を捨て、播磨守という実をとった明石入道の行為は、当時の貴族たちから奇異の目で見られた。入道の方でも「ひがもの」をもって自ら任じ、娘明石君の将来に夢を託し、地方官として財をなすことにもっぱら務めた。光源氏が須磨に退去したことを知ると、かねがね血縁ということで親近感を持っていたこともあって(光源氏の母方の祖父按察使大納言は入道の父大臣と兄弟である)、この光源氏こそ、自分の娘の夫として住吉の神がさしむけてくださった人だと確信、源氏を明石浦に迎えた。入道は箏と琴の名手で、特に箏は醍醐天皇の手法を弾き伝えていたが娘も又自分に劣らぬ名手であることを源氏に告げる。入道は光源氏を巧みに導き、岡部の娘の元に源氏を通わせることに成功する。(明石13.4)
明石入道(wikipedia)
(呼称)前守新発意・入道・父入道・父君・明石の入道・あるじの入道・明石
• 秋好中宮あきこのむちゅうぐう冷泉院の中宮。父は前坊(桐壷帝の弟)、母は六条御息所。生後三年で父宮に死別し、以後母一人子一人の境遇で育ち、朱雀帝即位の際、斎宮となり、伊勢へは母御息所と二人で下る。その美しさは朱雀帝を魅了する。六年後斎宮を退き、源氏は養女とし、後見して、冷泉帝の後宮に入れる。梅壺女御とも呼ばれる。(若菜上34.16)
秋好中宮(Wikipedia>
(呼称)前坊の姫君・斎宮・宮・伊勢の宮・前斎宮・斎宮の女御・梅坪の御方・梅壺・女御・中宮・中宮の御方・西の御殿・西の御前・后の宮・冷泉院の后・冷泉院の后宮・后
(通称)秋好中宮
• 秋好中宮乳母あきこのむちゅうぐうのめのと六条母は六条御息所没後、源氏が秋好の親代わりとして後見しようと申し出たのに対する返事を自らするように秋好に勧める。(澪標14.21)
(呼称)御乳母
• 朝顔姫君あさがおのひめぎみ桃園式部卿宮の姫君。兄弟は多いが皆別腹で疎遠。源氏とはいとこにあたる。青年時代の源氏から朝顔につけて歌を送られたことがあり、当時の評判になった。賀茂の斎院になるが、父の死で退下。六条御息所が源氏の冷たい仕打ちを嘆いているのを聞くにつけ、源氏の誘いに乗ろうとしない。源氏の求愛を拒み続けた。(葵9.1)
朝顔姫君(Wikipedia>
朝顔姫君の前の斎院は、桐壺帝と弘徽殿の女御との間に生まれた女三の宮であった。
(呼称)式部卿宮の姫君・朝顔の姫君・姫君・朝顔の宮・斎院・院・朝顔・御前・宮・前斎院
• 阿闍梨あざり①大弐の乳母の子。惟光の兄。(夕顔4.1)
(呼称)惟光が兄の阿闍梨・某阿闍梨・阿闍梨
②朱雀院授戒の際の阿闍梨三人。(若菜上34.17)
③紫の上の病中、加持祈祷を行う阿闍梨。(若菜下35.38)
④浮舟の乳母子(大徳)の叔父。浮舟の火葬を亡骸のないまま行う。(蜻蛉52.6)
(呼称)叔父の阿闍梨。
⑤小野の尼君の弟子(少将の尼)の兄。横川の僧都の弟子。(手習53.1)
(呼称)阿闍梨。
• 按察使君あぜちのきみ ①朱雀院女三の宮の女房。柏木が女三宮のもとに忍んだ折、情人である源中将?に呼び出されて女三宮の側を離れていた。(若菜下35.42)
(呼称)按察使の君
②女三宮の女房。薫を慕ってその母である女三宮のもとに仕えるようになった女たちの一人らしい。薫の召人。(宿木49.23)
按察使君
• 按察使大納言あぜちのだいなごん ①桐壷更衣・雲林院の律師の父。明石入道の父大臣とは兄弟である。自分が亡くなっても娘を入内させよと繰り返し言い置いて亡くなった。(若紫5.4)
(呼称)大納言・故大納言・按察使大納言
②北山の尼君の夫。紫の上の母方の祖父にあたる。娘が十歳頃亡くなる。その邸は六条京極辺りにあった。(※)
(呼称)殿・故按察使大納言・按察使・大納言・故大納言
③雲居雁の母が頭中将と離別後嫁いだ相手。
(呼称)按察使大納言・大納言殿・大納言・按察使(※)
④→ 紅梅に同じ。
• 按察使大納言北方あぜちのだいなごんきたのかた ①桐壷更衣の母。由緒ある家柄の出。亡夫の遺言に従い娘を入内させ他の女御・更衣に劣らない世話をすることを生き甲斐としていた。(桐壷1.1)
(呼称)母北方・母君・祖母北方
②雲居雁の母。王族の出で、頭中将と結ばれて雲井雁を生んだが、離別して按察使大納言と再婚し、多くの子をもうけた。
(呼称)母君・按察使大納言の北の方・按察使の北の方 (※)
• 按察使大納言娘あぜちのだいなごんのむすめ母は北山の尼君・紫の上の母。十二歳の頃父大納言と死別、父はこの娘を入内させようと願っていたが、兵部卿宮(式部卿宮)が秘かに通うようになり、娘紫の上が生まれたが、宮の北の方におどされ、それを気にして亡くなった。(※)
(呼称)故姫君・大納言の御娘。娘・母君
• あてきあてき葵上に仕えた女童。孤児で葵上に特にかわいがられた。(葵9.11)
(呼称)あてき
• 姉御許あねおもと太宰少弐の娘。母は夕顔の西の京の乳母。三人姉妹で、妹にあてき(兵部の君)、姉に揚名介の妻がいる。父が太宰少弐になると共に九州に下り、玉鬘を同道する。大夫の監の求愛をうまく退け、玉鬘を上洛させるが、自身は筑紫に留まる。上京する妹と別れを惜しむ。(玉鬘22.8)
(呼称)子・娘・姉の御許
• 有明の君ありあけのきみ→ 朧月夜の君に同じ。

• 和泉前守いずみのさきのかみ 朧月夜尚侍の侍女中納言の君の兄。朱雀院山籠もり後、独り住む朧月夜への手引きを源氏に頼まれ、やむなく二条宮に案内する。(若菜上34.41)
(呼称)和泉の前守・信田の森・和泉前守
• 伊勢の御息所いせのみやすどころ →六条の御息所に同じ。
• 一條御息所いちじょうのみやすどころ 朱雀院の更衣。落葉宮の母。朱雀院の出家後、自邸の一条宮に帰った。一條宮では落葉の宮と共に暮らしていたが、柏木とその父大臣(頭中将)の懇望により、やむなく柏木を落葉宮の元に通わせた。柏木の死後、夕霧に柏木の笛を譲る。まもなく死去す。(夕霧39.1)
一條御息所(Wikipedia)
(呼称)更衣・母御息所・御息所・上・故御息所・故上・夕霧の御息所
(通称)一条御息所
• 一院いちのいん 桐壷院の父。藤壺などの父である先帝との関係は明らかではない。十九歳になった孫の源氏が正月年頭の参賀に行っている。一院(父)→先帝(兄)→(桐壷)の順で皇位が移譲されたようです。
これについては、このブログが詳しい。一院・先帝
あるいは、一院・先帝で玉上琢也説が紹介されている。
またこちらのサイト先帝(Wikiband)も詳しい。(紅葉賀7.10)
(呼称)一院・朱雀院・先の朱雀院
• 因幡守いなばのかみ時方の叔父。八宮の宇治山荘の対岸に別荘を持ち、甥の依頼によって、匂宮と浮舟にこの別荘を提供した。(浮舟51.24)
(呼称)時方が叔父・因幡守
• 因幡守の宿守いなばのかみのやどもり 因幡守の宇治別荘の管理人。匂宮の供としてきた時方を、主君のように大事に世話する。(浮舟51.25)
(呼称)宿守
• 犬君いぬき 紫上付きの女童。紫上の遊び仲間である。乱暴で北山で紫上が可愛がっていた雀を逃がしたり、二条院で雛遊びの道具をこわしたりする。(若紫5.3)
(呼称)いぬき
• 今宮いまみや冷泉院の皇子。母は玉鬘の大君。冷泉院の只一人の皇子で、退位後に生まれたことを父院は残念に思う。(竹河44.25)
(呼称)男御子・今宮
• 伊予介いよのすけ空蝉の夫。前妻との間に紀伊守・軒端荻・右近将監などの子がある。息子の紀伊守とともに、源氏の家司であるらしい。受領で、裕福である。伊予から上京するとすぐ源氏に挨拶にきている。(帚木2.10)
(呼称)伊予守の朝臣・伊予介・介・伊予の翁・常陸・常陸の守

主上うえ命婦うえのみょうぶ 桐壷帝の女房。源氏元服の夜、左大臣への禄を取り次ぐ。(桐壷1.14)
(呼称)上の命婦
• 右衛門督うえもんのかみ夕霧の子。雲井雁腹の長男。六条院の賭弓の還饗に列席。匂宮が中君訪問の口実で紅葉狩りを行っている所に、中宮の命を受けて宇治まで迎えにくる。(匂兵部卿42.10)
(呼称)大将の御子・左大将の御太郎・孫の君達・横笛の君・大将殿の太郎・太郎君・宰相の御兄の衛門督・衛門督
※「右衛門督は、衛門府(宮中の門の警備を担当)の長官で左右二つあるうちのひとつ。衛門府の長官が「督」である。従って「右衛門督と衛門督」は同じ役職を指している。ちなみに42兵部卿の箇所では渋谷源氏(web版)は、「右衛門督」とし、新潮古典集成では、「衛門の督」になっている。
• 浮舟うきふね 父は宇治の八宮。母は八宮北方の姪中将君。八宮は浮舟親子を認知しない。母中将は浮舟を連れて陸奥守(常陸介)の妻となる。のち上京して、母は浮舟を異母姉の中君に預ける。(宿木49.38)
浮舟(Wikipedia)
(呼称)君・常陸の前司殿の姫君・常陸殿・客人・故宮の御子・姫君・御方・内の御方・娘・女・女君・上・宮の御二条の方のおとうと・故八の宮の御娘・御おとうと・入道の姫君・手習の君
• 浮舟乳母うきふねのめのと浮舟の母と共に浮舟を溺愛し、薫と結婚させようと母に進言する。二条院の中君のもとに身を寄せていた時、匂宮が浮舟に近づくのを発見して、中の君の侍女右近に急を告げ、どうにかことなきを得る。(東屋50.23)
(呼称)乳母・御方の乳母・おとど・まま
• 浮舟乳母娘うきふねのめのとのむすめ この娘の出産のため、浮舟の乳母は宇治の浮舟のもとを離れ一時京に戻った。(浮舟51.28)
(呼称)娘
• 右京大夫うきょうのかみ 匂宮の二条院の侍所の長官。匂宮不在の二条院を訪れた薫が、中君との仲を疑われぬように伝言する。(宿木49.14)
(呼称)侍の別当・右京大夫
• 右近うこん ①母は夕顔の乳母。母に死なれて孤児になってしまったのを夕顔の父三位中将が養って育てた。夕顔の腹心の侍女である。源氏の部下惟光と恋愛関係を結び、彼女の口から夕顔方の事情も源氏に漏れている。夕顔の死後、須磨退居の間は紫の上、再開後は玉鬘の侍女と仕えた。(夕顔4.58)
(呼称)右近の君・女・古人・夕顔の君の右近
②中の君の乳母の大輔の君の娘。中君の侍女。匂宮が浮舟に近づいたとき、中君に急報し、その場を救った。(東屋50.23)
(呼称)大輔が娘・右近・右近の君
③浮舟の乳母子、浮舟の侍女。「ままの娘」の妹か。薫を装って訪れた匂宮にだまされて浮舟のもとに導き入れてしまう。(浮舟51.10)
(呼称)右近
• 右近の姉うこんのあね 浮舟の乳母子右近の姉。常陸国へ下った時、二人の男と関係し、その二人が殺傷沙汰にまで発展したため、国司の館を追放され。東国の田舎人となって、土着した。(浮舟51.41)
(呼称)女・右近が姉
• 右近将監うこんのぞう①父は伊予介。軒端荻の兄。源氏の須磨退居に随行する。一時は冷遇されたが、源氏の復権とともに、復権する。(澪標14.15)
(呼称)右近蔵人丞・右近将監蔵人・前の右近将監・蔵人・靫負・靭負尉
②夕霧の家人。夕霧と雲井雁の文遣いなどをする。(藤裏葉33.7)
(呼称)右近将監・司の将監・大夫
③薫の宇治の荘園の役人。宇治の姫君へ薫の文遣いをする。(※)
(呼称)右近将監
• 右近大夫うこんのたいふ①源氏の家人。(※)
(呼称)右近大夫
②薫の家人。薫の指図で宇治の警戒を厳重にする。薫に相談せず、浮舟の葬送をするのを批判する。(浮舟51.42)
(呼称)右近大夫・大夫
• 宇治阿闍梨うじのあざり宇治山に籠る高徳の僧。宇治の八宮の仏道修行の師として、冷泉院の仏道の師でもある。阿闍梨は道心の深い薫のことを八宮に伝えた。(宿木49.41)
(呼称)阿闍梨・聖・律師
• 宇治家主うじのいえあるじ横川の僧都の知人。小野の尼君が初瀬詣での帰路煩ってこの家に泊まるが、主人は御嶽精進中で汚れを気にする。(手習53.1)
(呼称)家あるじ
• 宇治宿直人うじのとのいびと①宇治の八宮邸の宿直人。かなりの頑固者で、人相は悪かったが、誠意ある家人であった。(橋姫45.11)
(呼称)宿直めく男・宿直人・侍・宿守
②浮舟の警護を薫に命じられた夜番。薫の宇治領に住む内舎人の一族である。(浮舟51.42)
• 宇治院宿守うじのいんのやどもり 宇治院の院守の不在中、留守番をして横川僧都一行を泊める。僧都一行が変化のものを発見しても恐ろしい出来事に馴れているようで、何とも思っていない。(手習53.3)
(呼称)宿守の翁・翁・宿守の男
• 宇治院守うじのいんもり 故朱雀院の院守で、横川僧都の知人。横川僧都が泊まりたいと言ってきたときは物詣中で留守であった。(手習53.1)
(呼称)院守
• 右大将うだいしょう 夕霧の前任者。源氏の四十賀が行われた年、病気のため辞任した。(若菜上34.58)
(呼称)右大将
• 右大臣うだいじん①弘徽殿女御、朧月夜の父。桐壷帝の一宮(朱雀院)の外祖父。孫の一宮は順当に春宮となったが、帝の二宮(源氏)に対する寵愛が深いので、春宮を越えて帝位につけるのではないかと気を揉んだ。源氏を婿に迎えた左大臣家の勢力が強いので、対抗上蔵人の少将(頭中将)を娘四君の婿に迎えた。娘の六君(朧月夜の君)を春宮(朱雀院)に入内させようとしていたが、六の君は源氏と親しくなってしまう。家風は派手で明るい、奥ゆかしいところがなく、思慮が浅いところがある。葵上没後、六君を源氏と結婚させようと考えるが弘徽殿の女御に反対され、尚侍として宮仕えさせる。桐壷院が亡くなると、弘徽殿大后とともに政治をとりしきり、左大臣家と源氏を圧倒した。左大臣が辞表を提出したあとは右大臣一門ばかりが栄達するようになった。雷鳴の暁、朧月夜のもとに忍んでいた源氏を発見すると、性急な性格もあって弘徽殿太后に報告してしまう。大后の激怒を見て少し後悔し、娘の朧月夜に罰が及ばないよう奔走する。太政大臣まで昇るが、源氏の須磨退去の翌年、相当の高齢で亡くなる。邸は藤壺の三条向い。(桐壷1.2)
 右大臣(Wikipedia)
(呼称)右大臣・春宮の祖父大臣・春宮の御祖父・右の大臣・右の大い殿・父大臣・殿・大臣・祖父大臣・大い殿・太政大臣
②髭黒の父。承香殿女御の父。今上の外祖父にあたるが、即位前に没していたらしい。(明石13.17)
③雲居雁との仲を許されずにいる夕霧を婿にと望むが、夕霧の返事をもらえない。三年前、大原野行幸に供奉した右大臣・翌年帝が主催した源氏の四十賀の饗宴に連なった右大臣も同一人か。この右大臣はどういう人物か誰か特定できない。(梅枝32.12)系図不明と註あり(新潮)
(呼称)右大臣・右の大臣・左右の大臣
• 右大弁うだいべん①源氏の後見のようになって何かと世話し、高麗の相人が来朝すると桐壷帝の命を受けて源氏を伴い観想させた。学識も深く、相人と漢詩のやりとりをした。(桐壷1.11)右大弁②も同一人か。
(呼称)右大臣・弁
②桐壷の院のときより源氏に親しく仕えていた。桂院にて源氏遊園の折に歌をよむ。夕霧に寮試の模擬試験をしたとき、召されたのも同一人物と思われる。
(呼称)右大弁
③髭黒の四郎。母は玉鬘。同腹の兄に、右兵衛門、弟に侍従がいる。(竹河44.30)
(呼称)幼き君・右の大臣の四郎君・右中弁・弁の君・右大弁
④夕霧の子。雲井雁腹の三男。兄に衛門の督・権中納言がいる。(匂兵部卿42.10)
(呼称)大将の御子・大将殿の三郎君・三郎君
• 内裏の君うちのきみ髭黒の三女。玉鬘腹の二女。父は早くに死ぬ。中君、典侍。今上帝に出仕する。(竹河44.26)
(呼称)姫君・中の君・若君・西の御前・右の姫君・中の姫君・典侍・君・内裏の君
• 右中弁うちゅうべん 右大臣の子。花宴の翌日、退出する姉弘徽殿を見送るため、兄の四位少将とともに内裏を退出した。(花宴8.3)
(呼称)右中弁
• 空蝉うつせみ故衛門督の娘。伊予介の妻。父は宮仕えを希望していたが、没したので、親子ほど年の違う伊予介の後妻になった。方違えに一時寄っていた源氏に言い寄られ、無理に源氏と契るが、その後源氏を近づけなかった。後夫とともに常陸に下る。夫の死後、継子の河内守が言い寄ってきたので、出家した。その後源氏に迎えられ二条東院で仏道修行に専念する。(空蝉2.11)
空蝉(Wikipedia)
(呼称)姉なる人・姉君・女君・妹・女・妹の君・まま母・空蝉・北方・女房・帚木・君・空蝉の尼君・尼君
• 内舎人うどねり 薫の宇治の荘園の役人の長。山城・大和地方の薫の荘園の役人は皆この一族。(浮舟51.42)
(呼称)内舎人・御庄の人
• 右兵衛督うひょうえのかみ髭黒の三男。玉鬘腹の長男。父髭黒の死後は夕霧を頼る。 (竹河44.30)
(呼称)若君・幼き君・右の大殿の御子ども二人・右の大い殿の三郎君典侍の君の御腹の兄君・笙の笛吹く君・右の大い殿の三郎君・左近中将・中将・中将の君・右兵衛督
• 右馬頭うまのかみ蜻蛉式部卿宮の後妻の兄。格別とりえもない男であったが、妹の北の方は、宮の死後、継娘(宮の君)をこの男にめあわせようとした。(※)
(呼称)右馬頭
• 右馬介うまのすけ 夕霧の家人。夕霧が雲井雁にあてた文を届けさせる。(※)
(呼称)右馬介
• 雲林院律師うんりいんのりっし 桐壷更衣の兄。世間に嫌気がさして雲林院に参籠した源氏はこの伯父の坊に泊まり、経文などを読んで日を送った。(賢木10.12)
(呼称)故母御息所の御兄の律師・律師

• 衛門督えもんのかみ ①空蝉や小君の父。空蝉を宮仕えに出そうとしていたが果たせず死ぬ。 (帚木2.10)
(呼称)衛門督・中納言
②横川僧都の妹小野の妹尼の夫で、早くに死んだらしい。(手習53.37)
(呼称)故衛門督
③→右衛門督(うえもんのかみ)に同じ。夕霧の長男(太郎)。雲居雁腹。
• 衛門督娘えもんのかみのむすめ母は横川の僧都の妹、小野の妹尼で、父に死別して母に育てられ、中将と結婚するが早世、ため母は出家し、常に娘を偲んでいる。浮舟を救い出した母妹尼は、娘が冥途から生き返ってきたかと思い、初瀬にお礼参りする。(夢浮橋54.2)
(呼称)娘・娘の君・故姫君・昔人・女子

• 王女御おうにょうご 冷泉院女御。式部卿宮(紫上の父・藤壺の兄)の中君。紫上には継母にあたる北方は、実の娘が幸運に恵まれないのを嘆いていた。父宮は、権中納言(頭中将)の娘(弘徽殿女御)が冷泉帝に入内したのに引き続いて、中君を入内させようとするが、源氏との不仲がたたって、支援を得られず、果たせない。斎宮女御(秋好中宮)にも先を越され、やがて入内するが、立后争いにも負ける。承香殿の西面を局としていた。(少女21.9)
(呼称)兵部卿宮の中君・兵部卿宮の姫君・宮の中君・御娘・王女御・女御・宮の女御・女子
• 王命婦おうみょうぶ藤壺付き女房。源氏に責められて、密会の手引きをする。(若紫5.8)
(呼称)王命婦・命婦の君・命婦
• 大君おおいぎみ ①夕霧の長女。母は藤典侍。今上の春宮に参って並ぶ者もない寵愛を受けている。(夕霧39.45)
(呼称)大君・大姫君・右の大臣殿の女御・三条殿腹の大い君
②宇治の八宮の長女。母は大臣の娘で、大君が三歳のころ、妹を生んで亡くなった。思慮深く沈着で、容姿裳も態度も奥ゆかしく。琵琶をひき、歌を詠み、妹との合奏は、薫の耳に入った。薫の最も好んだ女性。(橋姫45.13)
(呼称)八の宮の姫君・宇治の姫君・女君・姫君・君たち・姉君・女・姫宮・姉宮・故宮の御娘・聖の御子の御娘
(通称)大君
③髭黒と玉鬘の姫には、大君と中君がいたと思うが。大君は冷泉院へ、中君は今上帝に入内する。(竹河44.10)(管理人)
• 大井宿守おおいのやどもり 明石尼君が祖父中務宮より伝承した大井山荘の管理人。付属の田畑を譲りうけて耕している。明石入道の依頼で、大井山荘を修理する。(※)
(呼称)宿守のやうにてある人・預り
• 大蔵卿おおくらきょう①源氏元服のとき、その髪上に奉仕した。(桐壷1.14)
(呼称)大蔵卿
②左大臣の子。今上の藤壺女御の異腹の兄弟。女二宮の叔父にあたる。薫と女二宮の新婚の三日夜の宴を勅命によって催す。 (宿木49.2)
(呼称)大蔵卿
• 祖父大臣おおじおとど宇治の八宮の母方の祖父。娘は桐壷帝の女御で八宮を生んだ。その遺産は八宮に伝えられた。(橋姫45.5)
(呼称)おほじおとど
• 近江君おおみのきみ 頭中将の妾腹の娘。母は早く亡くなり乳母に育てられる。柏木によって見いだされ、内大臣邸に迎えられたが、軽々しい性格で一族でもてあます。(常夏26.138)
(呼称)外腹の娘・女・今の御娘・北の対の姫君・御方・内の大殿の今姫君・娘・さがなものの君・近江君・内の大殿の御娘・君・致仕の大殿の近江君
• 近江君母おおみのきみのはは頭中将の妾の一人。近江君を生んだが、早くに没する。近江君の早口を気にかける。(常夏26.11)
(呼称)故母
• 近江君乳母おおみのきみのめのと無教養な訛りのある女で、近江君を甘やかせてわがままに育ててしまう。(常夏26.12)
(呼称)乳母
• 大宮おおみや父は一院。左大臣の北方。桐壷帝と同腹の女三宮。葵上と頭中将の母。三条に住む。夕霧と雲井雁を一緒に育てて、二人は恋仲になってしまう。それに頭中将は不満をいい、二人を引き離す。(野分28.14)
大宮(Wikipedia) (葵9.2)
(呼称)母宮・宮・大宮・宮の御前・故大殿の宮・三の宮・祖母宮・三条宮・大殿の大宮・故大宮
• 落葉宮おちばのみや朱雀院の女二宮。母は一條御息所。父院出家後、柏木の懇望によって妻になるが、妹三宮に魅かれている柏木は身分の低い更衣の腹に生まれた落葉宮を軽く見ていた。柏木亡き後、夕霧が思いを寄せる。(夕霧39.1)
落葉の宮(Wikipedia)
(呼称)御姉の二宮・女二宮・女宮・衛門督の御預りの宮・二の宮・宮・一条の宮・皇女の君・御前・皇女・女方・女・継母の宮
(通称)落葉宮
• 大臣おとど ①明石入道の父。桐壷更衣の伯父。忠誠を尽くして朝廷に仕えたが失態があり、子孫は栄えなかった。(※)
(呼称)大臣
②六条御息所の父。娘を皇后にと思っていたが、果たせないまま亡くなった。葵上にとりつき死霊となったと噂された。(※)
(呼称)故父大臣・父大臣
③宇治の八宮の北方の父。(※)
(呼称)大臣・親
• 小野尼君おののあまぎみ横川僧都の母で、八十余歳の時、娘の小野の妹尼とともに初瀬詣でに出かけ帰途奈良坂あたりで急病になり、朱雀院の御領所の宇治院に二日ほど逗留する。そこで物の怪に打たれた浮舟が発見される。病癒えて浮舟と一緒に小野の山荘に帰る。(手習53.1)
(呼称)母・母の尼君・親・尼君・老人・大尼君
• 小野妹尼おののいもうとあま 小野の尼君の娘、横川の僧都の妹。衛門督の妻となる。早く夫に死別し、残された娘を愛育して、婿に中将を迎える。しかしその娘にも先立たれ、悲しみのうちに出家する。母とともに初瀬詣に出かけ。帰途母が急病になり、宇治院で介抱する。そこで女(浮舟)を発見し、娘が生き返ったかと思い、小野に連れ帰る。(手習53.4)
(呼称)妹・妹の尼君・尼君・娘の尼君・北の方・尼上・東の御方・上・故衛門督の妻・故衛門督の北の方
• 小野律師おののりし一條御息所の祈りの師。叡山に山籠もりして里に出る意志がないので、一条御息所は小野へ移り住むことになる。夕霧が朝早く落葉宮のもとから出て来たという話を供の僧たちから聞き御息所に直言して二人の仲に反対する。(夕霧39.1)
(呼称)律師・某律師・阿闍梨
• 朧月夜君おぼろづきよのきみ右大臣の六女。右大臣は春宮(後の朱雀院)に参らせるつもりだったが、花宴の夜、宮中で偶然源氏と知り契り、扇を形見として別れて以後、源氏のことが忘れられない。春宮に四月に入内するはずだったが、源氏とのことが露見してとりやめとなり弘徽殿大后の怒りをかい、源氏の須磨蟄居の一因となる。後、尚侍となり朱雀院の寵愛を受ける。その後も二人は逢引を続ける。(花宴8.2)
朧月夜(Wikipedia)
(呼称)女・六の君・六・有明・有明の君・御櫛匣殿・尚侍かもの君・女君・君・尚侍ないしのかみ・内侍の君
• 御許おもと空蝉の女房。源氏を民部のおもとと誤認する。(空蝉3.2)
(呼称)御達・老人・御許
• 女一宮おんないちのみや ①桐壷院皇女。母は弘徽殿大后。弘徽殿大后には皇女が二人いる。 (花宴8.5)
(呼称)女みこたち・宮たち・女一宮・女一品
②朱雀院の皇女四人のひとりで、その存在が語られるだけである。(※)
(呼称)女宮たち・姫宮たち・女皇子たち
③冷泉院皇女。母は弘徽殿の女御。唯一の皇女として院は大切にかしずいている。匂宮が心惹かれている。容姿端麗。(※)
(呼称)女宮・冷泉院の女一宮・院の姫宮・姫宮・女一宮・院の女一宮・冷泉院の姫宮
④今上帝皇女。母は明石中宮。春宮のすぐ下の妹で、紫の上が特にかわいがっている。薫が心惹かれている。(匂兵部卿42.2)
(呼称)女一宮・若宮・女宮・姫宮・一品の宮・女・宮
• 女五宮おんなごのみや 桐壷院や桃園宮とは兄妹、葵上の母大宮の妹で、源氏には叔母にあたる。桃園宮の死後、桃園宮の遺児、朝顔姫君と桃園邸に住んでいいる。源氏は女五宮を見舞うという体で朝顔の姫君を訪問する。 (朝顔5.1)
(呼称)五宮・女五宮・宮・桃園宮・宮の御方
• 女三宮おんなさんのみや ①桐壷院皇女。母は弘徽殿大后。弘徽殿大后には皇女が二人ある。女三宮が斎院になる。(※)
(呼称)女みこたち・女三宮・宮・斎院
②朱雀院第三皇女。母は藤壺女御。十三四のころ、母女御とは死別し、朱雀院の格別の寵愛を受けている。源氏に降嫁し、六条院へ移る。柏木が懸想し、強引に押し入って契りを結ぶ。薫を生む。罪悪感から落飾し出家する。源氏亡き後は六条院を出て、朱雀院から譲られた三条宮で余生を送る。(若菜上34.1)
女三宮(Wikipedia)
(呼称)女宮・女三宮・宮・三宮・姫宮・皇子・内親王・朱雀院の姫君・宮の御方・六条院の姫宮・女・若君・二品の宮・子持ちの御前・尼宮・入道宮・入道の姫君・母宮・朱雀院の宮・三条宮
• 女三宮乳母おんなさんのみやのめのと中納言の乳母と侍従の乳母の二人がいる。(※)
(呼称)乳母
• 女四宮おんなしのみや朱雀院の皇女のひとりで、その存在が語られるだけである。(※)
(呼称)女宮たち・姉宮たち・女皇子たち
• 女二宮おんなにのみや ①冷泉院の皇女。母は玉鬘の大君(御息所)。(※)
(呼称)女宮
②今上帝の皇女。母は藤壺女御。女御は亡き左大臣の娘にあたる。薫に降嫁する。(宿木49.2)
(呼称)女宮・宮・女二宮・御娘・藤壺宮・主の宮・御かしづき娘・姫宮・二の宮・皇女

• 薫かおる 母は朱雀院女三宮。父は源氏。実は柏木と女三宮の不義の子である。夕霧の幼児や、明石中宮腹の皇子たちと比較しても格段に優れた容姿であった。六条院では明石中宮の若君たちの遊び相手で、匂宮とは特に仲が良かった。その美しさを匂宮と並び称された。特に体臭の香がすばらしく、負けじと香をたきしめている匂宮とともに「匂ふ兵部卿・薫る中将」と呼ばれた。(横笛37.12)
薫(Wikipedia)
(呼称)若君・君・宮の若君・二品宮の若君・侍従・右近中将・源中将・薫中将・中将・三位の宰相・宰相中将・右のすけ・源中納言・四位の侍従・まめ人・侍従の君・源侍従の君・源侍従・薫・中納言・中将の君・宰相の君・宰相・中納言殿・中納言の君・殿・中納言源朝臣・中納言の朝臣・男君・権大納言・右大将・大将殿・大将・大将の君・男・右大将殿・女二宮の御男
• 薫随身かおるのずいじん薫の文使いとして宇治の浮舟の所に行っているうちに、宇治の浮舟方と匂宮との文の往来があると薫に報告した。(浮舟51.36)
(呼称)御使・殿の御随身・随身
• 薫供人かおるのともびと薫の供をして宇治を訪れるうちに八宮邸の女房と関係し、匂宮が夕霧の六の君と結婚する噂を伝えた。(浮舟51.13)
(呼称)御供なる人
• 薫乳母かおるのめのと薫が宇治の姫君たちに贈る更衣の衣装の調達を薫に依頼される。 (※)
(呼称)御乳母達・御乳母
• 蜻蛉式部卿宮かげろうしきぶきょうのみや蜻蛉式部卿宮。桐壷帝の皇子。源氏の弟。八宮の兄。薫には叔父にあたる。亡くなった前北方との間に生まれた娘を春宮に入内させるか薫の妻にしたいと思っていたが、果たせないまま死んだ。(朝顔20.1)
(呼称)式部卿宮・父宮・父親王・親王・故宮
(通称)蜻蛉式部卿宮・蜻蛉宮
• 蜻蛉式部卿宮今北方かげろしきぶきょうのみやのいまきたのかた蜻蛉式部卿宮の後妻。継子の宮君と仲が悪く、夫の死後自分の兄の右馬頭に宮君をめあわせようとする。(※)
(呼称)継母の北方
• 蜻蛉式部卿宮前北方かげろうしきぶきょうのみやのさきのきたのかた夫の式部卿との間に、侍従と宮君を生んで早くなくなった。(※)
• 柏木かしわぎ頭中将の長男。母は右大臣の四君。和琴の名手で、筆跡も美しく、夕霧に比肩する貴公子。夕霧と仲が良い。ふとしたことから源氏の妻の女三宮を垣間見て以来恋情やみがたく、女三宮の閨に侵入し、薫が生まれる。柏木は罪の意識にさいなまれ病死する。(藤裏葉33.10)
柏木(Wikipedia)
(呼称)左少将・内の大殿の君達・内の大殿の中将・岩漏る中将・右の中将・中将の朝臣・中将・頭中将・中将の君・君・右のすけ・内の大殿の頭中将・朝臣・右衛門督・衛門督・ゑもんのかんのきみ・かんのきみ・宰相君・中納言・権大納言・故殿・故権大納言・故大納言の君
(通称)柏木
• 柏木乳母かしわぎのめのと 弁君の母。姉は女三宮の乳母。左中弁との間に一女をもうけたが、この娘(弁君)は後に宇治八宮に仕えた。(橋姫45.15)
(呼称)乳母・権大納言の御乳母・弁が母
(呼称)行人・聖
• 葛城聖かずらきのひじり柏木が重態になった時、致仕大臣(頭中将)に招かれ、下山して加持にあたった。身長が高く、目つきが悪く、大声で陀羅尼を読んで柏木に嫌われる。(※)
(呼称)行人・聖
• 門守かどもり桃園宮の門守、源氏の訪れに、平素開けない表門を開けようとして苦労する。 (朝顔20.6)
(呼称)み門守
• 上野親王かんづけのみこ 今上が碁の相手を求めて殿上にいる人を聞いたとき、中務宮とともに殿上に伺候していた。(宿木49.4)
(呼称)上野の親王

• 北政所別当きたのまんどころのべとう紫上の家司。源氏四十賀において、宴のあと、楽人に引き出物を配る。(若菜上34.55)
(呼称)北政所の別当
• 北山尼君きたやまのあまぎみ 故按察使大納言の北方。夫の没後出家して、一人娘を育てたが、その娘も兵部卿宮(後の式部卿宮)との間にできた若紫(紫の上)を残して他界する。若紫を養って兄北山僧都のもとで暮らしている。病の加持に北山にきた源氏に垣間見られたとき、四十余歳であった。(若紫5.3)
(呼称)尼君・祖母・尼上・上・北方・妹・故尼君・祖母君・故尼上
(通称)北山尼君
• 北山僧都きたやまのそうず 北山の尼君の兄。北山に坊をもうけて、二年この方籠っている有徳の僧。(若紫5.2)
(呼称)某僧都・僧都・故僧都
(通称)北山僧都
• 北山聖きたやまのひじり北山の高峰に庵をもうけ、て籠る高僧。加持祈祷に優れていたが、脱俗の心から北山にひきこもっていたのを、源氏が瘧病わらわやみの加持を頼むべく尋ねる。労を積んだ高僧であったが朝廷にしられないまま、阿闍梨にもなっていなかった。(若紫5.6)
(呼称)行人・聖・大徳
• 紀伊守きのかみ①伊予守の子。源氏の家人で中河辺に風流な家を持ち、その家を源氏の方違えに提供した。ちょうど父の後妻(空蝉)も来ていた。須磨退去のとき誠意を見せなかったので、須磨まで行った弟に差をつけられ、浅慮を恥じる。継母に言い寄って空蝉を出家においこむ。(空蝉2.9)
(呼称)紀伊守・守・朝臣・主・河内守
②薫の家人で小野の大尼君の孫。常陸守の北方(浮舟の母とは別人)の兄弟。任国から上京して薫の伴をして宇治に行く。 (手習53.42)
(呼称)大尼君の孫の紀伊守・紀伊守
• 桐壷院きりつぼいん 父は一院か。前坊・桃園宮・大宮・女五宮などが兄弟姉妹にいる。容姿の美しい女を後宮に集めた。特に桐壷更衣を寵愛し、源氏が生まれた。左大臣の妻である三条の大宮と同腹。桐壺更衣を寵愛したため、「桐壺帝」と呼ばれる。物語では一院(父)→先帝(兄)→桐壷帝→朱雀帝→冷泉帝→今上帝と継承されたとみられる。桐壷更衣亡き後、容貌の似た先帝の女四宮を女御に迎えこの藤壺女御を寵愛した。(桐壷1.1)
桐壷帝(Wikipedia)
(呼称)上・帝・うち・院・院の上・故院・国王・父帝・帝王・院の帝・故院の上
(通称)桐壷院・桐壷帝
• 桐壺院女御きりつぼいんのにょうご ∗藤壺女御(後に中宮)∗弘徽殿女御(後に大后)∗承香殿女御 ∗ハ宮の母女御など。
(呼称)女御
• 桐壷更衣きりつぼのこうい父は故按察使大納言。母北方は名門の出。母北方は、亡き父の遺言を守り娘を桐壷帝の後宮に入れた。帝に寵愛され皇子(源氏)を生む。他の妃たちの妬まれを気にして病気になり、源氏が三歳のとき亡くなる。(桐壷1.1)
桐壷更衣(Wikipedia)
(呼称)母君・御息所・女・桐壷の更衣・母御息所・故御息所・故母御息所・按察使大納言の御娘
• 今上帝きんじょうのみかど朱雀院の皇子。母は右大臣の娘承香殿女御。三歳で立坊。母と共に梨壺に住み、隣の桐壷を宿直所にする源氏に好意を寄せられる。元服の夜、左大臣の三君(麗景殿女御)が入内、二か月後明石姫君入内。明石女御に対する寵が厚い。物語では、桐壷帝→朱雀帝→冷泉帝→今上帝と続いた。(匂兵部卿42.2)
今上帝(Wikipedia)
(呼称)当の御子・男男子・承香殿の御子・春宮・宮・帝・うち・うちの帝・上・国王・君・父帝・内裏の上・当帝・内裏の御前・当時の帝・時の帝
(通称)今上
• 今上帝更衣きんじょうのみかどのこうい今上の帝の四宮(常陸宮)の母。(※)
(呼称)更衣

• 宮内卿宰相くないきょうのさいしょう明石姫君の乳母の父。妻は桐壷院の宣旨。娘は源氏に説得され、明石中宮の乳母になる。(澪標14.5)
(呼称)宮内卿の宰相
• 雲居雁くもいのかり父は頭中将(致仕大臣)。母は、再婚して按察使大納言の北の方となったので、祖母大宮のもとで、従兄弟の夕霧とともに養育された。幼なじみで夕霧と恋しあう。父内大臣は雲居雁を春宮妃にしようという望みを抱き、夕霧との同居を好まなかった。(少女21.10)
雲井雁(Wikipedia)
(呼称)女君・姫君・君・女・三条の北の方、北の方・大将の御方・大将殿の北の方・うへ・三条殿・本妻・三条の姫君・三条の君・母君・大殿の君・母北の方
(通称)雲居雁・三条上
• 蔵人右近将監くろうどのうこんのぞう 父は常陸介、母は浮舟と同じ(中将の君)。浮舟の異父弟。入水の決心後、浮舟はいつもは思い出すこともない兄弟を恋しく思う。薫の引き立てで蔵人左衛門尉(くらうどさえもんじょう)になる。(※)
(呼称)蔵人・将監
• 蔵人左衛門尉くろうどのさえもんのじょう 大原行幸の折、冷泉帝の使者として枝につけた雉と御製を源氏に届ける。(※)
(呼称)蔵人左衛門尉
• 蔵人式部丞くろうどのしきぶのぞう 父は常陸介、母は常陸介故北方で、浮舟の母(中将の君)の継子。宮中から匂宮への使者として二条院へ行く。来合わせていた継母がのぞき見る。(※)
(呼称)継子・式部の丞にて蔵人なる
• 蔵人少将くろうどのしょうしょう①軒端荻の夫。その後軒端萩は、蔵人少将を通わせているそうだ。(夕顔4.12)
②頭中将の子。母は四の君か。致仕大臣(頭中将)の使いで、一条邸へ文使いをする。(竹河44.3)
(呼称)蔵人少将・少将
③夕霧の子、雲居雁腹の五郎だろう。これは先に、宰相中将(五郎)と同一人と特定されている。玉鬘の大君に焦がれているのも同じ。兄たちより大事にされているとされるのも同じ。蔵人少将として、別人とするのは間違いだろう。昇給して宰相中将になった。(竹河44.3)
• 蔵人頭くろうどのとう 内大臣(頭中将)が母大宮を見舞う時従う。(行幸29.10)
(呼称)蔵人頭
• 蔵人兵衛佐くろうどのひょうえのすけ夕霧の子。六男とも七男とも。匂宮の長谷寺参詣に随行する。(椎本46.1)
(呼称)兵衛佐・蔵人兵衛佐・左の大殿の七郎・左大臣殿の四位の少将
• 蔵人弁くろうどのべん①左大臣の子。頭中将の兄弟。夕顔の急死で参内しない源氏を見舞う。左中弁になる(頭中将の異腹の兄弟かと思われる)。(夕顔4.9)
(呼称)蔵人弁・左中弁・弁の君
②桂の院で遊宴する源氏の元へきた、冷泉院の使者。(松風18.15)
(呼称)蔵人弁・御使いの弁

• 下臈侍げろうさぶらい薫の命を受け、弁尼の供をして三条の浮舟の元へ行く。(東屋50.36)
(呼称)下臈侍
• 下臈女房げろうにょうぼう女一宮の女房。(蜻蛉52.29)
(呼称)下臈女房
• 下臈法師げろうほうし 横川僧都の弟子、浮舟を発見した時に居合わせるが怖気つかない。 (手習53.2)
(呼称)下臈法師
• 源少将げんしょうしょう夕霧の四男か、兵衛佐(六男)と兄弟。(竹河44.16)
(呼称)源少将・頭少将・頭中将・中将
• 源少納言げんしょうなごん常陸介の先妻の娘の婿。常陸介邸の東の対に住んでいる。(東屋50.3)
(呼称)源少納言
• 源少納言北方げんしょうなごんのきたのかた常陸介の先妻腹の娘。浮舟の母(中将の君)の継子。(※)
(呼称)むすめ
• 源中将げんちゅうじょう女三宮の女房按察使の君に通う。(若菜下35.42)
(呼称)源中将
• 源中納言げんちゅうなごん 左兵衛督。式部卿宮の子。玉鬘に懸想して歌をおくる。(若菜下35.74)/ 薫もこの職にあった。
(呼称)式部卿の宮の左兵衛督・君・兵衛督・式部卿の宮の兵衛督・源中納言
• 源中納言子げんちゅうなごんのこ紫上の甥にあたる。朱雀院の五十の賀の試楽に六条院で舞う。(若菜下35.74)
(呼称)源中納言の御子
• 源典侍げんのないしのすけ身分もあり才覚もすぐれているが、好色な老女房。後尼となって女五の宮の邸に住み、朝顔の君を訪れた源氏に、昔のままの色めかしさで話しかける。(紅葉賀7.14)
(呼称)内侍のすけ・女・ 内侍・祖母おとど・源内侍

• 五位蔵人ごいのくろうど①源氏の見舞いを受けた大宮に呼ばれて、内大臣(頭中将)が三条宮にでかけるのに従う。(行幸29.10)
(呼称)五位蔵人
②匂宮の乳母の子で、五位の蔵人になった若者。浮舟のもとへ行くとき選ばれて匂宮の供をする。時方と同人か?(※)
(呼称)御乳母子
• 紅梅こうばい頭中将の次男。母は、右大臣の四の君。声が美しい。柏木亡き後、一族の柱となる。夕霧の後任として右大臣になる。娘の婿に匂宮あるいは薫をと思う。初めの北方と死別し、いまの北方は故蛍宮未亡人の真木柱。故北の方との間に娘二人(大君→麗景殿の女御ー今上帝の春宮と中の君)いて、今の北の方の連れ子に娘ひとり(宮の御方)いる。三人は同じ年ごろで仲が良い。(紅梅43.1)
紅梅(Wikipedia)
(呼称)四君腹の二郎・高砂謡ひし君・少納言・弁少将・少将・弁の君・弁・頭弁・左大弁・按察使大納言・故致仕の大臣の二郎・大納言殿・大納言・大納言の君・尚侍の君の御はらからの大納言・藤大納言左大将かけ給へる右大臣・大臣殿・大臣・右の大殿左にておはしける・按察使大納言
(通称)紅梅
• 紅梅北方こうばいのきたのかた紅梅右大臣の最初の北の方。すでに女君二人を残して死去している。のち真木柱が北の方になる。麗景殿の女御と中の君の母。(紅梅43.1)
(呼称)北方・故北方
• 木枯女こがらしのおんな雨夜の品定めで左馬頭が語った体験談のなかの女。他に秘かに殿上人を通わせていた浮気な女。(帚木2.6)
(呼称)女
(通称)木枯女
• 弘徽殿大后こきでんのおおぎさき 右大臣の娘。桐壷帝の女御。第一皇子(朱雀院)の母。第二皇子(源氏)の誕生で春宮の位を奪われるのではないかと疑心暗鬼する。桐壷更衣とのゆかりで源氏を幼少から憎み続け、藤壺とも仲が悪い。源氏を生涯目の敵にする。(桐壷1.6)
弘徽殿女御(Wikipedia)
(呼称)右大臣の女御・一の御子の女御・弘徽殿・御方・女御・春宮の御母・今后・后・大后・母后・大宮・后の宮・宮・大后の宮・朱雀院の后の宮・朱雀院の后・故后の宮・故宮・院の大后・朱雀院の大后
(通称)弘徽殿大后
• 弘徽殿女御こきでんのにょうご ①頭中将の娘。母は右大臣の四の君。父、宰相中将(頭中将)が権中納言になった時、十二歳。冷泉帝の女御となる。女一宮の母。(澪標14.24)
(呼称)四の君の御腹の姫君・権中納言の御娘・弘徽殿の女御・弘徽殿・御娘女御・女御の君・女御殿・御前・故致仕の大殿の女御・母女御・院の女御・女一宮の女御・冷泉院の女御殿
②→弘徽殿大后に同じ
• 小君こぎみ①衛門督の末子。幼く両親に死別し、姉(空蝉)のもとに身を寄せている。空蝉の弟。空蝉との間で、源氏の使い走りをする。(帚木2.12)
(呼称)故衛門督の末の子・中納言の子・小君・若君・右衛門佐・佐
②常陸介の子。母は浮舟と同じ。浮舟は死を決意した時、普段特に思い出さなかった弟を思う。浮舟の死後、薫は母に幼い兄弟たちの後見をすることを申し出る。(夢浮橋54.6)
(呼称)はらから・常陸の子ども・童・兄の童・小君・君
• 小宰相こざいしょう④女一宮(今上帝皇女)の女房。姿、様子が清楚である。心遣いの深い優れた人、と薫は思っていた。匂宮も懸想したが靡かず、薫が浮舟のことで悲嘆にくれているので、慰めに歌を送った。明石の中宮の頼みで、薫に浮舟の生存を伝えた。(蜻蛉52.27)
(呼称)小宰相の君・宰相の君・小宰相・君
• 五師ごし 岩清水極楽寺の僧。玉鬘らは上京した。豊後介は神仏こそと八幡に詣でさせる。五師といって、昔、親の太宰少弐と親しくしかった僧を案内に頼んだ。初瀬詣、を玉鬘に詣でさせた。(玉鬘22.10)
(呼称)かの宮の五郎・大徳
• 小侍従こじじゅう ①雲井雁の乳母子。(少女21.19)
②女三宮の侍女。乳母の娘。伯母が柏木の乳母。柏木は女三宮が忘れられず、柏木が強引に手引を乞うので、断りきれず対面の手引きをする。(若菜下35.39)
(呼称)小侍従・乳主・侍従・侍従の乳母の娘・小侍従君
• 五節ごせち ①雲井雁の継父(按察使大納言)の側室腹の娘。藤壺の亡くなった翌年は五節を奉った。宮仕えの仰せがあった。(少女21.24)
(呼称)五節・娘
②内大臣(頭中将)の弟(左衛門督)の娘。宮仕えの仰せがあった。(少女21.24)
(呼称)五節・娘
③良清(近江守で左中弁)の娘。藤壺の亡くなった翌年の五節の一人。(少女21.24)
(呼称)五節・娘
④近江君の侍女。近江君と双六を打ったりする。(常夏26.10)
(呼称)五節の君・五節・君
• 故大将殿こだいしょうどの左近少将の父。常陸介が若い頃、仕えていた。(東屋50.5)
(呼称)故大将殿
• 五君ごのきみ①右大臣の五女。源氏は朧月夜を知ったあと、弘徽殿女御の妹の五六の君ではないかと推量した。(※)
(呼称)五六の君
②夕霧の五女。母は雲井雁。(夕霧39.45)
(呼称)五君
• 五宮ごのみや①今上帝の第五皇子。母は明石中宮。(匂兵部卿42.10)
(呼称)后腹の五宮
②→女五宮に同じ
• 高麗人こまうど明石姫君の裳着のため、源氏は準備する。その中で新しいものはよくないと、桐壷院の御世の初め、高麗人が奉った綾・緋金錦など世になくすぐれているとして用意した。(花宴8.5)
(呼称)高麗人
• 高麗相人こまのそうにん 源氏が書き始めのころ高麗人が来朝したが、その中の一人。相人は、源氏の相を見て驚き、源氏の並々ならぬ未来を占った。光源氏という名は高麗人のでつけた名という。(桐壷1.11)
(呼称)高麗人・相人
• こもきこもき 小野の妹尼の女童。浮舟が意識を回復して、妹君の侍従とともに浮舟の召使になった。(手習53.15)
(呼称)こもき
• 惟光これみつ大弐の乳母の子。源氏とは乳兄弟。腹心の家来の一人であり、数多くの源氏物語の登場人物の中で本名が明らかにされている数少ない人物の一人である。/ 乳兄弟。のち、参議まで出世。源氏の須磨・明石流浪の間もつき従った腹心。藤典侍の父。/惟光は宰相にまで昇った一方自身の登場の機会は大きく減ったが、娘の藤典侍が光源氏の子夕霧の側室となって多くの子を産み、男の子供は夕霧に仕える人物として姿を見せている。(夕顔4.1)
藤原惟光(Wikipedia)
(呼称)惟光・惟光の朝臣・大夫・民部大輔・大輔・摂津の守・左京大夫・朝臣・父主・惟光の宰相
• 惟光父乳母これみつのちちのめのと現在は尼になって東山に住んでいる老女。惟光が夕顔の亡骸を運んで来た。子供の大徳が、夕顔の葬儀に経を読む。(夕顔4.8)
(呼称)惟光が父の朝臣の乳母・尼君
• 惟光妻これみつのつま 娘(藤典侍)に夕霧から懸想文が来たのを喜んだ惟光から、見せられる。(少女21.27)
(呼称)母君
• 権中将ごんちゅうじょう夕霧の子。雲居雁腹の五郎君(椎本46.1)
(呼称)五郎君・権中将
• 権中納言ごんちゅうなごん ① 左大臣の子で、葵上・頭中将の異腹の兄弟。父左大臣の遺志に従って、同腹の左衛門督とともに継母の大宮のもとに親しく出入りする。(少女21.21)
(呼称)権中納言・春宮大夫
②夕霧の子。母は藤典侍。花散里が養育する。夕霧の次男。(匂兵部卿42.10)
(呼称)二郎君・典侍腹の君

• 斎院さいいん ①桐壷帝の御代の賀茂の斎院。侍従君(末摘花の乳母子)も参り通ってきている。桐壷帝譲位により任期が終わる。(葵9.2)
(呼称)斎院
②賀茂祭の御禊に、女三宮から女房十二人を手伝いに遣わされる。(若菜下35.42)
伊勢神宮の斎王を「斎宮」と、賀茂神社の斎王を「斎院」とそれぞれ居所から呼ばれる。
斎宮・斎院については次のブログが詳しい。和楽 このブログによると、源氏物語で斎院は二人、朝顔の君と女三宮(桐壷帝と弘徽殿女御の娘)、斎宮は一人秋好中宮のみである。
• 斎宮女御さいぐうのにょうご→秋好中宮に同じ。
• 宰相さいしょう ①朱雀院行幸の折、舞楽をつかさどった二人の参議。(紅葉賀7.3)
(呼称)宰相
②夕顔の伯父。娘(宰相の君)は、源氏に引き取られて玉鬘に仕える。(蛍9.11)
(呼称)宰相
③娘は冷泉帝の更衣である。(真木柱31.18)
(呼称)宰相
• 宰相君さいしょうのきみ①夕霧の乳母。葵上の死を悲しむ源氏と大宮の間の、歌の使いをする。(葵9.11)(須磨12.2)
(呼称)若君の御乳母・宰相の君・宰相の乳母・御乳母・男君の御宰相の乳母
②夕顔の伯父宰相の娘。玉鬘の侍女になる。(蛍25.2)
(呼称)宰相の君
③秋好中宮の侍女。(野分28.6)
(呼称)宰相の君
④玉鬘に仕える上臈の女房。②宰相の君も同じ人物か?(竹河44.6)
(呼称)宰相の君・御方の宰相の君
• 宰相中将さいしょうのちゅうじょう夕霧はこの職にあった。/おそらく、夕霧の子(五男か六男)で、母は雲井雁。玉鬘の娘大君を熱望する。元の蔵人少将。昇進して三位中将から宰相になる。竹河・総角参照のこと。 (竹河44.30)(総角47.33)
(呼称)六郎君・大将殿の君達・右の大殿の蔵人少将・君・蔵人少将・蔵人の君・少将・男・少将の君・三位中将・中将・三位の君・宰相・左の大殿の宰相中将・宰相中将
※この人物の昇進は早く、物語後半の主たる登場人物に仕立てようとする、意図がうかがえる。
竹河左大臣が亡くなり、三位中将から宰相になる。官位は昇進したが、大君(玉鬘の娘)を得られないのでうれしくないと泣く。匂宮が薫とともに宇治へ紅葉狩りに行くのに従う。宰相中将は、藤裏葉では、夕霧の職位であったし、夕霧もこの役職についていた、澪標では頭の中将が宰相中将であり、橋姫では薫の役職であった。主要な登場人物が皆この役職についている。
• 宰相娘さいしょうのむすめ父は宰相。冷泉帝の二人の更衣のうちの一人。(※)
(呼称)宰相の御娘
• 左衛門さえもん小野の妹尼の侍女。初詣での時、残る浮舟のために少将の尼と留守番する。横川の僧都のお供で来た知人を接待している間に、浮舟が剃髪したのに驚く。(手習53.33)
(呼称)左衛門
左衛門督さえもんのかみ①左大臣の子で、頭中将とは異母兄弟。故左大臣の遺志に従って、同腹の権中納言とともに、実母ではない大宮の許に子息を連れて親しく出入りする。(少女21.3)
(呼称)左衛門督・藤大納言
②入内する明石姫君の仮名手本を源氏に依頼される。(梅枝32.10)/ この人物は、式部卿(紫の上の父)の子息。紫の上の異母兄弟。(式部卿の宮の左兵衛の督は、殿の上の御はらからぞかしー藤袴p199,22 新潮)
(呼称)左衛門督
③夕霧の長男。雲居雁腹。(鈴虫38.9)
④柏木の弟、のちの紅梅(鈴虫38.9)
• 左衛門乳母さえもんのめのと大弐の乳母に次いで源氏が大切にした乳母。兵部大輔との間に娘(大輔命婦)があり、のちに筑前の守の妻となって下る。(※)
(呼称)左衛門乳母・母・妻
• 左近さこん落葉宮の侍女。(※)
(呼称)左近
• 左近少将さこんのしょうしょう故大将殿の子。二十二、三歳。浮舟に熱心に求愛するが、浮舟が常陸介の継娘であることを知り、急に態度を変え、実子の娘と結婚をする。常陸介の娘婿。(東屋50.2)
(呼称)左近少将・君・少将・少将の君・左近少将殿・少将殿・朝臣・殿・男君・客人・常陸守の婿の少将
• 左近少将北方さこんのしょうしょうのきたのかた常陸介の娘で、母は浮舟と同じ中将の君。浮舟との婚約を破棄して父に取り入った左近少将と結婚する。(※)
(呼称)姫君・守の娘・守の殿の御女・女の童・女子・娘・少将の妻・少将の方
• 左近少将北方乳母さこんのしょうしょうのきたのかたのめのと常陸介の娘と左近少将の結婚式の準備をする。(※)
(呼称)乳母
• 左近中将さこんのちゅうじょう冷泉帝の午前で絵合わせが催されることを聞いた朱雀院から、梅壺女御(秋好中宮)にすばらしい絵巻が贈られた時の使いをする。(絵合17.10)
(呼称)左近中将
• 左近命婦さこんのみょうぶ桐壷院に仕える。肥後の采女とともに赤鼻で有名な女房。(※)
(呼称)左近命婦
• 左少将さしょうしょう冷泉帝、朱雀院が六條院に行幸した折、池の魚を取って奉る。
(呼称)左少将
• 左大将さだいしょう①朱雀院行幸の日、青海波を舞う源氏の冠に挿した紅葉を菊に取り換える。
(呼称)左大将
②髭黒のこと。その後右大臣になる。春宮(今上帝)に娘を入内させようと思うが、源氏が明石姫の入内を望んでいることを知り思いとどまる。
夕霧も左大将であった。髭黒の後任か。(若菜下35.6)
(呼称)左大将
• 左大臣さだいじん①源氏元服の折、引き入れ役をつかさどり、その夜、春宮より望まれていたみこ腹の一人娘(葵上)を源氏の添臥しにする。源氏の義父。帝の信任厚く、妻は桐壷帝の同腹の妹宮であるうえ、源氏も婿になったので、右大臣を物ともしない勢いである。源氏帰京後、冷泉院の即位により源氏から譲られて63歳で太政大臣になる。その後、世の中のことはこの太政大臣と源氏の思いのままである。(桐壷1.14)(賢木10.8)
左大臣(Wikipedia)
(呼称)引入の大臣・大臣・大殿・殿・左の大殿・致仕の大臣・摂政・太政大臣・祖父大臣・故大殿・故大臣・故殿
(通称)左大臣・摂政太政大臣
②冷泉帝の女御(左大臣女御)を娘に持つ。冷泉帝の大原行幸に従ったのも同人と思われる。(真木柱31.18)
(呼称)左の大殿・左右の大臣
③春宮(今上帝)の元服にあたり、娘の三の君(麗景殿女御)を添臥にする。すでに故人だが、在世中は権勢はなやかであったため遺産も多く、娘の藤壺の女御(麗景殿女御)は経済的に恵まれている。この左大臣の三の君は、今上帝に入内した藤壺女御で、麗景殿女御でもある。②③は同一人物と思われる。(梅枝32.6)
(呼称)左大臣殿・故左大臣殿・父大臣
• 左大臣女御さだいじんのにょうご冷泉帝の女御の一人。父は左大臣。左大臣の系図不詳。(真木柱31.18)
(呼称)左の大殿の女御・女御たち
• 左中弁さちゅうべん
①夕霧の字付けの式後の詩宴で講師をする。(少女21.5)
(呼称)左中弁
②頭の中将の異腹の弟。(若紫5.5)夕顔では蔵人の弁。(夕顔4.9)※全体系図で蔵人弁で載ってる人か。
③女三宮の乳母の兄で、源氏に親しく仕え、朱雀院にも長く仕えている。(若菜上34.7)
(呼称)左中弁・弁・某の朝臣
④柏木の乳母の夫・宇治の弁尼の父。宇治の姫君の母北方の叔父。(椎本46.17)
(呼称)父方・父・左中弁
• 讃岐守さぬきのかみ常陸介の前北方腹の娘婿。(東屋50.3)
(呼称)讃岐守
• 讃岐守北方さぬきのかみのきたのかた常陸介の前北方腹の娘。(※)
(呼称)娘
• 三条さんじょう玉鬘の下女。夕顔に久しく仕えていた下女で、夕顔失踪後もずっと玉鬘に仕えている。玉鬘の初詣に従って椿市で右近に再会する。(玉鬘22.12)
(呼称)三条
• 三君さんのきみ夕霧の三女で母は藤典侍。典侍腹の子供たちは容姿端麗で才覚があり、同腹の二郎君と共に花散里の養子になっている。「左大臣殿の三の君参りたまひぬ。麗景殿と聞こゆ」(梅枝32.6)
(呼称)三の君
• 三位中将さんみのちゅうじょう夕顔の父。官位昇進の覚束なさを気にかけながら早くに没する。(夕顔4.11)
(呼称)三位中将・三位の君

• 四位少将しいのしょうしょう①右大臣の子。桜花の宴の翌日、姉妹にあたる弘徽殿女御や朧月夜の退出を見送る。右大臣邸で催された藤花の宴に、源氏を招待する使者となる。(花宴8.3)
(呼称)四位少将
• 式部しきぶ春宮(冷泉院)に仕えている老乳母か女房。(帚木10.11)
(呼称)式部
• 式部卿宮しきぶきょうのみや先帝の皇子で藤壺中宮の兄。紫の上の父。母后の死後、妹藤壺を入内させる。按察大納言の娘のもとに通い、紫上が生まれる。流浪中の源氏に冷淡で世評を気にしていたため、帰京した源氏から疎んぜられる。先帝の皇子であり、藤壺中宮の兄である。朝顔の君の父の桃園式部卿宮死去をうけて、兵部卿宮→式部卿宮となる。式部卿は、親王(皇族男子、天皇の兄弟、皇子)が任ぜられるのが恒例であった。(葵9.2)
(呼称)兵部卿の親王・尿部卿の宮・宮・父宮・親王・父親王・式部卿宮・式部卿・式部卿の親王・祖父宮・大宮
兵部卿(Wikipedia)
②故式部卿の宮。具体的には不明な人物。陽成院から相伝した笛を柏木に贈る。のちに夕霧を経て薫にわたる。(横笛37.2)
(呼称)故式部卿の宮・宮
③今上帝の二の宮、母は明石の中宮。その楽才で源氏に将来を嘱望される。紫上や源氏亡き後、六条院を里下がりの休み所にして、梅壺を曹司にしている。夕霧の娘(中君)を妻にし、次の春宮候補としての評判も高く、人柄はまじめである。明石中宮の伯父(蜻蛉の宮)の死後、代わって式部卿を継ぎ、身分柄、気軽に明石中宮の所にも行けない。 (蜻蛉52.27)
(呼称)御子たち・二の宮・式部卿
④→蜻蛉式部卿宮・蜻蛉宮に同じ。
• 式部卿宮大北方しきぶきょうのみやのおおきたのかた紫上の継母。夫が按察使大納言の娘(紫上の母)に通ったのを嫉妬し、身分をかさにきて紫上の母を威す。自分の娘たちがはかばかしくないのに引き換え、継子の紫上の幸運を嫉妬する。(※)
(呼称)もとの北方・北方・継母の北方・母北方・大北方・式部卿宮の大北方
• 式部大輔しきぶのたいふ夕霧が源氏の前で寮試の模擬試験を行った時に召された。(少女21.7)
(呼称)式部大輔
• 侍従じじゅう①式部卿宮の子で髭黒北方の兄。父の命により兄弟の中将や民部大輔とともに髭黒北方を迎えに来る。(真木柱31.12)
(呼称)侍従
②蛍宮の子。父の命で、明石姫君に贈る「古万葉集」や「古今集」の古能筆を宮邸から六条院へ持参する。源氏から立派な唐本や高麗笛をもらう。(梅枝32.11)
(呼称)侍従の君
③浮舟の侍女。右近とともに浮舟の侍女。②侍従の君に同じ。(蜻蛉52.6)
③蜻蛉宮の子で宮の君の兄。宮の君の不幸に同情する明石中宮に宮の君をあずける。(※)
(呼称)御兄の侍従
④小野の妹尼の侍女で、こもきと二人だけで浮舟付きとなる。(手習53.15)
(呼称)侍従
• 侍従君じじゅうのきみ①末摘花の乳母の子。才ある若女房。源氏からの後朝の文の返事の書き方を末摘花に教える。時々斎宮の処に通っていたが、斎宮が亡くなり、大弐の甥と結婚したので、一緒に太宰府へ下る。(蓬生う15.12)
(呼称)女君の御乳母子侍従・侍従・侍従君・御乳母子
②浮舟の侍女。薫が浮舟を三条の隠れ家から宇治へ移す時に同乗する。→侍従③の同じ。
(呼称)若き人・侍従・侍従君
• 侍従宰相じじゅうのさいしょう夕霧の子。四男。匂い宮の初詣に兄弟と一緒にお供する。(椎本46.1)
(呼称)四郎君・侍従宰相
• 侍従内侍じじゅうのないし藤壺中宮が女房たちに絵合わせをさせたときに、秋好中宮方として出席する。(17.8)
(呼称)侍従内侍
• 侍従乳母じじゅうのめのと女三宮の乳母で娘(小侍従)も女三宮に仕えている。姉は柏木の乳母。(若菜下35.39)
(呼称)宮の御侍従の乳母・乳母
• 四君しのきみ①右大臣の娘。弘徽殿の大后、朧月夜の姉妹。父の政治的配慮で左大臣の息子(頭中将)と結婚する。夕顔を脅迫で威圧し、姿を隠す原因となった。(桐壷1.15)
(呼称)四の君・右の大殿・北の方・姉北の方・母北の方・上・母上
②夕霧の四女。母は雲井雁。(夕霧39.45)
(呼称)四の君
• 四皇子しのみこ桐壷帝の第四皇子で母は承香殿の女御。朱雀院行幸の折、まだ童であったが秋風楽を舞う。(紅葉賀7.3)
(呼称)承香殿の御腹の四の御子
• 承香殿女御じょうきょうでんのにょうご①桐壷帝の女御で四の皇子の母。(紅葉賀7.3)
(呼称)承香殿
②朱雀帝の女御。今上帝の母。もうひとりの右大臣(別の家系)の娘。二歳になる男御子がいる。以前は朧月夜に朱雀院の寵愛を奪われたが、今は春宮につきそって幸福である。兄弟に頭中将や髭黒大将がいる。御子が春宮になる。(若菜下35.6)
(呼称)承香殿・右大臣の娘承香殿の女御・春宮の御母女御・春宮の女御・母女御・女御・女御の君
• 少将しょうしょう①末摘花の乳母子(侍従の君)の伯母。侍従の君が九州へ下向した後も末摘花に仕えた。源氏が荒れた邸を探らせ、応対したのがこの少将。(蓬生15.13)
(呼称)少将
②明石姫君の女房。明石姫君が大井から二条院へ養女となって移るとき、同乗した。(薄雲19.4)
(呼称)少将
③落葉宮の侍女。御息所に幼なくより育てられた。御息所の甥である大和守の妹。夕霧との文の交際を取り次ぐ。(柏木36.24)
(呼称)少将の君・小少将の君・大和守の妹・小少将
④中君の女房。(宿木49.35)
(呼称)少将
• 少将尼しょうしょうのあま小野の妹尼の弟子。浮舟の隠れている小野で、月夜、妹尼は琴を、少将の尼は琵琶を合奏する。浮舟と碁をする。(手習53.20)
(呼称)少将の尼君・少将・少将の尼・尼
• 少将命婦しょうしょうのみょうぶ①大弐の乳母の娘、惟光の姉妹らしい。(夕顔4.10)
(呼称)少将の命婦
②絵合わせで論ずる女房として出席、梅壺の方にいた。三河守の妻と同一人物か。(絵合17.8)
(呼称)少将の命婦
• 少納言乳母しょうなごんのめのと紫上の乳母。いぬきが紫上が飼っていた雀をにがしたので、いぬきを叱る。源氏と惟光は強引に紫の上を車に乗せ、少納言も同乗して二条院へ渡る。(若紫5.3)
(呼称)少納言の乳母・少納言・乳母

• 随身ずいじん源氏の随身。垣根の白い花は「夕顔」であると源氏に答える。源氏と夕霧の歌の使いをする。(夕顔4.1)
(呼称) 御随身・ありつる御随身・随身・夕顔のしるべせし随身
• 末摘花すえつむはな常陸の宮の晩年に生まれた姫君。時々通っている大輔の命婦の話から、興味本意で源氏が関心を寄せる。不美人で鼻が長く赤い。父宮亡きあと、旧邸にひっそり暮らしている。(末摘花6.6)
末摘花(Wikipedia)
(呼称)御むすめ・姫君・常陸宮・女君・宮・君・末摘花・常陸宮の君・常陸宮の御方・女・常陸君
• 末摘花乳母すえつむはなのめのとすでに故人。娘侍従君の母。侍従に末摘花のことを遺言して死んだ。(若紫5.12)
(呼称)故まま・まま
• 朱雀院すざくいん桐壷院の第一皇子。母は弘徽殿女御。春宮となり、即位して朱雀帝となる。 春宮時代に葵の上を妃にと申し入れたが、左大臣に断られる。その後朧月夜が入内する予定だったが、これも源氏との密通により中断を余儀なくされ(その後朧月夜は尚侍として出仕)、結局有力な妃のない朱雀帝の後宮に中宮は立たなかった。気性が柔和で母后や外祖父に逆らえず政務が思うにまかせない。源氏と典侍(朧月夜)の関係を知っているが咎めない。娘の女三宮を源氏に降嫁させる。(若紫5.12)
朱雀院(Wikipedia)
(呼称)一の皇子・一宮・春宮・主上・帝・上・内の上・当院・院・院の帝・朱雀院・院の上・朱雀院の帝・主の院・一の院・父帝・入道の帝・山の帝・御山・故朱雀院
• 修理太夫すりのかみ①源典侍の元恋人。(紅葉賀7.15)
(呼称)修理大夫
②別系統の左大臣の子。大蔵卿の弟。今上の帝の麗景殿の女御は異腹の妹。(宿木49.2)
(呼称)修理大夫
• 修理宰相すりのさいしょう親しくしていた源氏から、秋好む中宮入内の準備の采配を任された。(絵合17.2)
(呼称)修理宰相
• 受領ずりょう①末摘花の住む、荒廃した故常陸邸を買いたいと申し出る。(蓬生15.2)
(呼称)受領ども
②匂宮の乳母の夫。遠い任国へ妻(乳母)と共に下る。下京にあるこの家に匂宮は浮舟を隠そうとする。(浮舟51.31)
(呼称)受領・家主

• 宣旨せんじ①桐壷院の女房。宣旨が亡くなったあと、その娘は明石の姫君の乳母になった。
(呼称)故院にさぶらいし宣旨・母 (桐壷1.14)
②朝顔姫君の女房。女五宮の見舞いにかこつけて、朝顔の君を訪問した時、この宣旨が対面した。(朝顔20.2)
(呼称)宣旨
• 禅師君ぜんじのきみ横川僧都の弟子。小野の妹尼の娘婿にあたる中将の弟。横川僧都のもとで山籠もりをしていた。(蓬生15.3)
(呼称)禅師君・弟
• 宣旨娘せんじのむすめ明石中宮の乳母。桐壷院の宣旨の娘。宮内卿の宰相の子。明石の姫君が生まれたとき、明石にはよい乳母もなかろうと、宣旨の娘を乳母に選んで送った。その後、ずっと明石の姫君に同行する。京の大井に移り、六条院の紫の上の処にも移る。(澪標14.5)
(呼称)宣旨の娘・乳母・女御の御乳母
• 先帝せんだい せんてい桐壷帝の前の天皇。女四宮(藤壺中宮)、藤壺の女御(女三宮の母)、式部卿の宮などの父。この人の四宮が桐壷帝に入内、藤壺とよばれる。皇位は、一院→先帝→桐壷帝と継がれた。このことは、このブログに詳しい。(桐壷1.12) 一院・先帝 
先帝(Wikipedia)
(呼称)先帝
• 先帝更衣せんだいのこうい藤壺の女御の母。家柄は高くなかった。早逝した。(※)
(呼称)更衣
• 先帝后せんだいのきさき藤壺中宮・式部卿宮の母。桐壷帝は桐壷更衣のことが忘れられない。そんな折、更衣に似ている、先帝の四宮のことを聞く。四宮の母后は桐壷の更衣のような目に合うのを恐れ、入内の申し入れを受けかねてうるうちに亡くなった。(※)
(呼称)母后・宮・后宮・后・入道宮の御母后
• 前大王せんだいおう明石の入道は源氏の筝の音をほめた後、延喜の御年から弾き伝えたが、自分をまねる者がおり、前大王の手法に通じていると語る。(※)
(呼称)前大王
• 前坊ぜんぼう秋好の中宮の父。桐壷帝と実兄弟でたいそう仲が良かった。六條御息所が十六の時、結婚し、二十の時前坊は亡くなった。(葵9.1)
(呼称)前坊・故宮・故前坊・父宮

• 帥親王そちのみこ桐壷院の皇子。源氏の弟。源氏が花散里に兵部卿の宮(蛍宮) のことを評していうと、花散里は帥親王について、顔などはよいが、蛍宮には劣り、諸王らしい様子であると評する。(花宴8.2)
(呼称)帥の親王

• 醍醐阿闍梨だいごのあざり常陸宮の子。末摘花の兄。末摘花の処には訪れる人もなく、この禅師がたまに来る。世離れした聖僧。(初音23.7)
(呼称)禅師の君・聖・醍醐阿闍梨君
• 大徳だいとこ①惟光の父の乳母の子。源氏らは夕顔の死骸を東山に運び、供養する。その地の尼君の子である大徳の声は尊い。(夕顔4.10)
(呼称)大徳
②長谷寺の僧。右近が昔から知っている大徳。(玉鬘22.10)
(呼称)大徳・法師
③明石入道の弟子。童の時京より下り、老法師になるまで仕えた。(若菜上34.71)
(呼称)大徳・古人
④紫上の加持をする。源氏、紫上落飾を命じようとする。(御法40.9)
(呼称)大徳たち
⑤宇治の阿闍梨の寺の僧。薫は布施をするだろうと絹などを贈った、行が果てた日、八宮はそれらを大徳たちにつかわした。(橋姫45.17)
(呼称)大徳たち
⑥浮舟の乳母子。浮舟の仮の葬を行った。(手習53.2)
(呼称)乳母子の大徳
• 大内記だいないき夕霧の学問の師。夕霧が寮試験を受ける前、予備試験をした。その時召された。一風変わり者で、才学の割には、世に登用されず貧しかったのを、源氏の目にとまって、夕霧の師に召される。(少女21.7)
(呼称)御師・大内記
②→道定 みちさだに同じ。
• 大納言だいなごん雨夜の品定めで、馬頭の話の中、第二の体験談で、大納言の家に行く途中、女の家に行ったとある。(帚木2.6)
(呼称)大納言
• 大納言君だいなごんのきみ今上帝の女一の宮の女房。明石中宮に薫が小宰相と仲がよいことなどを語り、ついでに浮舟が身投げしたのではないかという噂をする。(蜻蛉52.32)
(呼称)大納言の君
• 大弐だいに女三の宮の女房。(蜻蛉52.30)
(呼称)大弐
• 大弐典侍だいにのないしのすけ初度の絵合わせで、弘徽殿方の右の方にいた。(絵合17.8)
(呼称)大弐典侍・右の典侍
• 大弐乳母だいにのめのと惟光の母。源氏の一番の乳母。源氏の六条あたりの忍び歩きの頃、尼になって病に伏していた時、源氏が見舞ったのを喜ぶ。(夕顔4.1)
(呼称)大弐乳母・尼君・乳母・大弐
• 大弐乳母娘だいにのめのとのむすめ①惟光の妹。夕顔を埋葬した時、誰にもしゃべるなと注意するとき、対象に名がでてくる。(夕顔4.10)
(呼称)娘・少将命婦
• 大夫たいふ紅梅の子。母は真木柱。紅梅は真木柱に通い、男の子がなかったので神仏に祈って男子が生まれた。これが大夫である。匂宮は内裏で大夫を見つけると、召しまつわす。(紅梅43.2)
(呼称)男君・若君・君
(通称)大夫
大輔君たいふのきみ①紫上の女房。二条院に迎えようと源氏は紫上邸にきて、紫上を抱きかかえて邸を出たので、大輔は少納言とともに驚く。(若紫5.13)
(呼称)大輔
②弘徽殿女御の女房。(常夏26.18)
(呼称)大輔
③内裏君(玉鬘の次女)の女房。(竹河44.12)
(呼称)御方の大輔君
④宇治中君の侍(宿木49.32)
(呼称)大輔君・大輔・大輔の御
• 太夫監たいふのげん肥後の国の豪族。無骨な心にも好き心があって、玉鬘に求婚する。年の頃は三十位で、丈高く、太り、荒々しいふるまいをする。(玉鬘22.5)
(呼称)大夫監・監
• 大輔命婦たいふのみょうぶ兵部大輔の娘。左衛門の乳母(源氏の二番目の乳母)の娘。色好みの若人で源氏も召し使っている。内裏に仕える。母が筑前守の妻になって下ったので、父の邸を里にして、宮使いしている。末摘花邸に時折通っている。源氏を末摘花に手引する。(末摘花6.9)
(呼称)娘・大輔命婦・命婦
• 大輔乳母たいふのめのと雲井雁の乳母のひとり。夕霧を六位ふぜいとさげすむ。(藤裏葉33.13)
(呼称)乳母・浅緑聞こえごちし御めのとども・大輔乳母
• 平重経たいらのしげつね中宮職の役人。匂い宮が浮舟に言い寄っているときに、明石中宮の病を二条院へ知らせに来る。(東屋50.24)
(呼称)宮の侍
• 竹河左大臣たけがわのさだいじんだい竹河の巻にのみ現れる左大臣。その死去で夕霧が後任になる。娘が夕霧の子(三位中将、蔵人少将)の妻になっている。(※)
(呼称)左大臣
(通称)竹河左大臣
• 竹河左大臣娘たけかわのさだいじんのむすめ夕霧の子(宰相中将)と結婚。あまり思われなかった。(※)
(呼称)左大臣御娘
• 太宰少弐だざいのしょうに夕顔の乳母の夫。夕顔の消息が知れぬまま、乳母の夫が太宰少弐になったので、筑紫に下った。玉鬘も同行した。玉鬘を必ず上京させるよう遺言した。豊後介・兵部君の父。(玉鬘22.1)
(呼称)少弐・故少弐
• 太宰少弐妻だざいのしょうにのつま夕顔の乳母。豊後介・兵部君の母。夕顔が右の大殿の北の方からの脅迫におびえて頭中将から姿を消し、隠れていたこともある。源氏が夕顔を見出した家の主は乳母の娘である。夕顔が行方不明になったので、夫が太宰少弐になった時、一緒に筑紫へ下った。玉鬘は乳母の家で養育された。(※)
(呼称)めのと・西の京の乳母・祖母おとど・おとど・母おとど・老い人・昔人
• 太宰大弐だざいのだいに①筑紫の五節の父。源氏が須磨にいるとき大弐は任期が満ちて都に上った。途中、須磨で子の筑前の守を源氏の元に遣わし消息した。(須磨12.16)
(呼称)大弐・帥・親
②末摘花の叔母にあたる人の夫。受領であったが大弐に昇進して、九州に下った。①の後任か。(蓬生15.5)
(呼称)大弐・家主
③玉鬘たちが九州にいたときの太宰大弐。玉鬘の侍女の三条は初瀬詣で右近にばかにされて大弐の北の方の観世音参詣の豪華さをいった。しかし玉鬘が六条院に迎えられてから後、大弐をあなどるようになった。(玉鬘22.15)
(呼称)大弐の御館の上・大弐
④源氏に舶来品を献上する。明石の姫君の裳着と入内の準備のため、源氏は薫物を合わせる。大弐の奉った香は昔に劣っていると思う。③の後任か。(梅枝32.1)
(呼称)大弐
• 太宰大弐甥だざいのだいにのおい末摘花の乳母子(侍従の君)と結婚して、筑紫に下る。 (蓬生15.6)
(呼称)大弐の甥だつ人
• 太宰大弐北方だざいのだいにのきたのかた①娘たちを伴って舟で京に上る折、源氏がわび住まいする須磨を通り、趣のある所だと思う。(蓬生15.16)
(呼称)北の方
②末摘花の母北の方の妹。姉(常陸)に受領の妻になったことを軽蔑された返事に、末摘花を娘の侍女にしようとする。
(呼称)受領の北の方・大弐の北の方
• 玉鬘たまかずら父は頭中将(致仕太政大臣)、母は夕顔。夕顔の乳母に養育され、乳母の夫(太宰少弐)に伴われて筑紫へ下る。夕顔より品位があり美しく求婚者が多く、乳母は玉鬘を「自分の孫」ということにして、病気で結婚できないと断り続ける。肥後の国の豪族(大夫監)の強引な懸想から逃れ、上京して九条の旧知の人の家に宿る。初瀬に詣でた時偶然夕顔の侍女(右近)に再会し、実父の頭中将は子どもが多く、六条へ来る好色な貴公子たちの気をもませる種にしようと、源氏が預かることになる。典侍になり、髭黒の北の方になる。(玉鬘22.2)
玉鬘(Wikipedia)
(呼称)撫子・大和撫子・若君・君・姫君・故少弐の孫・少弐の孫・女君・御方・藤原の瑠璃の君・夕顔の露の御ゆかり・西の対・西の対の姫君・太政大臣の御娘・内侍・内侍の殿・殿・前の内侍かんの君・大上・前の内侍ないしのかんの君
• 玉鬘の侍女たまかずらのじじょ蔵人少将が玉鬘邸の人々がみんな薫に心を寄せるのを嘆いて詠んだ歌に返歌する。(※)
(呼称)うちの人

• 筑前守ちくぜんのかみ①源氏の乳母(左衛門の乳母)の後の夫。源氏に末摘花を手引きした大輔の命婦の継夫にあたる。(末摘花6.2)
(呼称)筑前守
②太宰大弐の子。筑紫五節の兄。源氏の推挙で蔵人となる。(須磨12.16)
(呼称)筑前守・守
• 中宮亮ちゅうぐうのすけ六条院の秋好中宮付き。季の読経の折、紫上から遣わされた舞の童女に中宮からの禄を与える。(胡蝶24.5)
(呼称)宮のすけ
• 中宮大夫ちゅうぐうのだいぶ①藤壺中宮付き。三条宮へ退出した藤壺のもとに源氏が忍んでいった明け方、心地を悪くした藤壺に祈祷の手配をする。(※)
(呼称)大夫
②秋好中宮付き。女三宮が出産した薫の五日の産養を行うとき参上する。(※)
(呼称)大夫
③明石中宮付き。宇治八宮の娘中君を訪ねようとの下心で宇治紅葉狩りにやってきた匂宮を、明石中宮の命で迎えに行き、歌を詠む。(※)
(呼称)宮の大夫・宮大夫・大夫
• 中将ちゅうじょう
①式部卿宮の次男。父式部卿宮の命で、兄弟と共に、髭黒の北方を引き取りに行く。(※)
(呼称)中将
②小野の妹尼の娘婿。亡妻の母が住む小野を訪問、浮舟をかいま見る。弟は横川僧都の弟子の禅師の君。(※)
(呼称)婿・尼君の昔の婿の君・君・中将殿・客人・男君・男
• 中将御許ちゅうじょうのおもと①六條御息所の女房。源氏十七歳の秋、六条御息所を訪ねた源氏を、霧の深い朝、見送る。 (夕顔4.4)
(呼称)中将のおもと・中将の君
②髭黒の女房で木工の君とともに髭黒の召人。北の方と共に式部卿の宮に引き取られる。北の方が父式部卿邸ひきとられるとき、同行して、残る木工の君と別れを惜しむ。(真木柱31.7)
(呼称)中将のおもと・中将
③玉鬘の女房。夕霧の六郎君の蔵人少将(宰相中将)から玉鬘の長女(御息所)への文の仲介をする。夕霧の六郎君の蔵人少将から玉鬘の長女への文を仲立ちする。(竹河44.14)
(呼称)中将のおもと・中将・れいの人
④今上帝の女一宮の女房。秋、女房の局に歌を詠みかけた薫に返歌する。(蜻蛉52.40)
(呼称)中将の君・中将のおもと
• 中将君ちゅうじょうのきみ①空蝉の女房。紀伊守の中川家へ方違えにきた源氏が、空蝉に忍びよったのを見て驚く。(帚木2.11)
(呼称)中将君・中将・中将だつ人
②六条御息所の女房 (※)
③源氏付きの女房。源氏の若いころからの侍女で、葵上の忌があけて二条院に帰った源氏の足をさする。須磨下向時は紫上に仕える。(葵9.11)
(呼称)中将君・中将
④朝顔姫君の女房。朝顔姫君が斎院になった後も、源氏の文を取り次ぐ。(賢木10.13)
(呼称)中将・中将君
⑤浮舟の母。宇治の八宮の北の方の姪。八宮がまだ京にいたころ、仕えていた上臈の女房で、北の方が亡くなったあと、八宮の愛を受けて浮舟を生んが、八宮は認知しなかった。陸奥守(常陸介)の妻となって下った。(宿木49.43)
(呼称)母・中将君・陸奥守の妻・母君・母北のかた・母上・内の御方・北方・女・常陸殿・客人の母君・親・上・筑波山・常陸前司某が妻
浮舟の母(Wikipedia)
• 中将命婦ちゅうじょうのみょうぶ藤壺午前の絵合わせに梅壺女御方として出席。(絵合17.8)
(呼称)中将命婦
• 中納言ちゅうなごん娘が冷泉帝に入内する、更衣の父。(真木柱31.18)
(呼称)中納言
• 中納言君ちゅうなごんのきみ①葵上付の侍女。源氏の召人。源氏が長い間寵愛したが、葵上死後は、そのようなことはなかった。(帚木2.9)
(呼称)中納言君
②藤壺中宮の侍女。三条邸に里帰りしたとき藤壺を訪問した源氏に対面した。(紅葉賀7.6)
(呼称)中納言君
③朧月夜の侍女。和泉守の前の守の妹。弘徽殿の細殿で、源氏と朧月夜に密会の手引きをした。源氏の須磨からの文もこの人宛てで朧月夜にわたる。(賢木10.9)(須磨12.2)
(呼称)中納言君
④弘徽殿女御の女房。弘徽殿の女御から近江の君へ返事を代筆するよう言われる。(常夏26.14)
(呼称)中納言君
⑤源氏付きの侍女。葵上の死後、孤独な源氏の話相手を中将の君とともにする。左大臣邸で源氏の寵を受けた女房(中納言の君)と同一人物かとも思われる。(幻41.3)
中納言君
• 中納言娘ちゅうなごんのむすめ冷泉帝の更衣。(※)
(呼称)中納言の御むすめ
• 中納言乳母ちゅうなごんのめのと女三宮の乳母。夏、紫上と女三宮が対面したとき、紫上に応接した。(若菜上34.50)
(呼称)中納言乳母・乳母

• 筑紫の五節つくしのごせち太宰大弐の娘。源氏が若い時、五節の舞姫に選ばれ、源氏と逢ったがある。(花散里11.2)
(呼称)筑紫五郎・五節の君・五節・師の娘の五節・女
• 摂津守つのかみ源氏が須磨に退去した時、密かに住まい造り等の支援をした。願果たしの住吉詣の源氏に参上し、饗応する。(須磨12.10)(澪標14.15)
(呼称)国の守
• 椿市の僧つばいちのそう玉鬘一行の宿主。この僧のもと初瀬寺参詣の玉鬘一行が夕顔の女房だった右近と泊り合わせて再会した。(玉鬘22.10)
(呼称)家のあるじの法師・法師

• 春宮とうぐう今上の帝の第一皇子。母は明石中宮。源氏四十一歳の時、六條院で誕生した。女一宮・匂宮たちの同母兄妹。明石入道は夢判断で即位疑いなしと消息する。薫とは遊び友達。(匂兵部卿42.2)
(呼称)男皇子・若宮・宮・男宮・六条の女御の御腹の一の宮・春宮
• 春宮宣旨とうぐうのせんじ明石女御皇子の誕生の折、御湯殿の奉仕をする。(※)
(呼称)春宮宣旨・内侍のすけ
• 導師どうし①六条院の灌仏会に参加。(藤裏葉33.8)
②源氏邸の仏名会に参上した。(幻41.16)
(呼称)僧
• 藤式部丞とうしきぶのぞう雨夜の品定めで、賢女(博士娘)に通った時のことを語る。 (帚木2.2)
(呼称)藤式部丞・式部
• 藤大納言とうだいなごん弘徽殿の大后の兄弟。娘は麗景殿の女御。子は頭弁。(賢木10.15)
(呼称)大宮の御兄の藤大納言
• 藤中納言とうちゅうなごん①髭黒の長男。髭黒の北の方が里に引きとられた時一緒に連れていかれたが、まもなく弟とともに髭黒のもとに連れ戻された。真木柱・二郎君の同母兄弟。(竹河44.5)
(呼称)男君達・子君達・君達・大将殿の太郎君・孫の君達・兄の君達・藤中納言・故大殿の太郎
②小野の尼君の妹の娘婿(中将)がこの人の娘に通っていると人がうわさしている。(手習53.19)
(呼称)藤中納言
• 藤宰相とうさいしょう頭中将の子。兄柏木らと、祭りの帰さを見学、紫上死去の報に二条院へ行く。(若菜下35.50)頭中将の子。雲井雁と同腹。匂宮・六君の三日夜の宴に列席。(宿木49.21)
• 藤侍従とうじじゅう①頭中将の子。大宮を訪れる孫は夕霧以外簾中を許されない。(常夏26.2)
②髭黒の五男、玉鬘腹の三男。(竹河44.7)
• 藤少将とうしょうしょう右大臣の子。承香殿女御の兄。髭黒の兄。朧月夜との密会から帰る源氏を目撃。(賢木10.9)
• 藤典侍とうのないしのすけ惟光の娘、夕霧の側室。子供が五人。次郎、四郎、大君、三君、六君。三君、次君は花散里、六君は落葉の宮の許に引き取られる。(少女21.24)
藤典侍(Wikipedia)
(呼称)五節・娘・舞姫・藤典侍・内侍・典侍
• 頭中将とうのちゅうじょう左大臣の嫡男で、母は大宮。右大臣の四君と結婚した。若い頃から源氏の親しい友であった。姉妹の葵の上が源氏の妻となっている。太政大臣まで上りつめる。(帚木2.2)(紅葉賀7.1)
頭中将(Wikipedia)
(呼称)蔵人少将・宮腹の中将・君・中将・頭の君・中将殿・少将・三位の中将・中将の君・宰相・宰相中将・権中納言・中納言・大納言・右大将・大将・父大臣・内大臣・大臣・殿・内の大殿・父君・大臣の君・大殿・二条の大臣・主の大臣・太政大臣・尊者の大臣・大臣おおいもうちぎみ・太政大臣・致仕の大臣・致仕の大殿・故致仕の大臣・故大臣
②明石の御方の大井の山荘に泊まった源氏を兵衛督とともに迎えに行き、その夜桂院の遊宴に同行する。(松風18.14)
(呼称)頭中将・頭の中将
③→柏木に同じ
④冷泉帝の勅令による源氏四十賀に、宣旨をうけて屯食などの手配をする。(若菜上34.58)
(呼称)頭中将
⑤髭黒の五男で、玉鬘腹の三番目の子。薫が中将になったころ、頭中将になっているが、母玉鬘は官位は見苦しくないが人より劣っていると嘆いている。(竹河44.30)
(呼称)侍従の君・あるじの侍従・藤侍従・あるじの君・侍従・頭の中将
⑥→頭中将の子
⑦→夕霧の子、夕霧の四男とされる。
• 頭中将子とうのちゅうじょうのこ(柏木、紅梅と姫は別項)
①左少将     内大殿の君達、左少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などいふも、皆ここには参り集ひたれど、御簾の内は許したまはず。 (少女21.21)
②少納言
③兵衛佐
④藤侍従
⑤大夫
⑥左大弁      今日は、御弟ども、左大弁、藤宰相など、奥の方に乗せて見たまひけり(若菜下35.50)
⑦頭宰相(藤宰相)
⑧左衛門督
⑨蔵人少将    この宮に、蔵人少将の君を御使にてたてまつりたまふ(夕霧39.44)
⑩頭中将     御叔父の頭中将、蔵人少将など、小忌おみにて、青摺の姿ども、きよげにめやすくて、皆うち続き、もてかしづきつつ、もろともに参りたまふ(幻41.14)
⑪八郎君     童なる八郎君は、むかひ腹にて、いみじうかしづきたまふが、いとうつくしうて、(真木柱31.19)
※「腹々に御子ども十余人、おとなびつつものしたまふも、次々になり出でつつ、劣らず栄えたる御家のうちなり。」(少女21.8)。このほかに長男の柏木と二男の紅梅がいる。男13人か。姫は、弘徽殿の女御と雲居の雁のほかに近江の君と玉鬘の4人。
(呼称)かしわぎ(柏木)・くろうどのしょうしょう(蔵人少将)・こうばい(紅梅)・さしょうしょう(左少将)・さだいべん(左大弁)・さえもんのかみ(左衛門督)・しきぶのたいふ(式部大輔)・しょうなごん(少納言)・たいふ(大夫)・たいふのきみ(大夫君)・とうのさいしょう(藤(頭)宰相)・とうのじじゅう(藤侍従)・とうのちゅうじょう(頭中将)・はちろうぎみ(八郎君)・ひょうえのすけ(兵衛佐)
• 藤典侍とうのないしのすけ惟光の娘、良清の娘たちとともに五節の舞姫をつとめ、夕霧に見初められた。夕霧の側室。子供が五人。次郎、四郎、大君、三君、六君。三君、次郎君は花散里、六君は落葉の宮の許に引き取られる。(夕霧39.45)
(呼称)五節・娘・舞姫・藤典侍・内侍・典侍
• 頭弁とうのべん①弘徽殿大后の甥。藤大納言の子。麗景殿女御の兄。(賢木10.15)
(呼称)藤大納言の子の頭弁
②明石女御と春宮(今上帝)の若宮誕生の折、冷泉帝から宣旨を受け、七日の産養いに仕える。(若菜上34.66)
(呼称)頭弁
• 時方ときかた匂宮の従者。左衛門大夫出雲権守で匂宮の側近。匂宮の宇治行きに随行する。 (浮舟51.12)
(呼称)時方・大夫・客人の主・守の君・左衛門の大夫・出雲の権の守時方の朝臣
• 時方従者ときかたのずさ匂君の従者。匂い宮に頼まれた文を宇治の浮舟の許に届ける。(※)
(呼称)大夫の従者・男
• 主殿とのもり小野尼君の侍女で、尼君の呼びかけで和琴を取り出す。(手習53.23)

• 内侍ないし①源氏の元服の折、左大臣に帝の仰せを伝える。(桐壷1.14)
(呼称)内侍
②斎宮(秋好中宮)の侍女。宰相の君と共に夕霧とは個人的にも親しい。(野分28.6)
(呼称)内侍
③明石の姫君の裳着の折、髪上げをした。(梅枝32.5)
(呼称)御髪上の内侍
• 尚侍ないしのかみ①桐壷帝時代の尚侍。院の喪に服しそのまま尼になった。この人の後で朧月夜が尚侍になる。(賢木10.8)
(呼称)内侍
• 典侍ないしのすけ①桐壷帝まで三代にわたって仕える。先帝の四宮(藤壺中宮)が亡き桐壷更衣に大変良く似ていることを上奏する。(桐壷1.7)
(呼称)典侍
②桐壷更衣の死後、靫負命婦のまえに更衣の母を弔問し、帝にその様子を奏上した。(桐壷1.12)
(呼称)尚侍
③冷泉帝の御代の年老いた典侍。二人いてともに典侍になりたいと思っている。
(呼称)すけ(典侍)
• 中川女なかがわのおんな源氏が一度だけ思いをかけた女。花散里のもとへ行こうとするが、琴の音に立ち止まり、ふと思い出して時鳥の歌の贈答をする。(花散里11.2)
• 媒、仲人なかだち妹が浮舟の所で仕えていることから、左近少将と浮舟との仲立ちをすることになる。浮舟が常陸介の実の娘でないことを北方から聞き少将に告げた。それを聞いた少将は常陸介の実の娘との縁組の仲立ちをさせる。(東屋50.4)
(呼称)初めより伝へそめける人・この人・中人
• 媒妹、仲人の妹なかだちのいもうと浮舟のもとに仕えている侍女。(東屋50.5)
(呼称)妹
• 中務なかつかさ①左大臣家の女房。琵琶をよく弾く。頭中将が思いをかけているが相手にせず、ときどきやってくる源氏のやさしい態度に靡くので大宮によく思われていない。源氏の召人。(末摘花6.4)
(呼称)中務の君・中務
②藤壺中宮に仕える女房。三条宮に退出した藤壺を訪ねた源氏に応対した。(紅葉賀7.6)
(呼称)中務
③源氏が思いをかけた女房。源氏の須磨下向にあたり、源氏の意向で紫上付きとなる。(須磨12.5)
(呼称)中務・中務の君
• 中務宮なかつかさのみや①明石尼君の祖父。大井に山荘を持っている。明石の君と尼君が上京した時、まずこの山荘を修理して落ち着いた。(松風18.2)
(呼称)母君の御祖父中務宮・みこ
②右大臣とともに夕霧を娘の婿にと望んでいる。(梅枝32.13)
中務の親王みこ・宮
③今上帝の皇子。匂宮の弟。秋、上野の親王、薫とともに殿上にいた。(東屋50.24)
(呼称)中務親王・中務宮
• 中君なかのきみ①夕霧の雲井雁腹の次女。今上帝の二宮(明石中宮腹で匂宮の兄)と結婚している。
(呼称)中君・右の大殿の中姫君 (匂兵部卿42.2)
②紅梅右大臣の次女で、母北の方は亡くなっている。同腹の姉(麗景殿女御)と継母の真木柱の娘(蛍宮の子で宮の御方)と、父紅梅右大臣と真木柱との間に生まれた弟(大夫)がいる。(紅梅43.2)
(呼称)中君・西の御方・姫君・西のかたに侍る人
③宇治の八宮の次女。母は大臣の娘で八宮の北方。中君を出産後、病を得て他界。早逝するのではないかと心配するほど美しい。(宿木49.6)
(呼称)八宮の姫君・宇治の姫君・君・若君・姫君・女君・女・中君・中の君・宮・山里人・昼寝の君・御方・姫宮・対の御方・二条院の対の御方・兵部卿の宮の北方・今日の宮・宮の御方・子持ちの御前・御前・宮の上・宮の北方・上・宮の御二条の北方・姉君
中君侍女なかのきみのじじょ総角の巻で、薫と匂宮が大君、中君とそれぞれ結婚することを望んでいた。大君の死後、中君が匂宮に迎えられて二条院へ移る時、喜んだ。(総角47.4)
(呼称)老い人・女房・古女・とし経たる人々・人々・若き人・さぶらう人々等
中君乳母なかのきみのめのと①宇治八宮邸の状態がはかばかしくなくなると、思慮の浅さから幼い中君を見捨てて去った。(※)
(呼称)わか君の乳母
②匂宮に迎えられて二条院に移った中君の面倒を折に触れてみる薫を非難する。(※)
(呼称)御乳母
• 仲信なかのぶ薫が日頃親しく使っている家司大内記道定の妻の父で、大蔵大輔。匂宮が薫をよそおって浮舟に近づくときこの仲信の名を使った。(浮舟51.40)
(呼称)家司・仲信・大蔵の大輔
• 某僧都なにがしそうず①紫上が存命中に自分の死後を託した僧。源氏は紫上の一周忌をこの僧都の言うのに従って行うことを夕霧にいう。(幻41.11)
(呼称)
②中君が悩まし気なのを見て、匂宮が夜居に伺候させようとした験ある僧。(宿木49.17)
(呼称)某僧都
• 某朝臣なにがしのあそん源氏が明石君のもとへ泊った翌日、小桂院に行くとき、鷹狩りをしていて同行に遅れた。(松風18.14)
(呼称)某朝臣
• 某院預なにがしのいんのあずかり源氏の親しい家司で、左大臣にも仕えている。夕顔の家の近くの院の管理人をしていた。源氏が夕顔を伴って隠れ家を求めたとき、奔走した。(夕顔4.9)
(呼称)あずかり・院の預・院守
• 某院預子なにがしのいんのあずかりのこ源氏に親しく仕えた若い男。滝口の武士。夕顔が急死したとき、この人を起こし様々な指示をする。源氏の命で弦打ちや声づくりをした。紙燭をもって来たり惟光を呼びに行ったのもこの男とおもわれる。(夕顔4.8)
(呼称)預の子・滝口・このをとこ
• なれきなれき玉鬘の大君の女童。大君と中君の碁のあと、歌を詠んだ。(竹河44.12)
(呼称)なれき

• 匂宮におうのみや今上帝の第三皇子。母は明石中宮。六条院で誕生。紫の上に引き取られて養育される。紫上の二条院が里邸。今上帝や明石中宮から格別の寵愛を受ける。薫と仲が良い。薫から宇治の姫君の話を心惹かれるようになる。(匂兵部卿42.1)
匂宮(Wipipedia)
(呼称)親王みこ・三宮・宮・若宮・君・当帝の三宮・匂兵部卿・兵部卿宮・匂・男・男宮・大き御前
(通称)匂宮
• 匂宮子におうのみやのこ匂宮と中君の子。薫が権大納言になった二月初旬誕生。産養い、五日、七日と盛大な儀式が行われ方々から祝いものが届けられる。匂宮、中君、薫などまわりに人々に可愛がられる。(宿木49.7)
(呼称)男・稚児・宮の若君・若君・若宮
• 匂宮子乳母におうのみやのこのめのと早く見たがる匂宮に、若君を抱いて見せる。いつも若君の相手をする。(※)
(呼称)御乳母
• 匂宮乳母におうのみやのめのと匂宮の乳母で、その子供(五位蔵人)は匂宮に仕えている。遠国の受領の妻となって下るので、匂宮はその空き家に浮舟を隠そうとする。(※)
(呼称)御乳母・受領の妻
• 女別当にょべとう六條御息所の娘斎宮(秋好中宮)の女別当。斎宮が伊勢へ下る時、源氏から斎宮に贈られた歌の返歌を斎宮に代わって書いた。(賢木10.4)
(呼称)女別当

• ねび御達ねびごたち花散里に仕える老女房たち。染物・裁縫の上手な花散里を手伝って裁縫などをする。(野分28.11)
(呼称)ねび御達
• 念仏僧ねんぶつのそう①葵上の葬送に参列した僧。(葵9.10)
(呼称)念仏の僧
②落葉宮の母一条御息所の喪中に念仏を唱えた僧。(夕霧39.23)
(呼称)念仏の僧
③宇治八宮の法要に伺候した僧。(椎本46.12)
(呼称)念仏の僧
④浮舟入水後の供養に参列した僧。(蜻蛉52.15)
(呼称)念仏の僧

• 軒端荻のきばのおぎ伊予介の先妻の娘。空蝉と碁を打っているところを源氏に見られ、空蝉と間違えられて源氏と契りを結ぶ。蔵人少将を夫として通わすことになり、それを聞いた源氏から歌が贈られ、返歌をする。 (空蝉3.3)
(呼称)西の御方・紀伊守の妹・君・西の君・娘・萩の葉
(通称)軒端の萩

• 博士はかせ雨夜の品定めの時、藤式部丞の語った体験談の中で、文章生の時通った賢女の父。(帚木2.8)
(呼称)あるじ・博士
• 博士娘はかせのむすめ前項の博士の娘。藤式部丞の愛人。(帚木2.8)
(呼称)女・娘・さかし人
• 八宮はちのみや桐壷院第八皇子。母は大臣の娘だが、素性は不明。桐壷院にも母女御にも早く死別した。冷泉院が春宮であったころ、弘徽殿大后らの陰謀で春宮に立てようと隠された陰謀があり、失意の日々を送る。京の邸が焼失して宇治の山荘にこもる。不如意な生活で乳母たちも去り。自らの手で二人の娘(大君、中君)を育てる。また浮舟の父でもあるが認知していない。信仰心厚く、仏教に造詣が深い。(橋姫45.1)
宇治八宮(Wikipedia)
(呼称)八宮・古宮・俗聖・聖・親王・宮・宇治宮・御弟・聖の宮・主の宮・故宮・親・故親王・父・親王・故八宮・聖の親王
• 八宮北方はちのみやのきたのかた宇治八宮の北方。大臣の娘。大君、中君を生んで没した。弁の尼の父はこの北方の叔父にあたり、浮舟の母中将の君はこの北方の姪にあたる。(東屋50.12)
(呼称)北の方・大臣の娘・故君・母北の方・母君・故北の方・故上・母上
• 八宮母女御はちのみやのははにょうご宇治八宮の母。大臣の娘で、桐壷院の女御であった。八宮の幼時に亡くなった。(※)
(呼称)母・女御
• 花散里はなちるさと麗景殿女御の妹。かって宮中で源氏と逢い、現在は姉ともに源氏の庇護のもとに暮らしている。容姿はあまり美しくはないが、性格が穏やかで気立てがよく、染色・裁縫に精通し、六条院で一つの対を与えられ、夕霧の母代わりをしている。また夕霧の藤典侍腹の三君と次郎の世話もするようになる。源氏の死後は二条院の東院を形見にもらってそこに住む。(花散里11.1)
花散里(WIkipedia)
(呼称)三君・御おとうと・花散里・女君・東の院の対の御方・東の院・西の対・対の御方・御方・東の御方・上・丑寅の町・六条の東の君・六条の東の上・六条・東の上・東のおとど・花散里の御方
• 播磨守はりまのかみ①良清の父、明石入道の後任。(若紫5.2)
(呼称)播磨守
②源氏の家司。須磨に退去した源氏にひそかに心を寄せる。(須磨12.10)
(呼称)国の守

• 東山聖ひがしやまのひじり宇治の浮舟のもとへ泊った匂宮のことを、時方は匂宮はこの聖に会いに行ったと京へ報告する。(浮舟51.16)
(呼称)聖
• 光源氏ひかるげんじ桐壷帝の第二皇子。帝の寵愛を一身に集めた桐壷更衣との間に生まれる。源氏物語の主人公。母更衣とは三歳の時死別する。この上なく美しい容姿と、学問管弦の道にも優れた才能を示す。源氏幼少時、ひそかに来朝した高麗の相人に見てもらうと、相人は大変驚いて、「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷の重鎮かためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」(天下を補佐する方から見ればまたその相でもないようです)と占ったので、帝は、源氏姓を与えて臣籍降下させた。須磨・明石に蟄居する不遇な時もあったが、最後は准太上天皇の待遇を得て、六條に大きな邸を構えて、妻妾を集め、一代の栄華を極める。葵上との間に、子、夕霧がいる。また明石の君との間に、姫君がいる。子どもは二人だが、藤壺との密通により子が生まれていて、その子は冷泉帝となる。(桐壷1.15)
光源氏(Wikipedia)
(呼称)男皇子・皇子・若宮・宮・源氏の君・光君・君・源氏・光源氏・中将・源氏の中将・中将の君・男君・男・宰相・宰相の君・宰相中将・大将の君・大将・大将殿・殿・右大将・客人・弟・源氏の光君・主の君・主・権大納言・源氏の大納言・内の大殿・大殿・内の大臣・太政大臣・主の大臣・父大臣・六条の大臣・六条殿・六条院・太上天皇・主の院・院・納言・昔の源氏・故六条院・故院
• 髭黒ひげぐろ右大臣の子。承香殿女御の兄弟。元の北方は兵部卿宮の長女で、紫上の姉にあたる。玉鬘に求愛し、妻に得る。源氏や内大臣(頭中将)に次いで帝の信任がある。髭黒の父親は右大臣にまで登った人物であるとされるが、登場までの本文中には一切現れておらず、初登場の時点ですでに死去しているとされる。登場時点での春宮(=後の今上帝)の母・承香殿女御の兄にあたる。兵部卿宮の長女(紫の上の異母姉にあたる)とはすでに長年連れ添っており、女子(真木柱)と2人の男子をもうけていた。2番目の妻となった玉鬘との間にも大君など3人の男子と2人の女子をもうけた。(※)
髭黒(Wikipedia)
(呼称)右大将・大将・君・大将殿・男・大将の君・父君・まめ人・左大将・左大将殿・男君・右の大臣・大臣・右大臣殿・右の大殿・後の太政大臣・後の大殿・故殿・故大殿・故大臣
(通称)髭黒
• 髭黒元北方ひげぐろのもとのきたのかた兵部卿宮(式部卿宮)の長女で紫上の姉。夫婦仲は悪く、心の病がありよく発作を起こす。髭黒は玉鬘を得て離縁する。元北方は実家に帰る。(※)
(呼称)北の方・式部卿の宮の御大君・女君・母君・元の北の方・はじめの北の方
• 肥後采女ひごのうねめ左近命婦の同輩で、赤鼻の女房。(末摘花6.9)
(呼称)肥後の采女
• 樋洗童ひすましわらわ近江君の許の今参りの童。(常夏26.14)
(呼称)樋洗童
• 常陸北方ひたちのきたのかた小野の大尼君の孫の紀伊守の妹で、長く音信がない。紀伊守と妹尼の会話の中に現れる。(※)
(呼称)常陸の北の方・常陸
• 常陸介ひたちのすけ①浮舟の母(中将君)の後夫。継子の浮舟も連れて陸奥守として下り、次いで常陸介となった。(東屋50.2)
(呼称)常陸守・常陸・常陸の前司殿・守・守主・守の殿・常陸守・父主・殿・常陸殿・常陸の前守某 • 
• 常陸介故北方ひたちのすけのこきたのかた常陸介の前妻で、蔵人式部丞などの母。常陸介との間に子どもが何人もいる。(手習53.42)
(呼称)母
• 常陸宮ひたちのみや①末摘花、醍醐の阿闍梨の父。源氏が末摘花に逢った時は、すでに故人。(手習6.2)
(呼称)故常陸の親王・父親王・故宮・故親王・常陸宮・宮・常陸の親王
②今上帝の第四皇子。母は今上帝の更衣。夕霧の六条院の賭弓の宴に招かれた。また後、女二宮の藤宴に参列した。
(呼称)四の皇子・常陸宮
• 常陸宮預翁ひたちのみやのあずかりのおきな常陸宮邸の門番の翁。雪の朝、末摘花の許から帰る源氏は、門を開けわずらっているのを見て、白氏文集の一節を口ずさむ。娘と共に住んでいる。(末摘花6.8)
(呼称)鍵の預り・翁
• 左馬頭ひだりうまのかみ雨夜の品定めで、藤式部丞と共に源氏と頭中将の処にやってきて豊富な体験談を語る。(帚木2.2)
(呼称)左の馬頭・馬頭
• 兵衛督ひょうえのかみ源氏を迎えに頭中将(別人)と共に明石君の大井の山荘に行き、車の後ろの部分に乗って桂院に行く。(松風18.14)
(呼称)兵衛督
• 兵衛尉ひょうえのぞう惟光の子で藤内侍の兄。殿上童をしていて、夕霧はその妹藤内侍への文を託す。六条院で行われた薫物合わせの頃兵衛尉で、源氏の命で西の渡殿の方に埋めてあった香を掘りだして夕霧に渡す。(梅枝32.3)
(呼称)兄人・惟光の宰相の子の兵衛尉
• 兵衛命婦ひょうえのみょうぶ絵合わせの際右方(弘徽殿女御御方)の方人として参加。(絵合17.8)
(呼称)兵衛の命婦
• 兵部卿宮ひょうぶきょうのみや ※ →「式部卿宮」を参照のこと。
① 先帝の皇子、藤壺中宮の兄。紫の上の父。妹藤壺を入内させる。桃園式部卿(朝顔の君の父)の死去を受けて式部卿となる。(若紫5.4)
② 桐壺帝の皇子、光源氏の異母弟。蛍兵部卿宮を参照。(蛍25.2)
③ 今上帝の第三皇子。「匂兵部卿宮」とも呼ばれる。匂宮を参照。(匂兵部卿42.1)
兵部卿(Wikipedia)
• 兵部君ひょうぶのきみ太宰少弐の娘で、母は夕顔の乳母。幼名あてき。玉鬘のために九州に夫や子供を残して上京した。初瀬詣の折、椿市で偶然夕顔の侍女であった右近と対面。玉鬘の侍女として六条院へ入る。(玉鬘22.8)
(呼称)子・娘・あてき・兵部・兵部の君
• 兵部大輔ひょうぶのたいふ皇族の血統で、大輔命婦の父。末摘花の父常陸宮の近親者。娘大輔命婦が源氏に末摘花を手引きするのを知らない。(末摘花6.2)
(呼称)兵部大輔・父君・大輔の君
• 兵部大輔後妻ひょうぶのたいふのごさい大輔命婦の継母。命婦はなじめず。寄りつかない。(末摘花6.2)
(呼称)継母

• 豊後介ぶごのすけもとの名を兵藤太といった。太宰少弐の長男で、母は夕顔の乳母。父少弐の遺言を守って母、妹の兵部君と共に玉鬘を上京させる。(玉鬘22.5)
(呼称)豊後介・兵藤太
• 藤壺中宮ふじつぼのちゅうぐう故先帝の四宮。桐壷更衣に似ていることから、兄(式部卿)の勧めもあり入内する。「かがやく日の宮」と呼ばれ、「光る君」と呼んだ源氏と並び称えられた。源氏の五歳年上。源氏の永遠のあこがれの人となる。密通し、冷泉帝が生まれる。(桐壷1.12)
藤壺(Wikipedia)
(呼称)先帝の四の宮・宮・后宮の姫君・藤壺・輝く日の宮・藤壺の宮・女宮・母宮・后・中宮・后の宮・入道の宮・入道后の宮・故宮・母宮・当帝の御母后・故入道の宮・故后の宮
(通称)藤壺中宮・薄雲女院
• 藤壺女御ふじつぼのにょうご①藤壺中宮の妹で紫上の叔母。女三宮の母。朱雀院が春宮のとき入内し女御となる。朧月夜に圧倒されたが、帝は遺児女三宮を溺愛した。(若菜上34.1)
(呼称)藤壺・先帝の源氏・母女御
②左大臣の三女、今上帝の女御。女二宮の母。(宿木49.1)
• 古大君女ふるおおきみおんな九州で玉鬘に琴を教えた。(※)
(呼称)古王女

• 平典侍へいないしのすけ冷泉帝付きの女房。絵合わせに左梅壺方で参加。(絵合17.8)
(呼称)平典侍・平内侍
• 別当べとう二条院の東院の花散里方の別当。別当らの勤務ぶりによって、花散る里方は整って感じのよい様である。(薄雲19.7)
(呼称)別当
• 別当大納言べとうだいなごん朱雀院に長年別当として仕える大納言。女三宮の降嫁を望む。(若菜上34.22)
(呼称)大納言の朝臣・藤大納言・院の別当・別当大納言・大納言
• 弁べん①紫上の乳母(少納言乳母)の娘。紫上の新枕の三日夜の餅を、惟光から託され、事情を深く気づかず、紫上の几帳に差し入れる。(葵9.14)
(呼称)娘・弁
②藤壺中宮の女房。藤壺中宮の乳母子。王命婦とともに藤壺中宮に親しく侍し、懐妊に気づく。(賢木10.10)
(呼称)弁
• 弁尼べんのあま父は左中弁、母は柏木の乳母。宇治の八宮に仕え、姫君たちの後見をする老女房。柏木と女三宮の事件を知るものは、弁と女三宮の侍女の故小侍従だけであることや柏木の臨終の様を薫に語る。(早蕨48.8)
(呼称)老い人・古者・弁・古人・弁君・御乳母子・弁御許・尼君・朽木・弁尼君・尼
• 弁尼夫べんのあまのおっと弁尼によると、弁をだまし、九州に連れて行った良からぬ懸想人。かの地で死ぬ。(橋姫45.22)
(呼称)よからぬ人
弁御許べんのおもと①玉鬘の侍女。髭黒にせかされて、玉鬘に逢う手引きをする。(真木柱31.1)
(呼称)弁のおもと・女房
②女一宮の侍女と思われる。六条院の東の渡殿を訪れた薫に応対する。(蜻蛉52.38)
(呼称)弁のおもと
弁少将 べんのしょうしょう内大臣の子、柏木の弟。のちに紅梅と呼ばれる人物。(初音23.10)

• 蛍宮ほたるのみや桐壷院の皇子。源氏の異母弟。花宴で右大臣の美貌の娘を北方にもつ 帥宮そつのみやとして登場。源氏の須磨蟄居の折には、頭中将とともに訪れ、別れを惜しむ。絵合わせの時は判者をする。少女の巻では、すでに兵部卿宮。通称 蛍兵部卿宮。(絵合17.11)
蛍兵部卿宮(Wikipedia)
(呼称)帥宮・親王・兵部卿・兵部卿宮・宮・君・故兵部卿親王・故宮・父宮
• 蛍宮の北方ほたるみやのきたのかた右大臣の娘。蛍宮が帥宮の時の北方で佳人。蛍宮が兵部卿として登場の頃には。すでに死去していた。蛍宮は真木柱と結婚後もこの亡き北方を恋しく思い出す。(※)
(呼称)帥宮の北方・北方

• 真木柱まきばしら父は髭黒、母は式部卿宮の大君。蛍宮の北方となる。蛍宮の死後、紅梅大納言(柏木の弟)と再婚する。父母が離婚して実家を離れ母の家へ行くとき真木柱の割れ目に次の和歌を押し込んで去る。
今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな(紅梅43.1)
真木柱(Wikipedia)
(呼称)女・姫君・真木柱の姫君・君・後の太政大臣の御娘・北方・母北方・母君・上・故大臣の御娘・真木柱・

• 三河守みかわのかみ大弐の乳母(惟光の母)の女婿。源氏が十七歳の夏、六條御息所を訪れる途中、大弐の乳母の病気を見舞った時、源氏に会う。(夕顔4.1)
(呼称)婿の三河守
• 右のすけみぎのすけ六条院への冷泉帝と朱雀院の同時行幸の折、蔵人所の鷹匠が、鷹狩りでとった鳥を奉る。池の魚を奉った「左の少将」に対して、「右のすけ」と略して対句にしたもの。右近少将とおもわれる。(※)
(呼称)右のすけ
• 道定みちさだ大内記兼式部少輔。薫に仕える。家司大蔵大輔(仲信)の婿であり、薫の事情を匂宮に告げる。(浮舟51.38)
(呼称)大内記・内記・式部少輔・式部少輔道定朝臣・少輔・道定朝臣
• 道定の妻みちさだのつま大蔵大輔(仲信)の娘。(浮舟51.31)
(呼称)内記が知る人
• 御息所みやすどころ‪①髭黒の第二女、玉鬘の大君。今上帝から入内の催促があり、冷泉院も 以前玉鬘を得られなかったこともあり、懇望する。夕霧の五君または六君蔵人少将が恋いこがれ、薫も大君に惹かれている。結局、冷泉院に入内する。姫が生まれやがて皇子も生れてから、弘徽殿女御との仲が不穏になり、宮仕えのわずらわしさに里がちになる。妹の中君は今上帝の内侍になる。(竹河44.20)
(呼称)姫君・負け方の姫君・御息所・姉君・冷泉院女御
②→明石中宮、一条御息所、桐壷更衣、六条御息所。
• 宮御方みやのおんかた異称、宮の御方、宮君、東の御方。蛍兵部卿宮の姫宮。母は真木柱。父宮の死後、紅梅と再婚した母と共に紅梅邸に入り、寝殿の東に住む。紅梅の姫君たちとは仲がいい、特に中の君とは一緒に寝たりする。紅梅は中の君を匂い宮にと望んでいるが、匂宮は宮の御方に惹かれている。とても内気な性格で義父にも姿を見せず、母にさえはっきり向き合わないほどなので、結婚など考えられない。琵琶が巧みである。(紅梅43.1)
(呼称)女君・宮の御方・東の姫君・君・東・按察使大納言の紅梅の御方
• 宮君みやのきみ光源氏の弟で八宮の兄である蜻蛉式部卿の宮の姫君。父宮死後、継母が自分の兄へ縁ずけようとする。同情した明石中宮が、今上の女一宮の相手として引き取る。(蜻蛉52.36)
(呼称)式部卿宮の御むすめ・女君・宮の君・君・姫君
• 宮亮みやのすけ①弘徽殿大后付き。家司と思われる。朧月夜にも近侍。(賢木10.24)
(呼称)宮の亮
• 命婦みょうぶ命婦は、宮中や後宮(こうきゆう)の女官の一つ。五位以上の女官(内(ない)命婦)と、五位以上の役人の妻(外(げ)命婦)がある。平安時代以後は、中級の女官をいう。
→上の命婦、王命婦、左近命婦、少将命婦、大輔命婦、中将命婦、兵衛命婦、靫負命婦。
• 妙法寺の別当みょうほうじのべっとう近江君の誕生の折の祈祷僧。近江君の早口はこの僧にあやかったと亡き母が常に嘆いていたという。(常夏26.11)
(呼称)妙法寺の別当大徳・大徳
• みるこみるこ玉鬘の女童。(胡蝶24.9)
(呼称)みるこ
• 民部卿みんぶきょう夕霧の字付けの儀式に参列。儒家風の作法を知らず、儒家たちに咎められる。(少女21.4)
(呼称)民部卿
• 民部御許みんぶのおもと空蝉の女房。背の高いのを人に笑われている。(空蝉3.4)
(呼称)民部御許
• 民部大輔みんぶのたいふ①中務宮(明石尼君の祖父)の子孫にあたる縁者。中務宮の大井の山荘の持ち主で、物語では故人。明石尼君の父かと思われる。(松風18.2)
(呼称)故民部の大輔の君
②父は式部卿宮(紫上の父)。髭黒に立腹した父宮が、髭黒の北の方を引き取った時、兄弟の中将、侍従と共に邸へ迎えに行く。(真木柱31.12)
(呼称)民部大輔

• 紫上むらさきのうえ父は藤壺中宮の兄兵部卿宮。母は按察使大納言の娘。源氏が北山の聖僧の許へ病気祈祷を受けるために行った時、坊の柴垣のもとで、十歳ばかりの美しい姫君を見つける。これが後の紫上である。終生最愛の理想的な女性として書かれるが、正式な妻ではない。/ 「紫」の名は古今集の雑歌「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞみる」にちなみ、源氏の「永遠の女性」である藤壺の縁者(紫のゆかり)であることを婉曲に表す。また「上」の呼称が示すように、源氏の正妻格として源氏にも周囲にも扱われるが、正式な結婚披露をした北の方ではない。(若紫5.3)
紫の上(Wikipedia)
(呼称)若草・若君・君・姫君・紫のゆかり・紫の君・女君・二条の君・対の姫君・西の対・西の対の姫君・二条の院・二条院の君・二条院の姫君・二条の上・春のおとど・南のおとど・南の御方・春の上・春の御前・紫上・女・南の上・大殿の北方・北方・式部卿親王の娘・北の政所・紫・御方・上の御方・対の方・二条院の上・継母・母・主

• 木工君もくのきみ髭黒の侍女。中将御許と同じく髭黒の召人。(真木柱31.14)
(呼称)木工君・木工
• • 桃園宮ももぞののみや桐壷院の皇弟。朝顔姫君の父。式部卿宮として物語に登場。朝顔君が源氏との結婚を拒否したため、源氏を婿にできなかったことを後悔する。(朝顔20.5)
(呼称)式部卿宮・式部卿親王・宮・故宮
• 文章博士もんぞうはかせ①源氏の親しい学問の師。(夕顔4.13)
(呼称)文章博士
②夕霧の字付け儀式に参列。式後の宴に趣ある詩の題を選定して、源氏にさし上げる。(少女21.5)
(呼称)文章博士

• 大和守やまとのかみ一条御息所の甥。御息所の葬儀を仕切る。夕霧の懸想を望ましく思い、落葉宮が応じるように説得する。(夕霧39.20)
(呼称)大和守・大和守某の朝臣
• 大和守の北方やまとのかみのきたのかた初瀬参詣の折、玉鬘一行に出会い、その威勢に三条が驚嘆する。(玉鬘22.15)
(呼称)この国の守の北方
• 山の座主やまのざす①比叡山延暦寺の天台座主。葵上の夕霧出産の時、物の怪を屈服させ安産祈願をし、得意顔で退出する。(葵9.8)
(呼称)山の座主
②藤壺中宮の落飾の授戒をする。(賢木10.19)
(呼称)山の座主
③朱雀院の落飾の授戒をする。(若菜上34.17)
(呼称)山の座主
④明石中宮の病の祈祷に招請。(浮舟51.37)
(呼称)山の座主

• 夕顔ゆうがお父は三位中将だが両親とは早くに死別する。頭中将が三年ばかり通い、娘も生まれていたが、北の方(右大臣の四の君)の脅しがあって、身を隠す。方違えもあって、近所の声も聞こえる陋屋に住んでいた時、源氏に会う。源氏が通っている時、物の怪によって、夕顔は死ぬ。忘れ形見が玉鬘である。(夕顔4.1)
夕顔(WiKipedia)
(呼称)常夏・女・女君・夕顔・故君・母君・母・故御方・上・君・御方・昔人・夕顔の君
• 夕顔家宿守ゆうがおのいえのやどもり惟光に五条の夕顔の家の様子を教える。(夕顔4.1)
• 夕顔乳母ゆうがおのめのと右近の母で早くに亡くなっている。(※)
(呼称)乳母
• 夕霧ゆうぎり源氏と葵の長男。母は葵上。祖母大宮の許で、頭中将の娘、雲井の雁と一緒に育てられ、二人は好意を寄せて育つ。花散里が母代わりに夕霧の世話にあたる。中将、中納言、右大将、左大将、右大臣、左大臣と昇進する。(少女21.3)
夕霧(Wikipedia)
(呼称)若君・大殿腹の若君・冠者の君・男・男君・君・大学の君・殿の冠者の君・大殿の太郎君・侍従・侍従の君・中将・中将の君・殿の中将の君・
• 夕霧の子ゆうぎりのこ
子女あわせて12人いると思われる。後で七郎が出てくる。男子7人、女子6人。三の君と次男は花散里に育てられる。以下に調べた限りでの出典を記す。
◎(夕霧39.45)この御腹には、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君とおはす。内侍は、大君、三の君、六の君、次郎君、四郎君とぞおはしける。すべて十二人が中に、かたほなるなく・・・
◎(匂兵部卿42.10) 御子の右衛門督、権中納言、右大弁など、さらぬ上達部あまた、これかれに乗りまじり、誘ひ立てて、六条院へおはす。/ 長男、二男、三男と推定される。
◎(竹河44.3) 右の大殿の蔵人少将とかいひしは、三条殿の御腹にて、兄君たちよりも引き越し、いみじうかしづきたまひ・・・
◎(竹河44.16) みづからも参るべきに・・・とて、源少将、兵衛佐など、たてまつれたまへり
◎(竹河44.30) 左の大殿の宰相中将、大饗のまたの日、夕つけてここに参りたまへり。
◎(椎本46.1) 御子の君たち、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人兵衛佐など、さぶらひたまふ。 / もっとも子息たちの官職がそろっている箇所、ただし、右衛門督、頭中将、源少将、蔵人少将、権中納言、宰相中将、七郎がいない。
◎(総角47.33) (匂宮の宇治への紅葉狩りに)所狭き御勢なれば、おのづからこと広ごりて、左の大殿の宰相中将参りたまふ。
◎(総角47.33) 宰相の御兄の衛門督、ことことしき随身ひき連れて、うるはしきさまして参りたまへり。
◎(総角47.33)(右衛門督)中宮の仰せ言にて、宰相の御兄の衛門督、ことことしき随身ひき連れて、うるはしきさまして参りたまへり
◎(総角47.37) 世人も下にそしり申すなり」 と、衛門督の漏らし申したまひければ、中宮も聞こし召し嘆き、主上もいとど許さぬ御けしきにて
◎(宿木49.15) 御子の頭中将して聞こえたまへり。 / 典侍腹の四男、源少将・頭の少将の成長した姿と註釈にあり。
◎(宿木49.21) 主人の頭中将、盃ささげて御台参る。次々の御土器、二度、三度参りたまふ。
◎(宿木49.53) 右の大殿の御七郎、童にて笙の笛吹く。いとうつくしかりければ、御衣賜はす。大臣下りて舞踏したまふ。 / これで、夕霧には子息7人いることになる。
※ 七郎は除いても、男子6人に、官職が11あることになる。蔵人少将→宰相中将、源少将・頭少将→頭中将に官職が昇進などで分かる者もあるが、それにしても合わない、作者が混乱したのか。そのように書く註釈書は、見当たらない。
次郎、三の君は花散里に託されて養育されている。
※名前と役職がうまく合わせられない。試みに、

太郎—右衛門督、二郎—権中納言、三郎—右大弁、四郎—頭中将(源少将・頭少将)、五郎—宰相中将(蔵人少将)、六郎—蔵人兵衛佐、七郎–蔵人兵衛佐

としてみた。四男以降は、あてずっぽうである。権中将(五男とされる)、侍従の宰相(四男とされる)が浮いてしまった。頭中将(源少将・頭少将)は、同一人物、宰相中将(蔵人少将)も同一人物とした。
娘は、典侍腹の六の君は匂宮の北の方になり、同じく大君は春宮妃となり、雲居雁腹の中君は式部卿妃となっている。(管理人)
下記の源氏参考資料を紹介します。 夕霧の子供たち
• 靫負の命婦ゆげいのみょうぶ桐壷帝付きの女房。桐壷更衣の死後、その里に更衣の母を見舞う。(桐壷1.7)
(呼称)靫負命婦・命婦

• 夜居僧都よいのそうず藤壺中宮の母后のときからの護持僧で、藤壺や冷泉帝にも重く用いられる。夜居僧として宮中にあり、藤壺から祈祷を依頼をされて秘密を知るようになる。冷泉帝に帝の出生の秘密を奏上する。 (薄雲19.14)
(呼称)僧都・聖
• 陽明介ようめいのすけ宿守によれば、五条の夕顔の家の持ち主で田舎に住む。西の京の夕顔の乳母(太宰少弐の妻)の娘の夫。(夕顔4.13)
(呼称)男・陽明介なる人
• 陽明介妻ようめのすけのつま西の京に住む夕顔の乳母の娘で、まだ若く、夫とは離れて五条の家にいる。(夕顔4.13)
(呼称)妻・乳母の娘・家主
• 横川僧都よがわのそうず①藤壺中宮の伯父で、藤壺出家の時、その髪を剃った。
(呼称)横川の僧都
②比叡山横川に住む高徳の僧。その老母(小野の尼君)が、初瀬詣の帰途急病にかかり、横川へも消息が届きかけつけて、知り合いの宇治院の院守のもとに母を移す。そこで倒れている浮舟が発見され、伴って小野に帰還する。のち、浮舟を出家させる。(手習53.1)
横川の僧都(Wikipedia)
(呼称)某僧都・僧都・僧都の御坊・僧都の君
• 横川僧都の弟子よがわのそうずのでし複数いる。老母の初瀬詣でに従う。宇治院で浮舟を発見する。浮舟を加持する。浮舟授戒の手伝いをする。(手習53.2)
(呼称)大徳・阿闍梨
• 良清よしきよ源氏の家司で、播磨守の子。源氏がわらわ病の加持に北山に行った時同行した。その時、自分も関心を持っている、明石入道とその娘の話をする。須磨退去にも源氏に同行する。近江守兼左中弁となる。(須磨12.10)
(呼称)播磨の守の子・良清・良清の朝臣・・源少納言・少納言・佐・近江の守・左中弁・近江

• 麗景殿女御れいけいでんのにょうご①弘徽殿女御の姪にあたり、藤大納言の娘。頭弁の妹。朱雀院の女御という。(賢木10.15)
(呼称)妹の麗景殿
②桐壷院の女御。院の崩御後は源氏の世話になっている。花散里は妹。(花散里11.3)
(呼称)麗景殿・女御・女御の君
③左大臣の三君。春宮(今上帝)の元服のとき、添臥として入内。後、藤壺女御とも呼ばれる。明石中宮に圧倒されがちであった。女二宮を生み、物の怪のため他界。(梅枝32.6)
(呼称)麗景殿・左大臣殿の三君・藤壺・故左大臣殿の女御・御方・母女御
④紅梅の長女。母は紅梅の北の方。妹中君、継母(真木柱)の娘宮の御方はともに同じ年ごろで、南面に住む。今上帝から望まれるが、明石の中宮に遠慮し、春宮に入内。(紅梅43.5)
• 冷泉院れいぜんいん桐壷帝第十皇子。母は藤壺中宮。実は源氏の子。源氏にそっくりの顔をしている。朱雀院のあとの天皇となる。(澪標14.13)
冷泉帝(Wikipedia)
(呼称)男の皇子・若宮・皇子・春宮・宮・主上・当帝・上・帝・内裏の院・院・おりゐの帝・冷泉院の帝・院の上・十の皇子

• 六條御息所ろくじょうのみやすどころ大臣の娘。十六歳で前坊に参り、姫君(秋好中宮)を生み、二十歳で前坊と死別す。桐壷帝は前坊と親しい兄弟。その筆跡は見事で、風雅をよく解した。葵上、紫上に物の怪として憑りつく。(葵9.1)
六條御息所(wikipedia)
(呼称)六条わたり・女・六条京わたり・六条の御息所・斎宮の母御息所・御息所・物怪・女君・女方・伊勢の宮・伊勢の御息所・故御息所・母御息所・中宮の母御息所・中宮の御母御息所
• 六君ろくのきみ夕霧の六女。母は藤典侍。親王や上達部で心を寄せる者が多く、夕霧は、六君が軽視されるのを惜しんで、落葉宮の養女とした。匂宮と結婚する。(匂兵部卿42.9)
(呼称)六君・典侍腹の六君・大殿の六の君・右大殿の六君・左大殿の姫君・女君・大殿の君

• 渡守孫童わたしもりのまごのわらわ浮舟の女房たちの話で、先ごろ棹をさしはずして川に落ちたという形で登場する。(浮舟51.34)
(呼称)童
わらわ①夕顔の女童。源氏が夕顔の花を見て随身に手折らせたところ、家から出てきて、香を焚きしめた白い扇を差し出す。(夕顔4.1)
(呼称)童
②中君に仕える女童。宇治からの手紙を、匂宮のいるとき中君に持ってきて、浮舟の居所が知られるきっかけとなる。
(呼称)ちひさき童・をさなき人
③浮舟に仕える女童で、二条院で匂宮に新参の女房と思われる。
(呼称)童
童孫王わらわそんのう蛍兵部卿宮の子で、朱雀院の五十賀に舞人に選ばれた。髭黒の太郎君や夕霧の三郎君とともに万歳楽を舞った。孫王は天皇の孫の意。(若菜下35.16)
(呼称)兵部卿の宮の童孫王・兵部卿の宮の孫王の君だち二人
参考図書
♦ 源氏物語事典 (増補版)編者 三谷榮一 有精堂出版株式会社 1992年発行
♦ 源氏物語大辞典 編者 秋山虔・室伏信助 株式会社角川グループパブリッシング
♦ 参照したweb site ねっこのえくり 「系図のメモ帖」に入っている見事な『源氏物語』の登場人物の系図を参照ください。
♦ wikiband 源氏物語の登場人物

♦ 夕霧の子供たち

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公開日2022年3月24日/ 改定2024年6月1日