源氏物語 36 柏木 かしわぎ

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原文 現代文
36.1 柏木、病気のまま新年となる
衛門督の君、かくのみ悩みわたりたまふこと、なほおこたらで、年も返りぬ。大臣、北の方、思し嘆くさまを見たてまつるに、
†「しひてかけ離れなむ命、かひなく、罪重かるべきことを思ふ、心は心として、また、あながちにこの世に離れがたく、惜しみ留めまほしき身かは。いはけなかりしほどより、思ふ心異にて、何ごとをも、人に今一際まさらむと、公私のことに触れて、なのめならず思ひ上りしかど、その心叶ひがたかりけり」
と、一つ二つの節ごとに、身を思ひ落としてしこなたなべての世の中すさまじう思ひなりて、後の世の行なひに本意深く進みにしを、親たちの御恨みを思ひて、野山にもあくがれむ道の重きほだしなるべくおぼえしかば、とざまかうざまに紛らはしつつ過ぐしつるを、つひに、
なほ、世に立ちまふべくもおぼえぬもの思ひの、一方ならず身に添ひにたるは、 我より他に誰かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれ
と思ふに、恨むべき人もなし。
「神、仏をもかこたむ方なきは、これ皆さるべきにこそはあらめ。誰も千年の松ならぬ世は、つひに止まるべきにもあらぬを、かく、 人にも、すこしうちしのばれぬべきほどにて、なげのあはれをもかけたまふ人あらむをこそは、一つ思ひに燃えぬるしるしにはせめ
せめてながらへば、おのづからあるまじき名をも立ち、我も人も、やすからぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは、 なめしと、心置いたまふらむあたりにも、さりとも思し許いてむかし。よろづのこと、今はのとぢめには、皆消えぬべきわざなり。また、異ざまの過ちしなければ、年ごろものの折ふしごとには、まつはしならひたまひにし方のあはれも出で来なむ」
など、つれづれに思ひ続くるも、うち返し、いとあぢきなし。
柏木がこのように依然として病気が続いて、年も改まった。父大臣や母北の方が嘆くさまを見て、柏木は、
「あえて死なんとするこの命は、捨てても甲斐なかろうが、ただ親に先立つ不孝の罪が重いだろう、それはそれとして、この世に執着し、何とか命を取りとめるに値する身であろうか。幼少の頃より、人と違って、何ごとも、ひと際抜きんでようと、公私にわたり人並み以上に努力したが、その心は叶わなかった」
と、一つ二つつまずく度に、自分は駄目だと卑下して、世間が味気なくなり、来世の安楽を求めるようになり、親たちの嘆きを思うと、それが仏道修行の重い妨げになると思い、あれこれと気持ちを紛らわせて今日まで出家せずにきたが、ついに、
「とうとう、世間の中でやり遂げる自信がなくなり、あれこれとわが身に起こったことは、自分の他に誰を咎められよう、自分の不届きな料簡で駄目にしたのです」
と思うと恨むべき人もいない。
「神・仏を恨むわけにもゆかず、これは皆前世の因縁でしょう。誰もこの世で千年の松のように、いつまでも生きて行けない、こうして女三の宮には、少しは偲ばれるでしょうし、かりそめにもあわれと思ってくれる人がいることこそ、恋に身をこがしたあかしとしましょう。
少なくとも、長く生きれば、自ずから浮名も立ち、わたしも相手の女もつらい思いでひと悶着が起きるでしょうし、それより、源氏に不届き者と嫌われるだろうし、それでも死んだら大目にみてくれるだろうか。人の死にさいしては、皆帳消しになるべきはずのものです。わたしは他に失態もないのだから、年ごろ何かの催しには親しく招いていただいたことで不憫に思われるだろう」
など、いろいろ思い続けるのも、繰り返して、味気ない。
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36.2 柏木、女三の宮へ手紙
などかく、ほどもなくしなしつる身ならむ」と、かきくらし思ひ乱れて、枕も浮きぬばかり、人やりならず流し添へつつ、いささか隙ありとて、人びと立ち去りたまへるほどに、かしこに御文たてまつれたまふ。
「今は限りになりにてはべるありさまは、おのづから聞こしめすやうもはべらむを、いかがなりぬるとだに、御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いと憂くもはべるかな」
など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふことも皆書きさして、
今はとて燃えむ煙もむすぼほれ
絶えぬ思ひのなほや残らむ

あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇に惑はむ道の光にもしはべらむ
と聞こえたまふ。
侍従にも、こりずまに、あはれなることどもを言ひおこせたまへり。
「みづからも、今一度言ふべきことなむ」
とのたまへれば、この人も、童より、さるたよりに参り通ひつつ、見たてまつり馴れたる人なれば、おほけなき心こそうたておぼえたまひつれ、今はと聞くは、いと悲しうて、泣く泣く、
「なほ、この御返り。まことにこれをとぢめにもこそはべれ」
と聞こゆれば、
「われも、今日か明日かの心地して、もの心細ければ、おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど、 いと心憂きことと思ひ懲りにしかば、いみじうなむつつましき
とて、さらに書いたまはず。
御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御けしきの、折々にまほならぬが、いと恐ろしうわびしきなるべし。されど、御硯などまかなひて責めきこゆれば、しぶしぶに書いたまふ。取りて、忍びて宵の紛れに、かしこに参りぬ。
「どうしてこう明日をも知れぬ身になったのか」と悲しみに暮れ心も乱れ、枕も浮くばかり涙を流し、誰のせいでもなく泣いて、小康状態になると、人々が側を離れたとき、三の宮に文を出すのだった。
「明日をもしれぬ命になりまして、風の便りにもお聞きかと思いますが、その後具合はどうですかと、お気にとめてくださいませんのも、当然ですが、情けなく思います」
などと文にすると、ひどく手が震えて、思うこともほとんど書き残して、
(柏木)「今は荼毘に付されるわたしの煙も空に昇らず
あなたに対する思いがこの世に残るでしょう
あわれと仰ってください。その言葉に気持ちを安んじて、煩悩の闇に惑う光にもしましょう」
と言うのだった。
小侍従にも、懲りずに、あわれなことどもを言いやるのだった。
「直接今一度言いたいことがある」
と言うので、小侍従も、幼い頃より、縁があって、邸に通って馴れた人だったので、柏木の大それた恋心を疎ましく思っていたが、もうこれが今わの際と聞くと、悲しく、泣いて、
「どうぞ、この返事を。これが最後の文になるかもしれません」
と申し上げれば、
「わたしも、今日か明日かの命と思い、心細いのですが、人の死ぬのは悲しいく思いますが、あの人とのことは、もう懲り懲りしましたので、その気になれません」
と言って、書こうとしない。
ご性格が、強く重々しいのではなく、あの立派な方のご機嫌が、時々よろしくなく、恐ろしくつらく思われる。しかし、硯などが用意され、強いて勧められれば、しぶしぶ書いた。小侍従はそれを取って、秘かに宵の闇に紛れて、あちらに届けた。
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36.3 柏木、侍従を招いて語る
大臣、かしこき行なひ人、葛城山より請じ出でたる、待ち受けたまひて、加持参らせむとしたまふ。御修法、読経なども、いとおどろおどろしう騷ぎたり。人の申すままに、さまざま聖だつ験者などの、をさをさ世にも聞こえず、深き山に籠もりたるなどをも、弟の君たちを遣はしつつ、尋ね召すに、けにくく心づきなき山伏どもなども、いと多く参る。患ひたまふさまの、そこはかとなくものを心細く思ひて、音をのみ、時々泣きたまふ。
陰陽師なども、多くは女の霊とのみ占ひ申しければ、さることもやと思せど、さらにもののけの現はれ出で来るもなきに、思ほしわづらひて、かかる隈々をも尋ねたまふなりけり。
この聖も、丈高やかに、まぶしつべたましくて、荒らかにおどろおどろしく陀羅尼読むを、
「いで、あな憎や。罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の声高きは、いと気恐ろしくて、いよいよ死ぬべくこそおぼゆれ」
とて、やをらすべり出でて、この侍従と語らひたまふ。
大臣は、さも知りたまはず、うち休みたると、人びとして申させたまへば、さ思して、忍びやかにこの聖と物語したまふ。おとなびたまへれど、なほはなやぎたるところつきて、もの笑ひしたまふ大臣の、かかる者どもと向ひゐて、この患ひそめたまひしありさま、何ともなくうちたゆみつつ、重りたまへること、
「まことに、このもののけ、現はるべう念じたまへ」
など、こまやかに語らひたまふも、いとあはれなり。
「かれ聞きたまへ。何の罪とも思し寄らぬに、占ひよりけむ女の霊こそ、まことにさる御執の身に添ひたるならば、 厭はしき身をひきかへ、やむごとなくこそなりぬべけれ
さてもおほけなき心ありて、さるまじき過ちを引き出でて、人の御名をも立て、身をも顧みぬたぐひ、昔の世にもなくやはありける、と思ひ直すに、なほけはひわづらはしう、かの御心に、かかる咎を知られたてまつりて、世にながらへむことも、いとまばゆくおぼゆるは、げに異なる御光なるべし
深き過ちもなきに、見合はせたてまつりし夕べのほどより、やがてかき乱り、惑ひそめにし魂の、身にも返らずなりにしを、かの院のうちにあくがれありかば、結びとどめたまへよ
など、いと弱げに、殻のやうなるさまして、泣きみ笑ひみ語らひたまふ。
父大臣は、霊験ある僧を葛城山から招じ入れて、待ち受けて、加持祈祷をしてもらおうとした。修法、読経など、とても大規模で仰々しく大声で騒ぐのだった。人が勧めるままに、さまざまな効験ある修験者たちを、世間も知らない、深い山の中に籠っている行者も、弟たちを遣わして、探し出して、不愛想で恐ろし気な山伏たちも、たくさん来た。柏木の病気の状態が、なんということもなく心細い面もちで、声にだして、時々泣いた。
陰陽師なども、多くは女の霊とみて、占うが、そうかも知れないと思うが、一向に物の怪は現れ出なかったので、困りはてて、深い山奥の隅々までさがした。
この聖も、背が高く、目に冷たい光を放って、荒い声で仰々しく陀羅尼を読むので、
「ああ、嫌だ。前世の罪が深かったのだろう、陀羅尼を声高に唱えられると、恐ろしい気がする。いよいよ死にそうだ」
とて、そっと床から抜け出して、この侍従と話をするのだった。
父大臣は、そうと気がつかずに、休んでいると、柏木が女房たちに報告させたので、そう思って、秘かにこの聖と話をするのだった。年はとっていたが、陽気なところがあって、笑い上戸の大臣が、このような者たちに向かって、病気のはじめの状態から、だんだんに重くなっていった様子を詳しく語り、
「本当に、この物の怪、現れるように念じてください」
などと、細やかに語らうのも、あわれであった。
「あれをお聞きください。父大臣が何の罪咎も思い当たらないで、占い当てたという女の霊が、本当にあの方の執念がわたしに取りついているなら、厭わしいこの身も、高貴になるでしょう。
大それた気持ちで、あるまじき過ちを犯してしまい、相手の浮名も立て、身を亡ぼす類は、昔の世にもあった、と思い直すが、やはり恐ろしく、源氏の君が知ってしまってから、わたしがそのまま生きながらえるのは、とんでもないことと思われるのは、君の威光が格別だからだろう。
大きな過ちではなく、お会いしたあの夕べから、心はかき乱れ惑い始めた魂が、この身に帰らず、あの六条院にさ迷っていましたら、魂結びして元に戻してください」
などと、柏木は、か弱げに脱け殻のようになって、泣いたり笑ったりした。
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36.4 女三の宮の返歌を見る
宮もものをのみ恥づかしうつつましと思したるさまを語る。さてうちしめり、面痩せたまへらむ御さまの、面影に見たてまつる心地して、思ひやられたまへば、げにあくがるらむ魂や、行き通ふらむなど、いとどしき心地も乱るれば、
今さらに、この御ことよ、かけても聞こえじ。この世はかうはかなくて過ぎぬるを、長き世のほだしにもこそと思ふなむ、いとほしき。心苦しき御ことを、平らかにとだにいかで聞き置いたてまつらむ見し夢を心一つに思ひ合はせて、また語る人もなきが、いみじういぶせくもあるかな
など、取り集め思ひしみたまへるさまの深きを、かつはいとうたて恐ろしう思へど、あはれはた、え忍ばず、この人もいみじう泣く。
紙燭召して、御返り見たまへば、御手もなほいとはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、
「心苦しう聞きながら、いかでかは。ただ推し量り。『残らむ』とあるは、
立ち添ひて消えやしなまし憂きことを
思ひ乱るる煙比べに

後るべうやは」
とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。
「いでや、この煙ばかりこそは、この世の思ひ出でならめ。はかなくもありけるかな」
と、いとど泣きまさりたまひて、御返り、臥しながら、うち休みつつ書いたまふ。言の葉の続きもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、
行方なき空の煙となりぬとも
思ふあたりを立ちは離れじ

夕べはわきて眺めさせたまへ。咎めきこえさせたまはむ人目をも、今は心やすく思しなりて、 かひなきあはれをだにも、絶えずかけさせたまへ
など書き乱りて、心地の苦しさまさりければ、
「よし。いたう更けぬさきに、帰り参りたまひて、かく限りのさまになむとも聞こえたまへ。今さらに、人あやしと思ひ合はせむを、わが世の後さへ思ふこそ口惜しけれ。いかなる昔の契りにて、いとかかることしも心にしみけむ」
と、泣く泣くゐざり入りたまひぬれば、例は無期に迎へ据ゑて、すずろ言をさへ言はせまほしうしたまふを、言少なにても、と思ふがあはれなるに、えも出でやらず。御ありさまを乳母も語りて、いみじく泣き惑ふ。大臣などの思したるけしきぞいみじきや。
「昨日今日、すこしよろしかりつるを、などかいと弱げには見えたまふ」
と騷ぎたまふ。
「何か、なほとまりはべるまじきなめり」
と聞こえたまひて、みづからも泣いたまふ。
宮は、何かにつけて恥ずかしく顔向けできない思いでいる。沈んだ、面痩した様子を、柏木は、面影に見る心地がして、思いやられるので、本当に魂が体を離れて抜け出て行き通っているのか、ますます気持ちが乱れて、
「今となっては、この宮のことも、すべて終わった、何も申し上げますまい。この世では浅い縁で過ぎたが、来世に向けて、成仏の障りになるだろう。気がかりなお産のことも、無事だ、と聞いてから去りたい。自分の見た夢を自分ひとりの胸に納めて、語る人がいないのがとても残念だ」
など、あれもこれも思い込んだ執着の深さに、小侍従は、一方でひどく恐ろしくも思ったが、あわれに、我慢できず、この人も激しく泣いた。
紙燭を持ってこさせて、宮の返事を見ると、筆跡もとても幼げで、しゃれた風情に書いてあって、
「お気の毒と思いながら、お便りできなかった。『残らむ』とあるのは、
(三の宮)わたしも煙となって消えてしまいたい、
憂きことが思い乱れるのなら
後れません」
とだけあるのを、柏木はしみじみともったいないと思う。
「いや何ということか。この煙比べの歌くらいが、この世の思い出なのか。はかないものだ」
といって、ひどく泣いて返事を、臥しながら、休みながら書いた。言葉の続きも、見馴れぬ鳥の足跡のような筆跡で、
(柏木)「行方なき空の煙となっても
思う方の側を離れることはないでしょう
夕暮れのときは、特によく眺めてください。咎める人を気にせずに、今は気楽にして、死んでは詮方ないが、どうかあわれと心にかけてください」
などと走り書いて、気持ちの苦しさが勝っていたので、
「もうよい。夜の更けないうちに、お帰りなさい、このような最後の様子を言ってあげなさい。今さらにわたしの恋を世間の人が疑うのも、死んだ後まで心にかかるのが残念だ。どんな宿世の縁で、こんなに宮を慕うのだろう」
と泣く泣く病床に入って、いつもなら向かいに座らせて、何でもないことでも宮の様子を語らせるのだが、今は言葉少ない、と思うのがあわれで、すぐにも帰らない。柏木の様子を乳母も語って、ひどく泣いた。父大臣の嘆きももただならない。
「昨日今日は、少し具合がいいようだが、なぜか弱って見える」
と騒ぐのであった。
「何だか、この世に留まれない気がします」
と言って柏木は自分でも泣いた。
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36.5 女三の宮、男子を出産
宮は、この暮れつ方より悩ましうしたまひけるを、その御けしきと、見たてまつり知りたる人びと、騷ぎみちて、大殿にも聞こえたりければ、驚きて渡りたまへり。御心のうちは、
「あな、口惜しや。思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし
と思せど、人にはけしき漏らさじと思せば、験者など召し、御修法はいつとなく不断にせらるれば、僧どもの中に験ある限り皆参りて、加持参り騒ぐ。
夜一夜悩み明かさせたまひて、日さし上がるほどに生まれたまひぬ。男君と聞きたまふに、
かく忍びたることの、あやにくに、いちじるき顔つきにてさし出でたまへらむこそ苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見るものならねばやすけれ」
と思すに、また、
「かく、心苦しき疑ひ混じりたるにては、心やすき方にものしたまふもいとよしかし。さても、あやしや。わが世とともに恐ろしと思ひしことの報いなめり。この世にて、かく思ひかけぬことにむかはりぬれば、後の世の罪も、すこし軽みなむや」
と思す。
人はた知らぬことなれば、かく心ことなる御腹にて、末に出でおはしたる御おぼえいみじかりなむと、思ひいとなみ仕うまつる
産屋うぶやの儀式、いかめしうおどろおどろし。御方々、さまざまにし出でたまふ御産養うぶやしない、世の常の折敷おしき衝重ついがさね、高坏などの心ばへも、ことさらに心々に挑ましさ見えつつなむ。
五日の夜、中宮の御方より、子持ちの御前の物、女房の中にも、品々に思ひ当てたる際々、公事にいかめしうせさせたまへり。御粥、屯食とんじき五十具、所々の饗、院の下部、庁の召次所、何かの隈まで、いかめしくせさせたまへり。宮司みやづかさ大夫だいぶよりはじめて、院の殿上人、皆参れり。
七夜は、内裏より、それも公ざまなり。致仕の大臣など、心ことに仕うまつりたまふべきに、このころは、何ごとも思されで、おほぞうの御訪らひのみぞありける。
宮たち、上達部など、あまた参りたまふ。おほかたのけしきも、世になきまでかしづききこえたまへど、大殿の御心のうちに、心苦しと思すことありて、いたうももてはやしきこえたまはず、御遊びなどはなかりけり。
宮は、この日の暮れから気分が悪くなり、産気づいた、と見た女房たちが大騒ぎで、源氏に申し上げたので、源氏は驚いて、西の対へ向かった。源氏の心のうちは、
「ああ、口惜しいことだ。余計なことを考えずにお産の世話をするのなら、うれしいのだが」
と思うのだが、人には露漏らすまじと思って、効験のある僧たちを召して、修法は間断なくさせるので、霊験ある僧たち皆招集して、加持をした。
宮は、一晩中お産の苦しみがあって、日が差し昇るころに産まれた。男子と聞くと、
「このように秘密の事情のあるのが、あいにく、人目につく男子で生まれたのは困ったことだ。女なら何となく紛れて、大勢の人が見る機会もなく、安心だが」
と思うが、また、
「このように、胸の痛む疑いが生じているときは、手のかからない男子もいいと思う。それにしても不思議だ。わたしの生涯に一番恐ろしく思ったことの報いだろうか。この世で意外な応報をうけたのだから、後の世の罪も、少しは軽くなるだろう」
と思うのだった。
人は事情を知らぬことながら、正室の子であるし、晩年の御子であるし、ご寵愛はいかばかりだろう、と皆気を入れて仕えるのだった。
御産屋の儀式、盛大で大仰だった。六条の院の婦人たちはそれぞれに工夫をこらした御産養うぶやしないの品々、世の常の折敷おしき衝重ついがさね、高坏などの意匠にも気を使い、競い合った。
五日の夜、秋好む中宮より、産婦の召しあがりもの、女房たちから、身分に応じた贈り物の数々、格式高く整えさせた。御粥、屯食とんじき五十具、身内の役人への膳、下役たち、詰所の役人たち、隅々まで、盛大に祝った。 宮司みやづかさ大夫だいぶよりはじめて、冷泉院の殿上人、皆参上した。
七夜は、帝から、それも公に行われた。致仕の大臣などは、格別にお祝い申し上げるべきところ、このころは、気持ちの余裕がなく、通り一遍のお祝いですませた。
宮たちや上達部たちは大勢参上した。表向きは、またとないほど大切にしてお祝いになったが、源氏の心の内には、つらい気持ちがあって、そう大して盛大にもしないのだった、管弦の遊びはなかった。
2020.6.7/ 2021.12.19/ 2023.7.22
36.6 女三の宮、出家を決意
宮は、さばかりひはづなる御さまにて、いとむくつけう、ならはぬことの恐ろしう思されけるに、御湯などもきこしめさず、身の心憂きことを、かかるにつけても思し入れば、
「さはれ、このついでにも死なばや」
と思す。大殿は、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、取り分きても見たてまつりたまはずなどあれば、老いしらへる人などは、
「いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさし出でたまへる御ありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」
と、うつくしみきこゆれば、片耳に聞きたまひて、
さのみこそは、思し隔つることもまさらめ
と恨めしう、わが身つらくて、尼にもなりなばや、の御心尽きぬ。
夜なども、こなたには大殿籠もらず、昼つ方などぞさしのぞきたまふ。
「世の中のはかなきを見るままに、行く末短う、もの心細くて、行なひがちになりにてはべれば、かかるほどのらうがはしき心地するにより、え参り来ぬを、いかが、御心地はさはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」
とて、御几帳の側よりさしのぞきたまへり。御頭もたげたまひて、
「なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを、かかる人は罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、また亡くなるとも、罪を失ふこともやとなむ思ひはべる」
と、常の御けはひよりは、いとおとなびて聞こえたまふを、
「いとうたて、ゆゆしき御ことなり。などてか、さまでは思す。かかることは、さのみこそ恐ろしかなれど、 さてながらへぬわざならばこそあらめ
と聞こえたまふ。御心のうちには、
まことにさも思し寄りてのたまはば、さやうにて見たてまつらむは、あはれなりなむかしかつ見つつも、ことに触れて心置かれたまはむが心苦しう、我ながらも、え思ひ直すまじう、憂きことうち混じりぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むることもあらむが、いといとほしう、院などの聞こし召さむことも、わがおこたりにのみこそはならめ。御悩みにことづけて、さもやなしたてまつりてまし」
など思し寄れど、また、いとあたらしう、あはれに、かばかり遠き御髪の生ひ先を、しかやつさむことも心苦しければ
「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ、さすがに頼みある世になむ」
など聞こえたまひて、御湯参りたまふ。いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにてうち臥したまへる御さま、おほどき、うつくしげなれば、
「いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな」
と見たてまつりたまふ。
宮はとてもきゃしゃな体で、気味が悪く、はじめてのお産に怖気づいて、薬湯なども召し上がらず、この身の不幸せを、このことにつけても思い込んで、
「いっそのこと、死んでしまいたい」
と思うのだった。源氏は、人目をつくろうことばかり思って、若君がむさくるしい気がして、とりわけて可愛がりもしないので、老いた女房などは、
「はてさて、ずいぶん冷たくしていらっしゃる。ずいぶん久しぶりにお生まれになって、こんなに可愛らしいのに」
といとおしんで申し上げるのを、宮は、小耳にして、
「これからは、ずっとこうして冷たい仕打ちをするのだろう」
と源氏を恨めしく思い、わが身がつらく、尼になりたいと思うのだった。
源氏は、夜はこちらで寝ることがなく、昼に来て覗かれるだけだった。
「はかない世の中の様子を見ると、わたしも行く末が長くない、勤行することが多くなり、このようなお産の後のもの騒がしい場所には、なかなか来れないのですが、ご気分はいかがですか。お気の毒に思います」
といって、几帳の側から覗くのだった。宮は頭をもたげて、
「どうしても、生き永らえない気がします、産後に死ぬのは罪も重いという。尼になって、その功徳で、生き永らえるかどうか、また亡くなっても、罪を消滅することになると思います」
と、いつもより、大人びて言うのだった。
「とんでもない。縁起でもない。どうしてそこまで思い詰めるのですか。お産は、恐ろしいものでしょうが、 それで命を落とすのなら話は別ですが」
と仰せになる。源氏の心の内は、
「本当にそう思って言っているのなら、出家をさせてお世話申すのも、あわれであろう。今は、宮が、事あるごとに疎ましく思われるのが、心苦しいし、わたしとしても、宮への念は改められそうにないし、不快なことも折に触れてあるだろうし、疎略に扱っていると人も見咎めるだろうし、院も聞いている範囲では、わたしの非ばかりを聞くことになろう。ご病気を口実に、尼にしてあげようか」
など思い寄るが、また、惜しい、あわれだ、このように若いお髪を切って捨てるのも、心苦しいので、
「いいえ、気を強く持ちなさい。心配いりません。もう駄目だと思われた人も、平癒した例が身近におられますから。頼みになる世の中です」
などと仰せになって、御湯をすすめるのだった。大そう青く痩せて、言いようもなく頼りない様子で臥しているのは、おっとりして、美しいので、
「どんなに大きな過ちをしても、心弱く大目に見たくなるお方だ」
と見るのであった。
2020.6.8/ 2021.12.19/ 2023.7.22
36.7 朱雀院、夜闇に六条院へ参上
山の帝は、めづらしき御こと平かなりと聞こし召して、あはれにゆかしう思ほすに、
「かく悩みたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにか」
と、御行なひも乱れて思しけり。
さばかり弱りたまへる人の、ものを聞こし召さで、日ごろ経たまへば、いと頼もしげなくなりたまひて、年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、
「またも見たてまつらずなりぬるにや」
と、いたう泣いたまふ。かく聞こえたまふさま、さるべき人して伝へ奏せさせたまひければ、いと堪へがたう悲しと思して、あるまじきこととは思し召しながら、夜に隠れて出でさせたまへり。
かねてさる御消息もなくて、にはかにかく渡りおはしまいたれば、主人の院、おどろきかしこまりきこえたまふ。
「世の中を顧みすまじう思ひはべりしかど、なほ惑ひ覚めがたきものは、子の道の闇になむはべりければ、行なひも懈怠して、 もし後れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむと、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものしはべる」
と聞こえたまふ。御容貌、異にても、なまめかしうなつかしきさまに、うち忍びやつれたまひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしうきよらなるも、うらやましく見たてまつりたまふ。例の、まづ涙落としたまふ。
患ひたまふ御さま、ことなる御悩みにもはべらず。ただ月ごろ弱りたまへる御ありさまに、はかばかしう物なども参らぬ積もりにや、かくものしたまふにこそ
など聞こえたまふ。
朱雀院は、お産が無事すんだことを聞いて、安堵してともかく会いたく思い、
「こうして産後のひだちが悪いとばかり聞くので、どうなっているのか」
と勤行も手につかず心配した。
女三の宮は、弱っていたが、何も食べずに、時を経て、回復の兆しも見えないので、長年会っていなかった時よりも、院をとても恋しく思い一途に会いたがっていて、
「もう二度と会えないのか」
とひどく泣くのだった。宮が父のことをこんな風に言っているのを、さるべき人を介して伝え聞いて、我慢できなくなり、やってはいけないとは知りながら、院は、夜陰に紛れて出かけた。
事前に連絡もなく、突然お出かけになったので、源氏も、驚き恐縮のよしを申し上げる。
「俗世は顧みずと思い決めておりましたが、なお惑いが覚めないのは、子を思う親の心です、勤行も怠けて、もし宮に先立たれて親子逆の順に なってしまえば、この怨念も互いに残ってしまうだろう。その切なさに、この世のおおかたの非難も辞せず、こうしてやって来たのです」
と仰せになる。容貌が僧形になっても、優雅で親しみやす様子で、お忍びで質素な身なりで、正式の法衣ではなく、墨染めの姿は、申し分なく立派で美しく、源氏は、うらやましく見るのであった。いつものことで、涙を流した。
「宮のご病状は、格別どうという具合ではございません。ここ幾月も弱った身体でお食事なども召し上がらなので、こんなにお弱りになったのです」
などと源氏が仰せになる。
2020.6.9/ 2021.12.19/ 2023.7.23
36.8 朱雀院、女三の宮の希望を入れる
「かたはらいたき御座なれども」
とて、御帳の前に、御茵参りて入れたてまつりたまふ。宮をも、とかう人びと繕ひきこえて、床のしもに下ろしたてまつる。御几帳すこし押しやらせたまひて、
「夜居加持僧などの心地すれど、まだ験つくばかりの行なひにもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなくおぼえたまふらむさまを、さながら見たまふべきなり」
とて、御目おし拭はせたまふ。宮も、いと弱げに泣いたまひて、
「生くべうもおぼえはべらぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせたまひてよ」
と聞こえたまふ。
「さる御本意あらば、いと尊きことなるを、さすがに、限らぬ命のほどにて、行く末遠き人は、かへりてことの乱れあり、世の人に誹らるるやうありぬべき
などのたまはせて、大殿の君に、
かくなむ進みのたまふを、今は限りのさまならば、片時のほどにても、その助けあるべきさまにてとなむ、思ひたまふる
とのたまへば、
「日ごろもかくなむのたまへど、邪気などの、人の心たぶろかして、かかる方にて進むるやうもはべなるをとて、聞きも入れはべらぬなり」
と聞こえたまふ。
「もののけの教へにても、それに負けぬとて、悪しかるべきことならばこそ憚らめ、弱りにたる人の、限りとてものしたまはむことを、聞き過ぐさむは、後の悔い心苦しうや」
とのたまふ。
「はなはだ恐縮な御座所ですが」
と仰せになって、御帳の前に、敷物を敷いて院を招じ入れる。宮の身なりを何とか、女房たちが整えて、帳台から床に下ろした。几帳を少し押しやって、
「夜居の加持僧の心地がするが、わたしはまだ効験が効く修行をしていないので、憚られるが、ただそなたにどうしても会いたいと思って来たわたしの姿を、見て下さい」
といって、目頭を拭くのだった。宮も、弱弱しく泣いて、
「とても生きられそうにないので、こうしてお越しいただいたついでに、尼にさせてください」
三の宮は言うのだった。
「そのような本願があるのなら、大へん尊いが、いつ死ぬか分からぬ命ながら、先行き遠い若い人は、間違いがおこりやすく、世間から批判も多い」
と仰せになり、源氏に、
「このように、自分から望んでいるので、今わの際では、一時のことでも、出家の功徳があるようにするのがよい、と思います」
と仰せになれば、
「日ごろからこう言っていますが、物の怪が言わしめて、邪気が心をたぶらかして、言わしめているのだ、と聞き入れていないのです」
源氏が仰せになる。
「物の怪の教唆だとしても、それに負けたとしても、結果が悪ければ憚るが、弱った人が、これが最後の本懐で言っているのなら、聞き過ごすのは、後に後悔するのでは」
と仰せになる。
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36.9 源氏、女三の宮の出家に狼狽
御心の内、限りなううしろやすく譲りおきし御ことを、受けとりたまひて、さしも心ざし深からず、わが思ふやうにはあらぬ御けしきを、ことに触れつつ、年ごろ聞こし召し思しつめけること、色に出でて恨みきこえたまふべきにもあらねば、世の人の思ひ言ふらむところも口惜しう思しわたるに、
かかる折に、もて離れなむも、何かは、人笑へに、世を恨みたるけしきならで、さもあらざらむ おほかたの後見には、なほ頼まれぬべき御おきてなるを、ただ預けおきたてまつりししるしには思ひなして、憎げに背くさまにはあらずとも、御処分に広くおもしろき宮賜はりたまへるを、繕ひて住ませたてまつらむ
わがおはします世に、さる方にても、うしろめたからず聞きおき、またかの大殿も、さいふとも、いとおろかにはよも思ひ放ちたまはじ、その心ばへをも見果てむ」
と思ほし取りて、
さらば、かくものしたるついでに、忌むこと受けたまはむをだに、結縁にせむかし
とのたまはす。
大殿の君、憂しと思す方も忘れて、こはいかなるべきことぞと、悲しく口惜しければ、え堪へたまはず、内に入りて、
「などか、いくばくもはべるまじき身をふり捨てて、かうは思しなりにける。なほ、しばし心を静めたまひて、御湯参り、物などをも聞こし召せ。尊きことなりとも、御身弱うては、行なひもしたまひてむや。かつは、つくろひたまひてこそ」
と聞こえたまへど、頭ふりて、いとつらうのたまふと思したり。つれなくて、恨めしと思すこともありけるにやと見たてまつりたまふに、いとほしうあはれなり。とかく聞こえ返さひ、思しやすらふほどに、夜明け方になりぬ。
朱雀院の心の内では、この上なく安心して源氏にお譲りした女三の宮ではあったが、源氏はそれを承知したが、さして愛情が深くはなく、源氏の様子も院が期待したほどではなかったが、何かにつけて、ここ数年お耳にして思ったことなどを、顔に出して恨むべきではないので、世評も口惜しいが、
「このような折に、出家をするのもどうか、外聞が悪く、夫婦仲が悪いからではないし、不都合ではなかろう。総じてお世話役としては、なお信頼できるお方であり、宮の身柄をお預けした甲斐はあった、憎らし気に源氏に背を向けるのではなく、遺産分けで、宮は、広く趣のある邸を持っており、それを修理して住まわせよう。
わたしが世にいる間は、尼の暮らしながらも、安心できるようにして、源氏も、そういっても、まさか疎略に扱って見放したりしないだろう、その心ばえも見届けよう」
と思い決めて、
「それでは、この折に、出家の戒を受けさせて、仏道の結縁を結びましょう」
と仰せになる。
源氏は、情けなく思っていたことも忘れて、これは一体どうなることか、と悲しく口惜しければ、たまらず、内に入って、
「どうして、余命いくばくもない年寄りを捨てて、そのようなことを思うのでしょう。もっとしばらく心を静めて、薬を飲み、食べなさい。出家は尊いが、身体が弱っていては、勤行もできません。ともかく養生なさってからにしてください」
と仰せになるが、三の宮は頭を振って、つらいことを仰せになると思うのだった。自分の仕打ちに、恨めしく思ったこともあったろうと思うと、源氏は、可哀そうで不憫に思った。あれこれ、源氏が反対しているうちに、夜明けになった。
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36.10 朱雀院、夜明け方に山へ帰る ††
帰り入らむに、道も昼ははしたなかるべしと急がせたまひて、御祈りにさぶらふ中に、やむごとなう尊き限り召し入れて、御髪下ろさせたまふ。いと盛りにきよらなる御髪を削ぎ捨てて、忌むこと受けたまふ作法、悲しう口惜しければ、大殿はえ忍びあへたまはず、いみじう泣いたまふ。
院はた、もとより取り分きてやむごとなう、人よりもすぐれて見たてまつらむと思ししを、この世には甲斐なきやうにないたてまつるも、飽かず悲しければ、うちしほたれたまふ。
「かくても、平かにて、同じうは念誦をも勤めたまへ」
と聞こえ置きたまひて、明け果てぬるに、急ぎて出でさせたまひぬ。
宮は、なほ弱う消え入るやうにしたまひて、はかばかしうもえ見たてまつらず、ものなども聞こえたまはず。大殿も、
夢のやうに思ひたまへ乱るる心惑ひに、かう昔おぼえたる御幸のかしこまりをも、え御覧ぜられぬらうがはしさは、ことさらに参りはべりてなむ
と聞こえたまふ。御送りに人びと参らせたまふ。
世の中の、今日か明日かにおぼえはべりしほどに、また知る人もなくて、漂はむことの、あはれに避りがたうおぼえはべしかば、御本意にはあらざりけめど、かく聞こえつけて、年ごろは心やすく思ひたまへつるを、もしも生きとまりはべらば、さま異に変りて、人しげき住まひはつきなかるべきを、さるべき山里などにかけ離れたらむありさまも、またさすがに心細かるべくや。さまに従ひて、なほ、思し放つまじく」
など聞こえたまへば、
「さらにかくまで仰せらるるなむ、かへりて恥づかしう思ひたまへらるる。乱り心地、とかく乱れはべりて、何事もえわきまへはべらず」
とて、げに、いと堪へがたげに思したり。
後夜の御加持に、御もののけ出で来て、
かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしが、いとねたかりしかば、このわたりに、さりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」
とて、うち笑ふ。いとあさましう、
「さは、このもののけのここにも、離れざりけるにやあらむ」
と思すに、いとほしう悔しう思さる。宮、すこし生き出でたまふやうなれど、なほ頼みがたげに見えたまふ。さぶらふ人びとも、いといふかひなうおぼゆれど、「かうても、平かにだにおはしまさば」と、念じつつ、御修法また延べて、たゆみなく行なはせなど、よろづにせさせたまふ。
西山に帰る時も近づき、道も人目がたって具合が悪かろう、と急がせて、病気平癒の祈祷の中を、位の高い高僧ばかりを召し入れて、宮の髪をおろさせた。大そう美しい若い盛りの髪を削がせて、受戒させた様子は、悲しく残念だったので、源氏は我慢しきれず、激しく泣いたのだった。
院は元より、宮を特別に大切になさって、誰よりも幸せな生涯を送らせようと思っていたのに、この世では甲斐なき尼姿にさせるのを、とても悲しく、涙にくれるのだった。
「こうしたお姿になったが、病気を治して、念誦にも勤めなさい」
と仰せになって、夜がすっかり明けたので、急いでお帰りになった。
宮は、それでも弱弱しく消え入りそうにして、はっきり父院の顔を拝することもできず、挨拶も言えない。源氏も、
「夢のように思って心も乱れ、昔の御幸のことも思い出されて、お成りの御礼も十分できないご無礼は、後日改めて参上してお詫びいたします」
と源氏は仰せになる。お供をつけて見送らせた。
「わたしの命が、今日か明日と思われます時に、他に頼るべき人もなく、宮が寄る辺ない身になることを、あわれに思い、避けがたく思いましたので、お気が進まなかったでしょうが、こうしてお願いして、年来安心しておりましたが、もし病気が治癒すれば、尼僧姿で、人の出入りの多い住まいは、不似合いだろうし、しかるべき山里などかけ離れた所も、やはり心細いでしょう。尼になっても、見放さないでください」
などと朱雀院が仰せになると、
「こうまで仰せになられるので、かえって恥ずかしく顔も上げられません。悲しみに気持ちが乱れて、何も分別できない心地です」
と言って源氏が、実に、堪えがたく思うのであった。
後夜の加持の時、物の怪が出てきて、
「ここにいるぞ。ひとりは取り返したと、思っただろうが、それが口惜しくて、三の宮のあたりにさりげなく潜んでいたが、もういいだろう。今は帰ろう」
と、物の怪は笑った。驚きだった。
「それでは、この物の怪はここにも離れずにいたのか」
と思うに、かわいそうにも、口惜しくも思う。宮は少し生き返ったような様子だったが、まだ頼りな気に見えた。お付きの女房たちは、すっかり気落ちした様子だったが、「こうしてでも、病気が治れば」と念じつつ、修法は延長して、たゆみなく行わせ、手立てを尽くすのだった。
2020.6.10/ 2021.12.19/ 2023.7.23
36.11 柏木、権大納言となる
かの衛門督は、かかる御事を聞きたまふに、いとど消え入るやうにしたまひて、むげに頼む方少なうなりたまひにたり。女宮のあはれにおぼえたまへば、ここに渡りたまはむことは、今さらに軽々しきやうにもあらむを、上も大臣も、かくつと添ひおはすれば、おのづからとりはづして見たてまつりたまふやうもあらむに、あぢきなしと思して、
かの宮に、とかくして今一度参うでむ」
とのたまふを、さらに許しきこえたまはず。誰にも、この宮の御ことを聞こえつけたまふ。はじめより母御息所は、をさをさ心ゆきたまはざりしを、この大臣の居立ちねむごろに聞こえたまひて、心ざし深かりしに負けたまひて、院にも、いかがはせむと思し許しけるを、二品の宮の御こと思ほし乱れけるついでに、
「なかなか、この宮は行く先うしろやすく、まめやかなる後見まうけたまへり」
と、のたまはすと聞きたまひしを、かたじけなう思ひ出づ。
「かくて、見捨てたてまつりぬるなめりと思ふにつけては、さまざまにいとほしけれど、心よりほかなる命なれば、堪へぬ契り恨めしうて、思し嘆かれむが、心苦しきこと。御心ざしありて訪らひものせさせたまへ」
と、母上にも聞こえたまふ。
「いで、あなゆゆし。後れたてまつりては、いくばく世に経べき身とて、かうまで行く先のことをばのたまふ」
とて、泣きにのみ泣きたまへば、え聞こえやりたまはず。右大弁の君にぞ、大方の事どもは詳しう聞こえたまふ。
心ばへののどかによくおはしつる君なれば、弟の君たちも、まだ末々の若きは、親とのみ頼みきこえたまへるに、かう心細うのたまふを、悲しと思はぬ人なく、殿のうちの人も嘆く。
公も、惜しみ口惜しがらせたまふ。かく限りと聞こし召して、にはかに権大納言になさせたまへり。よろこびに思ひ起こして、今一度も参りたまふやうもやあると、思しのたまはせけれど、さらにえためらひやりたまはで、苦しきなかにも、かしこまり申したまふ。大臣も、かく重き御おぼえを見たまふにつけても、いよいよ悲しうあたらしと思し惑ふ。
柏木は、このようなことを聞いて、消え入るような気持ちになって、まったく回復しそうになくなった。女二の宮をあわれに思って、こちらの邸に来ていただくことは、今更軽々しいことのようなので、母の御息所も父大臣も、そばについていて、何かのついでに宮の姿をお見かけすることがあっては、よくないと思っていて、
「二の宮に今一度会いたい」
と柏木が言うのを、どうしても許さなかった。柏木は、誰にでも、この宮のことを頼んだ。母御息所ははじめから、この結婚に乗り気でなかったのを、柏木の父大臣が何度も懇願したので、その心ざしの深さに負けて、院にも、どうしようかとお伺いを立て、三の宮が源氏との仲があまりよくないと噂された時だったので、
「かえってこの宮の方が先行きが安心で、まじめな後見を得たかもしれない」
と、院が仰せになったのを聞いてかたじけなく思ったのを思い出す。
「宮を後に残し、見捨てるようになってしまい、かわいそうですが、意のままにならぬ命であれば、添い遂げられない契りが恨めしく、嘆かわしく、お気の毒です。どうか心をかけて宮をお世話してください」
と母上にも言うのだった。
「まあ、何と縁起でもない。先立たれて、どうして世に生きて行ける身であるか、そんな先のことまでおっしゃいますか」
といって、泣きに泣いて、それ以上は何も言わない。右大弁の君に、一通りのことは、詳しく伝言する。
柏木は、気立てがおおらかでしっかりした君であったので、弟の君たちも、まだ末の若いのは、親のように頼っていたので、このように心細く言われるのを、皆悲しく思わぬ者はなく、邸中の人が嘆いた。
帝も、惜しみ口惜しがる。これが最後とお聞きになって、すぐに権大納言にした。喜んで、今一度内裏に参上するかもしれないと、帝は思われたのだが、一向に良くならない、苦しいなかにも、かしこまりお礼を申し上げるのだった。大臣も、このような厚い帝の寵愛を見るにつけて 、いよいよ悲しみもったいないと思うのであった。
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36.12 夕霧、柏木を見舞う
大将の君、常にいと深う思ひ嘆き、訪らひきこえたまふ。御喜びにもまづ参うでたまへり。このおはする対のほとり、こなたの御門は、馬、車たち込み、人騒がしう騷ぎ満ちたり。今年となりては、起き上がることもをさをさしたまはねば、重々しき御さまに、乱れながらは、え対面したまはで、思ひつつ弱りぬること、と思ふに口惜しければ、
「なほ、こなたに入らせたまへ。いとらうがはしきさまにはべる罪は、おのづから思し許されなむ」
とて、臥したまへる枕上の方に、僧などしばし出だしたまひて、入れたてまつりたまふ。
早うより、いささか隔てたまふことなう、睦び交はしたまふ御仲なれば、別れむことの悲しう恋しかるべき嘆き、親兄弟の御思ひにも劣らず。今日は喜びとて、心地よげならましをと思ふに、いと口惜しう、かひなし。
「などかく頼もしげなくはなりたまひにける。今日は、かかる御喜びに、いささかすくよかにもやとこそ思ひはべりつれ」
とて、几帳のつま引き上げたまへれば、
「いと口惜しう、その人にもあらずなりにてはべりや」
とて、烏帽子ばかりおし入れて、すこし起き上がらむとしたまへど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥したまへり。御座のあたりものきよげに、けはひ香うばしう、心にくくぞ住みなしたまへる。
うちとけながら、用意ありと見ゆ。重く患ひたる人は、おのづから髪髭も乱れ、ものむつかしきけはひも添ふわざなるを、痩せさらぼひたるしも、いよいよ白うあてなるさまして、枕をそばだてて、ものなど聞こえたまふけはひ、いと弱げに、息も絶えつつ、あはれげなり。
夕霧は、ずっと心配し、お見舞いにも行っている。昇進の喜びのときも、真っ先に参上した。柏木のいる対のあたりは、その門は、馬、車が混んでいて、人が騒がしかった。今年になって、柏木は、起き上がることもなかなかできないので、重責の夕霧に、乱れた姿は、見せられないと、気にしつつ弱っていくのではと、口惜しく思い、
「どうぞこちらにお入りください。ひどくむさくるしい所ですが、その罪はお許しください」
といって、臥した枕の上方に、加持の僧など席を外させて、夕霧をそこに招じ入れた。
昔からいつも交らって仲が良かったので、別れの悲しみ嘆きを、親兄弟の思いにも劣らず、今日は昇進の喜びの日なので、嬉しそうにしていればと思うが、そうでもなく、具合が悪そうで残念だが容体は変わらない。
「どうしてこんなことになったのか。今日は、昇進の喜びに、少しは元気になられたと思っていました」
といって、几帳の端を引き上げると、
「全くふがいないことになった、日ごろのわたしらしくもない」
とて、烏帽子を押し込むようにして、少し起き上がろうとしたが、苦しそうであった。白い衣は、身について柔らかそうなのを何枚か重ねて、掛けて臥していた。そのあたりはこざっぱりして、香ばしく、奥ゆかしく暮らしぶりだった。
くつろいだ様子で、たしなみ深く見えた。重く患っている人は、自然と髪髭も乱れて、むさくるしい感じになるものだが、痩せてしまって、いよいよ気品のある様子で、枕を立てて、話をする様子も、弱弱し気で、息も絶え絶えで実にあわれであった。
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36.13  柏木、夕霧に遺言
「久しう患ひたまへるほどよりは、ことにいたうもそこなはれたまはざりけり。常の御容貌よりも、なかなかまさりてなむ見えたまふ」
とのたまふものから、涙おし拭ひて、
「後れ先立つ隔てなくとこそ契りきこえしか。いみじうもあるかな。この御心地のさまを、 何事にて重りたまふとだに、え聞き分きはべらず。かく親しきほどながら、おぼつかなくのみ」
などのたまふに、
「心には、重くなるけぢめもおぼえはべらず。そこどころと苦しきこともなければ、たちまちにかうも思ひたまへざりしほどに、月日も経で弱りはべりにければ、今はうつし心も失せたるやうになむ。
惜しげなき身を、さまざまにひき留めらるる祈り、願などの力にや、さすがにかかづらふも、なかなか苦しうはべれば、心もてなむ、急ぎ立つ心地しはべる。
さるは、この世の別れ、避りがたきことは、いと多うなむ。親にも仕うまつりさして、今さらに御心どもを悩まし、君に仕うまつることも半ばのほどにて、身を顧みる方、はた、ましてはかばかしからぬ恨みを留めつる大方の嘆きをば、さるものにて。
また心の内に思ひたまへ乱るることのはべるを、かかる今はのきざみにて、何かは漏らすべきと思ひはべれど、なほ忍びがたきことを、誰にかは愁へはべらむ。これかれあまたものすれど、さまざまなることにて、さらにかすめはべらむも、あいなしかし
六条院にいささかなる事の違ひ目ありて、月ごろ、心の内にかしこまり申すことなむはべりしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病づきぬとおぼえはべしに、召しありて、院の御賀の楽所の試みの日参りて、御けしきを賜はりしに、なほ許されぬ御心ばへあるさまに、御目尻を見たてまつりはべりて、いとど世にながらへむことも憚り多うおぼえなりはべりて、あぢきなう思ひたまへしに、心の騷ぎそめて、かく静まらずなりぬるになむ。
人数には思し入れざりけめど、いはけなうはべし時より、深く頼み申す心のはべりしを、いかなる讒言などのありけるにかと、これなむ、この世の愁へにて残りはべるべければ、論なうかの後の世の妨げにもやと思ひたまふるを、ことのついではべらば、御耳留めて、よろしう明らめ申させたまへ。
亡からむ後ろにも、この勘事許されたらむなむ、御徳にはべるべき」
などのたまふままに、いと苦しげにのみ見えまされば、いみじうて、心の内に思ひ合はすることどもあれど、さして確かには、えしも推し量らず。
「いかなる御心の鬼にかは。さらに、さやうなる御けしきもなく、かく重りたまへる由をも聞きおどろき嘆きたまふこと、限りなうこそ口惜しがり申したまふめりしか。など、かく思すことあるにては、今まで残いたまひつらむ。こなたかなた明らめ申すべかりけるものを。今はいふかひなしや」
とて、取り返さまほしう悲しく思さる。
「げに、いささかも隙ありつる折、聞こえうけたまはるべうこそはべりけれ。されど、いとかう今日明日としもやはと、みづからながら知らぬ命のほどを、思ひのどめはべりけるもはかなくなむ。このことは、さらに御心より漏らしたまふまじ。さるべきついではべらむ折には、御用意加へたまへとて、聞こえおくになむ。
一条にものしたまふ宮とに触れて訪らひきこえたまへ。心苦しきさまにて、院などにも聞こし召されたまはむを、つくろひたまへ」
などのたまふ。言はまほしきことは多かるべけれど、心地せむかたなくなりにければ、
「出でさせたまひね」
と、手かききこえたまふ。加持参る僧ども近う参り、上、大臣などおはし集りて、人びとも立ち騒げば、泣く泣く出でたまひぬ。
「長く病気になっている割には、それほど見苦しくない。いつもの御容貌よりも、かえっていい男ぶりですよ」
と言って、涙を拭い、
「死ぬときは一緒と誓った仲ではないか。何と悲しいことでしょう。この病気は、何が原因なのか、お聞きすることもできなかった。こんなに親しいのに、分からないなんて」
などと仰ると、
「いつから病が重くなったのか、わたしも分からないのです。それほど苦しくもなかった、急にこんなことになろうとは思いませんでしたが、日を経ずに弱ってきて、今は正気も失せたような気がします。
惜しい命ではないが、さまざまな加持があって、祈祷の力でしょうか、さすがに生き永らえているのも、苦しく、自分から進んで、あの世に行きたい心地です。
そうは言っても、この世の別れで、心にかかることは、たくさんあります。親への孝行も尽くさず、帝に仕えるのも中途半端で、この身を修するのもまた、はかばかしくなく、悔いが残ります、世間並みの嘆きは嘆きとして。
また、心の内で思い悩んでいることがありますが、このような今わの際で、何かを漏らすべきか、と思いますが、それでも心の内に秘めておけないことを、他の誰に訴えられましょう。あれこれとたくさんありますが、事情があり、何となく打ち明けるのも、憚られます。
六条院で、行き違いがありまして、月ごろ心秘かに申し訳ないと悩んでいましたが、それがまことに不本意で、世の中が心細くなり、病になったと思っておりますが、お召しがあった時に、院の御賀の楽所の試楽の日に参りまして、源氏の君のご機嫌をうかがいました折に、お咎めがなお許されない心ばえであったのを、目尻に見て、ますますこの世に生きて行くのも憚られると思って、何もかも終わりだと、心が騒ぎ始めて、静まらなくなりました。
源氏の君は、わたしを人数にも思っておられないでしょうが、幼少より深く頼みにしていましたので、どんな讒言ざんげんがあったのか、これがこの世の悔いとして残るのですが、きっと成仏の妨げになると思っております、ことのついでに、お耳に留めていただいて、しかるべくときに申し開きしてください。
死んでから、このことが許されたら、あなたのお蔭でしょう」
など、言うままに、大そう苦しそうに見えたので、夕霧は驚いて、心中いろいろ思い当たることもあったが、確かには、これと推定できなかった。
「どんな咎めを気にしているのか。それに、源氏にはそんな素振りもなく、このように病が重くなって驚き、嘆いて、残念に思っていられるのです。どうして、こんな悩みがあって、今まで黙っていたのでしょう。お二人の間に立って釈明することもできたでしょうが、今はどうしようもありません」
とて、昔を今に取り返したいと悲しむのだった。
「確かに、少しでも具合のいいい時に、申し上げてるべきでした。しかし、今日か明日かの命になるとは、自分でも思っていなかったので、のんきに考えていました。このことは、あなたひとりの胸にしまっておいてください。しかるべきついでがあった時には、ご配慮していただくべく、今お話しするのです。
落葉の宮には、何につけて、見舞ってやってください。おいたわしい身の上になるが、父院にもご心配かけるのが気がかりです」
などと言うのであった。言いたいことはたくさんあったが、気持ちが堪えがたく苦しくなってきたので、
「もうお帰りください」
と、手まねで言うのだった。加持僧なども近くに来て、母上や父大臣なども集まって来たので、女房たちも騒ぐので、泣く泣く退出した。
2020.6.11/ 2021.12.19/ 2023.7.24
36.14  柏木、泡の消えるように死去
女御をばさらにも聞こえず、この大将の御方などもいみじう嘆きたまふ。 心おきての、あまねく人のこのかみ心にものしたまひければ、右の大殿の北の方も、この君をのみぞ、睦ましきものに思ひきこえたまひければ、よろづに思ひ嘆きたまひて、御祈りなど取り分きてせさせたまひけれど、やむ薬ならねば、かひなきわざになむありける。女宮にも、つひにえ対面しきこえたまはで、泡の消え入るやうにて亡せたまひぬ。
年ごろ、下の心こそねむごろに深くもなかりしか、大方には、いとあらまほしくもてなしかしづききこえて、気なつかしう、心ばへをかしう、うちとけぬさまにて過ぐいたまひければ、つらき節もことになし。ただ、
「かく短かりける御身にて、あやしくなべての世すさまじう思ひたまへけるなりけり」
と思ひ出でたまふに、いみじうて、思し入りたるさま、いと心苦し。
御息所も、「いみじう人笑へに口惜し」と、見たてまつり嘆きたまふこと、限りなし。
大臣、北の方などは、ましていはむかたなく、
「我こそ先立ため。世のことわりなうつらいこと」
と焦がれたまへど、何のかひなし。
尼宮は、おほけなき心もうたてのみ思されて、世に長かれとしも思さざりしを、かくなむと聞きたまふは、さすがにいとあはれなりかし。
「若君の御ことを、さぞと思ひたりしも、げに、かかるべき契りにてや、思ひのほかに心憂きこともありけむ」と思し寄るに、さまざまもの心細うて、うち泣かれたまひぬ。
弘徽殿の女御は言うに及ばず、夕霧の北の方も激しく泣いた。柏木は、心配りが、分け隔てなく誰にも兄貴分のように面倒見が良かったので、髭黒の大将の玉鬘も、柏木とだけは、気の置けない兄弟と見ていたので、何につけても、思い嘆いて、特別に加持祈祷をさせていたが、恋の病の薬にはならず、効き目はなかった。柏木の北の方の落ち葉の宮も、ついに夫と面談することなく、柏木は泡が消えるように亡くなった。
柏木は、常日ごろから、二の宮を深く愛していたわけではなかったが、表面的には、申し分ないお 扱いで、心やさしく、風雅のたしなみもあり、けじめ正しく終始していたので、宮としては恨みはない。ただ、
「こんなに短い命なのに、妙に何でも世の中を殺風景で味気なく思っていた」
と思い出すように、たまらなく、悲しむ様子は、お気の毒だった。
御息所も、「はなはだ外聞が悪いのが口惜しい」と、見られて嘆くこと限りない。
父大臣、母北の方などは、まして言いようもなく、
「わたしこそ先に逝きたい。世の理も何もないではないか」
と子を焦がれたが、何の甲斐もない。
尼宮は、柏木の大それた恋心が忌まわしかったが、長生きしてほしいとも思ってなかったので、死んだと聞いて、さすがにあわれに思った。
「若君の誕生を、柏木が自分の胤と思っていたのも、前世の因縁で、思いがけないつらい事もあったのだろう」と思うと、さまざまに心細くなり、尼宮は泣くのであった。
2020.6.11/ 2022.1.3/ 2023.7.24
36.15  若君の五十日の祝い
弥生になれば、空のけしきもものうららかにて、この君、五十日いかのほどになりたまひて、いと白ううつくしう、ほどよりはおよすけて、物語などしたまふ。大殿渡りたまひて、
「御心地は、さはやかになりたまひにたりや。いでや、いとかひなくもはべるかな。例の御ありさまにて、かく見なしたてまつらましかば、いかにうれしうはべらまし。心憂く、思し捨てけること」
と、涙ぐみて怨みきこえたまふ。日々に渡りたまひて、今しも、やむごとなく限りなきさまにもてなしきこえたまふ。
五十日いかもちい参らせたまはむとて、容貌異なる御さまを、人びと、「いかに」など聞こえやすらへど、院渡らせたまひて、
「何か。女にものしたまはばこそ、同じ筋にて、いまいましくもあらめ」
とて、南面に小さき御座などよそひて、参らせたまふ。御乳母、いとはなやかに装束きて、御前のもの、いろいろを尽くしたる御籠物こもの桧破籠ひわりごの心ばへどもを、内にも外にも、もとの心を知らぬことなれば、取り散らし、何心もなきを、「いと心苦しうまばゆきわざなりや」と思す。
三月になれば、空の気色もうららかで、若君は、五十日になって、色白で可愛らしく、日数にしては成長が早く、何か声をあげて話をしようとする。源氏はやってきて、
「ご気分はいかがですか。いやもう、張り合いのないことです。尼姿でなく今まで通りの姿で、お元気な様子でお会いできたら、どんなにうれしかったことでしょう。情けなく、お見捨てになってしまった」
と涙ぐんで、恨みがましく仰せになる。毎日やってきて、今の方が、かえって大事にもてなされているようだ。
五十日いかの御祝いに、餅をさしあげようと、尼僧姿なのを、女房たちは「どうしたものか」などと言って戸惑っているのを、源氏がやってきて、
「構わん。女の子なら、同じ筋にて、縁起でもなかろが」
と言って、南面に小さな御座をしつらえて、餅をさしあげる。乳母は、華やかな装束を着て、御前のもの、いろいろ趣向を凝らした籠物こものや、桧破籠ひわりごなどを、御簾の内外に、本当のことを知らぬので、無心にお祝いしているのを見ると、源氏は「とても心苦しくいたたまれない」と思う。
2020.6.12/ 2022.1.3/ 2023.7.24
36.16  源氏と女三の宮の夫婦の会話
宮も起きゐたまひて、御髪の末の所狭う広ごりたるを、いと苦しと思して、額など撫でつけておはするに、几帳を引きやりてゐたまへば、いと恥づかしうて背きたまへるを、いとど小さう細りたまひて、御髪は惜しみきこえて、長う削ぎたりければ、後ろは異にけぢめも見えたまはぬほどなり。
すぎすぎ見ゆる鈍色ども、黄がちなる今様色など着たまひて、まだありつかぬ御かたはらめ、かくてしもうつくしき子どもの心地して、なまめかしうをかしげなり。
「いで、あな心憂。墨染こそ、なほ、いとうたて目もくるる色なりけれ。かやうにても、見たてまつることは、絶ゆまじきぞかしと、思ひ慰めはべれど、古りがたうわりなき心地する涙の人悪ろさを、いとかう思ひ捨てられたてまつる身の咎に思ひなすも、さまざまに胸いたう口惜しくなむ。取り返すものにもがなや」
と、うち嘆きたまひて、
今はとて思し離れば、まことに御心と厭ひ捨てたまひけると、恥づかしう心憂くなむおぼゆべき。なほ、あはれと思せ
と聞こえたまへば、
「かかるさまの人は、もののあはれも知らぬものと聞きしを、ましてもとより知らぬことにて、いかがは聞こゆべからむ」
とのたまへば、
「かひなのことや。思し知る方もあらむものを」
とばかりのたまひさして、若君を見たてまつりたまふ。
女三の宮も起き上がって、髪の裾が広がっているのを、気にして、額などを撫でつけているので、源氏が几帳をずらして入ると、恥ずかし気に背を向ける様子は、とても小柄で身体が細く、髪は切るのを惜しんで長めに削いだので、後ろから見れば、普通の人と見分けがつかなかった。
次々と重ねた鼠色のうちきに、黄のかかった紅色の今様の表衣を着て、まだ尼僧姿が身につかない横顔は、かえって美しい少女のようで、優雅で可愛らしい。
「ああ、何と情けない。墨染めこそ、馴染めない色だ、目の前が暗くなる。このようにして、これからもずっと会えるだろうと、自分を慰めているが、昔に変わらず未練がましく泣いているわたしの不恰好な姿が、私の咎となって捨てられたのだろうと思って、つらく残念に思う。昔を今に取り返す術はないものか」
と源氏は仰せになり、
「わたしを見限るのなら、本当に世を厭い捨てたのだと、まぶしくも心憂くも思います。それでも、わたしをあわれと思ってください」
と仰せになれば、
「出家者はもののあわれを知らぬと聞いておりましたが、元々もののあわれは知らぬことにて、どうご返事したらいいのでしょう」
と尼宮は言うので、
「しょうがありませんね。お分かりのこともあったでしょう」
と仰せになって、若君を見るのだった。
2020.6.12/ 2022.1.3/ 2023.7.24
36.17  源氏、老後の感懐
御乳母たちは、やむごとなく、めやすき限りあまたさぶらふ。召し出でて、仕うまつるべき心おきてなどのたまふ。
「あはれ、残り少なき世に、生ひ出づべき人にこそ」
とて、抱き取りたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。大将などの稚児生ひ、ほのかに思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、父帝の御方ざまに、王気づきて気高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。
この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみの薫りて、笑がちなるなどを、いとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほ、いとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかに恥づかしきさまも、やう離れて、薫りをかしき顔ざまなり。
宮はさしも思し分かず。人はた、さらに知らぬことなれば、ただ一所の御心の内にのみぞ、
「あはれ、はかなかりける人の契り跡か」
と見たまふに、大方の世の定めなさも思し続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌みすべき日をと、おし拭ひ隠したまふ。
「静かに思ひて嗟くに堪へたり」
と、うち 誦うじたまふ。五十八を十取り捨てたる御齢なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。「汝が爺に」とも、諌めまほしう思しけむかし。
乳母たちは、身分も高く感じの良いものを召し出して、若君に仕える心構えを仰せになる。
「あわれ。わたしの余命は幾ばくもないが、これから育つ人だからね」
と仰せになって、抱きとれば、人見せずに笑って、まるまると肥えて肌が白く美しい。夕霧が稚児のときは、かすかに思いだす限りでは似ていない。明石の女御腹の宮たちは、父帝の血を引いて、皇族らしく、気高いが、際立って美しいというわけではない。
この君は、とても気品が高いのに加え、愛嬌があり、目元がほんのりし、よく笑い、大そう可愛らしい。そう思って見るせいか、柏木によく似ている。今から目元がおっとりして人にすぐれた感じも、尋常ではなく、薫るような美しい顔立ちである。
宮はそれほどは見分けられず、人はもちろん、知るはずもないことなので、ただ源氏ひとりだけの心の内が、
「あわれ、はかなく逝った人の契りのしるしか」
と思うに、世の無常ということも思い出られて、涙がほろほろとこぼれて、今日は不吉なことは禁物の日だ、と涙を拭い隠すのだった。
「静かに思って、嘆くのを堪える」
と誦した。五十八から十を取れば今の年齢になる、生涯も終わりに近づいた気持ちがして、あわれに思う。「お前の父の轍を踏むなよ」と、いましめるのだった。
2020.6.12/ 2022.1.3/ 2023.7.24
36.18  源氏、女三の宮に嫌味を言う
「このことの心知れる人、女房の中にもあらむかし。知らぬこそ、ねたけれ。烏滸おこなりと見るらむ」と、安からず思せど、「わが御咎あることはあへなむ。二つ言はむには、女の御ためこそ、いとほしけれ」
など思して、色にも出だしたまはず。いと何心なう物語して笑ひたまへるまみ、口つきのうつくしきも、「心知らざらむ人はいかがあらむ。なほ、いとよく似通ひたりけり」と見たまふに、「親たちの、子だにあれかしと、泣いたまふらむにも、え見せず、人知れずはかなき形見ばかりをとどめ置きて、さばかり思ひ上がり、およすけたりし身を、心もて失ひつるよ」
と、あはれに惜しければ、めざましと思ふ心もひき返し、うち泣かれたまひぬ。
人びとすべり隠れたるほどに、宮の御もとに寄りたまひて、
「この人をば、いかが見たまふや。かかる人を捨てて、背き果てたまひぬべき世にやありける。あな、心憂」
と、おどろかしきこえたまへば、顔うち赤めておはす。
誰が世にか種は蒔きしと人問はば
いかが岩根の松は答へむ

あはれなり」
など、忍びて聞こえたまふに、御いらへもなうて、ひれふしたまへり。ことわりと思せば、しひても聞こえたまはず。
「いかに思すらむ。もの深うなどはおはせねど、いかでかはただには」
と、推し量りきこえたまふも、いと心苦しうなむ。
「この秘密を知っている者が、女房の中にいるに違いない。分からないのが残念だ。間男と見ているだろう」と安からぬ気持ちだが、「自分が物笑いになるのなら、堪えもしよう。女こそ気の毒だ」
などと思うのだが、顔には決して出さない。若君は無心に声を出して笑っている、口元が美しく、「本当のことを知らない人は、どう思っているか、よく見れば柏木に似ている」と見るのだった。「両親がせめて子を残してくれていたら、と泣いているそうだが、人知れずはかない形見を残して、あれほど志が高く、立派に成長したのに、自分から滅んでしまった」
とあわれで惜しかったので、不届き者と思う心も思い直して、泣くのであった。
女房たちが席を立った時に、源氏は宮の元に寄って、
「この幼子をどう思います。このような子を捨てて、世に背いて出家するとは。ああ、情けない」
と、注意を引くように仰せになると、宮は顔を赤らめている。
(源氏)「誰がこの世に蒔いた種でしょうと人が問えば
若君は何と答えるでしょう
あわれです」
などとこっそりと仰せになる。答えもなく、臥したままであった。無理もないと思うが、何も話そうとしない。
「どう思っているのか。深く思う方ではないが、平静ではいられまい」
と推し量ろうとするが、すごくお気の毒に思うのであった。
2020.6.13/ 2022.1.3/ 2023.7.24
36.19  夕霧、事の真相に関心
大将の君は、かの心に余りて、ほのめかし出でたりしを
いかなることにかありけむ。すこしものおぼえたるさまならましかばさばかりうち出でそめたりしに、いとようけしきは見てましをいふかひなきとぢめにて、折悪しういぶせくて、あはれにもありしかな」
と、面影忘れがたうて、兄弟の君たちよりも、しひて悲しとおぼえたまひけり。
「女宮のかく世を背きたまへるありさま、おどろおどろしき御悩みにもあらで、すがやかに思し立ちけるほどよ。また、さりとも、許しきこえたまふべきことかは。
二条の上の、さばかり限りにて、泣く泣く申したまふと聞きしをば、いみじきことに思して、つひにかくかけとどめたてまつりたまへるものを」
など、取り集めて思ひくだくに、
なほ、昔より絶えず見ゆる心ばへ、え忍ばぬ折々ありきかしいとようもて静めたるうはべは、人よりけに用意あり、のどかに、何ごとをこの人の心のうちに思ふらむと、見る人も苦しきまでありしかど、すこし弱きところつきて、なよび過ぎたりしけぞかし
いみじうとも、さるまじきことに心を乱りて、かくしも身に代ふべきことにやはありける人のためにもいとほしう、わが身はいたづらにやなすべき。さるべき昔の契りといひながら、いと軽々しう、あぢきなきことなりかし
など、心一つに思へど、女君にだに聞こえ出でたまはず。さるべきついでなくて、院にもまだえ申したまはざりけり。さるは、かかることをなむかすめし、と申し出でて、御けしきも見まほしかりけり。
父大臣、母北の方は、涙のいとまなく思し沈みて、はかなく過ぐる日数をも知りたまはず、御わざの法服、御装束、何くれのいそぎをも、君たち、御方々、とりどりになむ、せさせたまひける。
経仏のおきてなども、右大弁の君せさせたまふ。七日七日の御誦経などを、人の聞こえおどろかすにも、
「我にな聞かせそ。かくいみじと思ひ惑ふに、なかなか道妨げにもこそ」
とて、亡きやうに思し惚れたり。
夕霧は、柏木が思い余って言い出したことを、
「何があったのだろう。もっと意識がはっきりしていたら、あれほど一旦言い出したことなので、十分事情は察しられたであろうに。今わの際に、事情もはっきり呑み込めず、あわれであったなあ」
と面影が忘れられず、兄弟の君たちよりも、どこまでも悲しく思うのだった。
「女三の宮が世に背いて出家される事情は、ひどいご病気でもないのに、思いっきりよく決心したものだ。またそうであっても、よく源氏が許可したものだ。
紫の上の時は、あれほど危篤の状態で、泣く泣く出家をお願いしたのに、とんでもないことと思って、とうとう引き留められたのに」
など、夕霧があれこれと思案するに、
「やはり、(柏木は)昔から三の宮への恋心を抱いていて、抑えきれぬ折々があったな。表面は冷静に構えていて、折目正しく、落ち着いて、この人は何を考えているのだろうと、はたの人も気づまりなほどで、少し情に溺れるところがあり、やさしすぎたのだ。
どんなに切なくても、そのような道に外れた恋に心を乱して、こうして命に代えてもいいものだろうか。相手にとっても迷惑だし、わが身は滅ぼす。そのような前世の因縁とはいえ、いかにも身分をわきまえぬ、つまらないことではないか」
などと自分ひとりで思うが、女君に話すでもなく、適当な機会もなく、源氏にもまだ申し上げていないのだった。とはいえ、このようなことを、ほのめかしました、と話して、顔色をうかがってみたい気もした。
父大臣や母北の方は、涙のかれるときもなく、どんどん過ぎて行く日数も分からなくなって、法事の法服、装束、そのほか何かの準備も、弟たちがとりどりに仕切るのであった。
お経や仏像の指図なども、右大弁の君がしていた。七日七日の誦経などを、人が指示を仰いでも、大臣は、
「わたしに聞くな。悲しみに沈んでいるのに、かえって往生の妨げになる」
とて、死んだようになって、ぼんやりしていた。
2020.6,13/ 2022.1.8/ 2023.7.24
36.20  夕霧、一条宮邸を訪問
一条の宮には、まして、おぼつかなうて別れたまひにし恨みさへ添ひて、日ごろ経るままに、広き宮の内、人気少なう心細げにて、親しく使ひ慣らしたまひし人は、なほ参り訪らひきこゆ。
好みたまひし鷹、馬など、その方の預りどもも、皆つくところなう思ひ倦じて、かすかに出で入るを見たまふも、ことに触れてあはれは尽きぬものになむありける。もて使ひたまひし御調度ども、常に弾きたまひし琵琶、和琴などの緒も取り放ちやつされて、音を立てぬも、いと埋れいたきわざなりや。
御前の木立いたう煙りて、花は時を忘れぬけしきなるを眺めつつ、もの悲しく、さぶらふ人びとも、鈍色にやつれつつ、寂しうつれづれなる昼つ方、前駆はなやかに追ふ音して、ここに止まりぬる人あり。
「あはれ、故殿の御けはひとこそ、うち忘れては思ひつれ」
とて、泣くもあり。大将殿のおはしたるなりけり。御消息聞こえ入れたまへり。例の弁の君、宰相などのおはしたると思しつるを、いと恥づかしげにきよらなるもてなしにて入りたまへり。
母屋の廂に御座よそひて入れたてまつる。おしなべたるやうに、人びとのあへしらひきこえむは、かたじけなきさまのしたまへれば、御息所ぞ対面したまへる。
「いみじきことを思ひたまへ嘆く心は、さるべき人びとにも越えてはべれど、限りあれば、聞こえさせやる方なうて、世の常になりはべりにけり。今はのほどにも、のたまひ置くことはべりしかば、おろかならずなむ。
誰ものどめがたき世なれど、後れ先立つほどのけぢめには、思ひたまへ及ばむに従ひて、深き心のほどをも御覧ぜられにしがなとなむ。神事などのしげきころほひ、私の心ざしにまかせて、つくづくと籠もりゐはべらむも、例ならぬことなりければ、立ちながらはた、なかなかに飽かず思ひたまへらるべうてなむ、日ごろを過ぐしはべりにける。
大臣などの心を乱りたまふさま、見聞きはべるにつけても、親子の道の闇をばさるものにて、かかる御仲らひの、深く思ひとどめたまひけむほどを、推し量りきこえさするに、いと尽きせずなむ」
とて、しばしばおし拭ひ、鼻うちかみたまふ。あざやかに気高きものから、なつかしうなまめいたり。
落葉の宮は、なおさら、会えずに別れた恨みも加わって、日が経つにつれ、広い邸の内に、人気が少なく心細くなり、柏木に親しく仕えていた人々だけは今も来ていた。
好んでいた鷹や馬などの係の者は、寄る辺ない思いに気落ちしてしまって、ひっそりしているのを見るにつけ、何についても、あわれは尽きなかった。 使い慣れた調度類やいつも弾いていた琵琶、和琴などの弦も取り外されて、音を立てないのも、とても気の滅入ることであった。
御前の木立も芽吹いて、花は時を忘れぬ気色を眺めても、物悲しく、お付きの女房たちも、鈍色の喪服にやつしていた、つれづれなる昼つ方、前駆華やかに追う声がして、この邸に車を止めた人があった。
「ああ、何と、亡くなった柏木様が帰って来たのかと思った」
と泣く女房もあった。夕霧が来たのだった。来訪の旨を申し出ている。いつものように弁の君か、宰相が来たのかと思われたが、気おくれがするような立派な物腰で入ってきた。
母屋の廂に御座を作って夕霧を招じ入れる。普通のお客と同じように、女房たちが出迎えたのでは、あまりに恐れ多い立派な気配なので、母御息所が応接した。
「悲しい出来事を思い嘆く心は、お身内を超えてもっていますが、世のしきたりもあり、お見舞いも、世間並みになってしまいます。今わの際に、お聞きしたこともあり、おろそかな気持ちでいるわけではございません。
誰もがのんびり長生きできる世ではありませんので、先立たれ後れたその間でも、気のつきます限りでは、わたくしの浅からぬ気持ちのほどもご覧いただきたいと思っております。神事など多い時期に、私情にかまけて引き籠っていましたのも、例のないことで、お庭先で失礼しましたのも、かえって心残りで、ご無沙汰しておりました。
致仕の大臣などが心乱しています様子を、見聞きするにつけても、親子の道は闇とはいっても、こうしたご夫婦の間柄では、とてもご無念だったでありましょうことを、お察し申し上げ、ご同情に堪えません」
と言って、しばし涙を拭いて、鼻をかむのであった。とても気高くて、あたたかい優雅な物腰だった。
2020.6.14/ 2022.1.8/ 2023.7.25
36.21  母御息所の嘆き
御息所も鼻声になりたまひて、
あはれなることは、その常なき世のさがにこそは。いみじとても、またたぐひなきことにやはと年積もりぬる人は、しひて心強うさましはべるをさらに思し入りたるさまの、いとゆゆしきまで、しばしも立ち後れたまふまじきやうに見えはべれば、すべていと心憂かりける身の、今までながらへはべりて、かくかたがたにはかなき世の末のありさまを見たまへ過ぐすべきにやと、いと静心なくなむ。
おのづから近き御仲らひにて、聞き及ばせたまふやうもはべりけむ。初めつ方より、をさをさうけひききこえざりし御ことを、大臣の御心むけも心苦しう、院にもよろしきやうに思し許いたる御けしきなどのはべしかば、さらばみづからの心おきての及ばぬなりけりと、思ひたまへなしてなむ、見たてまつりつるを、かく夢のやうなることを見たまふるに、思ひたまへ合はすれば、みづからの心のほどなむ、同じうは強うもあらがひきこえましを、と思ひはべるに、なほいと悔しう。それは、かやうにしも思ひ寄りはべらざりきかし。
皇女みこたちは、おぼろけのことならで、悪しくも善くも、かやうに世づきたまふことは、え心にくからぬことなりと、古めき心には思ひはべしを、いづかたにもよらず、中空に憂き御宿世なりければ、 何かは、かかるついでに煙にも紛れたまひなむは、この御身のための人聞きなどは、ことに口惜しかるまじけれど、さりとても、しかすくよかに、え思ひ静むまじう、悲しう見たてまつりはべるに、いとうれしう、浅からぬ御訪らひのたびたびになりはべめるを、有り難うもと聞こえはべるも、さらば、かの御契りありけるにこそはと、思ふやうにしも見えざりし御心ばへなれど、今はとて、これかれにつけおきたまひける御遺言の、あはれなるになむ、憂きにもうれしき瀬はまじりはべりける」
とて、いといたう泣いたまふけはひなり。
母御息所も鼻声になって、
「死別の悲しみは、無常な世の習いでしょう。どんなに悲しくとも、世間に例のないことではありますまい。年をとった私などは無理にも気を強く持とうとしますが、宮はすっかり悲しみに落ち込んで、不吉な感じで、すぐにも後を追うのではないかと見え、大体が不運な身の上に生まれついた私が、今まで生き永らえて、このように方々の末の世の有様を見ることになろうとは、穏やかではありません。
何かと親しかった間柄の故、お聞き及んでいることもございましょう。わたしは最初から、この婚姻はなかなか承知しなかったのですが、父大臣も熱心にご希望されたので、その気持ちもおいたわしく、朱雀院もよろしかろうと賛同されましたので、それでは私の考えが至らなかったのだと、思い直して、お世話したのですが、こんな夢のような悲しい出来事を目にいたしましたことを、思い合わせますと、そうした私の思いをもっと強くだして反対すればよかったと、悔やんでおります。こんなことになろうとはまったく思いも寄らなかった。
皇女みこたちは、よくよくのことでなければ、良くも悪しくも、このように夫を持つことは、感心できないと、わたしの古い頭では思っていたのですが、どっちつかずで、中途半端な運勢だったので、いっそついでに煙の後を追ってついてい行っても、世間体としては宮の不体裁にはならないでしょうが、そうは言っても、あっさりと、この世に見切りをつけられるものでもなく、悲しみにくれていたので、たびたびの弔のご厚志ご弔問はありがたく、それも生前のお約束があったからなのですね。故人は私たちが期待したような心ばえではなかったように見えましたが、今わの際に、誰彼となく頼んだ遺言が、あわれで、悲しくつらいなかにもうれしいことがあるものです」
と言って、今にも泣き出しそうな気配であった。
2020.6.15/ 2022.1.8/ 2023.7.25
36.22  夕霧、御息所と和歌を詠み交わす
大将も、とみにえためらひたまはず。
「あやしう、いとこよなくおよすけたまへりし人の、かかるべうてや、この二、三年のこなたなむ、いたうしめりて、もの心細げに見えたまひしかば、あまり世のことわりを思ひ知り、もの深うなりぬる人の、澄み過ぎて、かかる例、心うつくしからず、かへりては、あざやかなる方のおぼえ薄らぐものなりとなむ、常にはかばかしからぬ心に諌めきこえしかば、心浅しと思ひたまへりし。よろづよりも、人にまさりて、げに、かの思し嘆くらむ御心の内の、かたじけなけれど、いと心苦しうもはべるかな」
など、なつかしうこまやかに聞こえたまひて、ややほど経てぞ出でたまふ。
かの君は、五、六年のほどのこのかみなりしかど、なほ、いと若やかに、なまめき、あいだれてものしたまひし。これは、いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる。若き人びとは、もの悲しさもすこし紛れて見出だしたてまつる。
御前近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」と、うちおぼゆるも、いまいましき筋なりければ、
「あひ見むことは」
と口ずさびて、
時しあれば変はらぬ色に匂ひけり
片枝枯れにし宿の桜も

わざとならず誦じなして立ちたまふに、いととう、
この春は柳の芽にぞ玉はぬく
咲き散る花の行方知らねば

と聞こえたまふ。いと深きよしにはあらねど、今めかしう、かどありとは言はれたまひし更衣なりけり。「げに、めやすきほどの用意なめり」と見たまふ。
夕霧もすぐには涙を抑えられない。
「どうしたことか、すごく老成したところのある人でしたので、若死にする運命だったのか、この二三年はひどく思い沈んで、心細げに見えたのですが、あまりに世の道理を思い知って、考え深くなった人が、悟りすましすぎて、思い悩むといった例はあるし、心が素直でないのです。かえって、はきはきしたところがないように人には思われると、常日頃、至らぬ考えながらご忠告していたので、わたしを思慮の浅い人間とお思いのようでした。人一倍嘆いておられる宮の心の内をお察しします」
などと、夕霧は、やさしく細やかに仰って、やや長居してから席を立った。
柏木は、夕霧より五六年年上だったが、それでも、若く優雅で親しみやすい人柄だった。夕霧の方は、きりりとして、重々しく、男らしい気配で、顔だけはすごく若く美しいところは、人に勝れていた。若い女房たちは、物悲しく落ち込んでいたが、それも少しまぎれてお見送りに出た。
御前の桜が趣があり、「今年ばかりは」と心に浮かぶのも、不吉な連想が伴い、
「あひ見むことは」
と口ずさんで、
(夕霧)「季節はめぐって宿の桜は色は変わらず咲いています
片方の枝は枯れても」
さりげなく席を立って誦したので、
(御息所)「この春は柳の芽に露の玉を貫くように、涙にくれてます。
咲いて散る桜の行方も分かりませんので
と御息所は詠う。格別深いたしなみはお持ちでないが、当世風で、才気のある方と評判の更衣だった。「なるほど、そつがない」と夕霧は思った。
2020.6.15/ 2022.1.8/ 2023.7.25
36.23  夕霧、太政大臣邸を訪問
致仕ちじの大殿に、やがて参りたまへれば、君たちあまたものしたまひけり。
「こなたに入らせたまへ」
とあれば、大臣の御出居いでいの方に入りたまへり。ためらひて対面したまへり。古りがたうきよげなる御容貌、いたう痩せ衰へて、御髭などもとりつくろひたまはねば、しげりて、親の孝よりも、けにやつれたまへり。見たてまつりたまふより、いと忍びがたければ、「あまりにをさまらず乱れ落つる涙こそ、はしたなけれ」と思へば、せめてぞもて隠したまふ。
大臣も、「取り分きて御仲よくものしたまひしを」と見たまふに、ただ降りに降り落ちて、えとどめたまはず、尽きせぬ御事どもを聞こえ交はしたまふ。
一条の宮に参でたりつるありさまなど聞こえたまふ。いとどしう、春雨かと見ゆるまで、軒の雫に異ならず、濡らし添へたまふ。畳紙に、かの「柳の芽にぞ」とありつるを、書いたまへるをたてまつりたまへば、「目も見えずや」と、おし絞りつつ見たまふ。
うちひそみつつぞ見たまふ御さま、例は心強うあざやかに、誇りかなる御けしき名残なく、人悪ろし。さるは、異なることなかめれど、この「玉はぬく」とある節の、げにと思さるるに、心乱れて、久しうえためらひたまはず。
「君の御母君の隠れたまへりし秋なむ、世に悲しきことの際にはおぼえはべりしを、女は限りありて、見る人少なう、とあることもかかることもあらはならねば、悲しびも隠ろへてなむありける。
はかばかしからねど、朝廷も捨てたまはず、やうやう人となり、官位につけて、あひ頼む人びと、おのづから次々に多うなりなどして、おどろき口惜しがるも、類に触れてあるべし。
かう深き思ひは、その大方の世のおぼえも、官位も思ほえず。ただことなることなかりしみづからのありさまのみこそ、堪へがたく恋しかりけれ何ばかりのことにてか、思ひさますべからむ
と、空を仰ぎて眺めたまふ。
夕暮の雲のけしき、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもをも、今日ぞ目とどめたまふ。この御畳紙に、
木の下の雫に濡れてさかさまに
霞の衣着たる春かな

大将の君、
亡き人も思はざりけむうち捨てて
夕べの霞君着たれとは

弁の君、
恨めしや霞の衣誰れ着よと
春よりさきに花の散りけむ

御わざなど、世の常ならず、いかめしうなむありける。大将殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことに、誦経なども、あはれに深き心ばへを加へたまふ。
致仕ちじの太政大臣の邸にそのまま立ち寄ると、子息たちが大勢おられた。
「こちらにお入りなさい」
と案内されたので、大臣の出居いでいの方に入った。居住まいを正して、夕霧と対面した。いつまでも端正な顔立ちが、ひどく痩せ衰え、髭を手入れしていないので、いたくのびほうだいで、子が親の喪に服する以上のやつれようである。お姿を拝見するなりとても堪えがたく、「なりふりかまわずな泣くのもはしたない」と思うので、無理して涙を隠すのだった。
大臣も、「とりわけ仲がよかったからな」と見ていたので、涙がとめどなく流れ落ちて、止まらない、語り尽きせぬ悲しい心の内をお互い話した。
一条の宮を訪問した様子をお話しした。大臣は、激しく、春雨かと思われるほど、軒の雫のように、涙で濡らすのであった。懐紙に、あの「柳の芽にぞ」の歌が書き留めてあったのを、お見せすると、「目も見えない」と涙をしぼりながら見るのだった。
流しほうだいの涙に、いつものきっぱりと自信に満ちた気配の名残りなく、体裁も悪いままだった。格別なお歌でもないのだが、この「玉はぬく」とある節の、いかにもと思われるのに、心乱れて、久しく涙をおさめられない。
「君の母上が亡くなったのは、秋で、世の中の悲しいことの極みと思いましたが、女には限度があって、会う人も少なく、日ごろのあれもこれも 表だつことはありませんから、悲しみも隠れてしまう。
ふつつか者ですが、柏木は帝もお見捨てにならず、ようやく一人前になって、官位も昇るにつけて、頼りに思う人も、自然に多くなり、その死を驚き惜しむ人は、あちこちにいるようです。
これほどの深い悲しみは、世間の声望や、官位のことではありません。普段の変わったこともない本人の様子が、堪えがたく思い出されます。一体どんなことで、この悲しみを忘れられましょう」
と、空を仰いで嘆息するのだった。
夕暮れの雲の様子、鈍色に霞んで、花が散った梢を、今日初めて気がついた。この懐紙に並べて、
(致仕大臣)「悲しみの涙に濡れそぼって逆さまに
親が子の喪服を着る春であることよ」
夕霧の君、
(夕霧)「亡き人も思ってもいなかったでしょう親に先立ち罷って
親が子の喪服を着ることになろうとは」
右大弁の君、
(弁の君) 「恨めしいです。喪服を誰に着せようとして
春より先に花は散ってしまったのか」
法要は、並外れて立派に、執り行われた。夕霧の北の方は言うに及ばず、夕霧は格別に、誦経なども、あわれが深い心ばえを加えるのだった。
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36.24  四月、夕霧の一条宮邸を訪問
かの一条の宮にも、常に訪らひきこえたまふ。卯月ばかりの卯の花は、そこはかとなう心地よげに、一つ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづのことにつけて静かに心細う、暮らしかねたまふに、例の渡りたまへり。
庭もやうやう青み出づる若草見えわたり、ここかしこの砂子薄きものの隠れの方に、蓬も所得顔なり。前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、一村薄も頼もしげに広ごりて、虫の音添へむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。
伊予簾かけ渡して、鈍色の几帳の衣更へしたる透影、涼しげに見えて、よき童女の、こまやかに鈍ばめる汗衫かざみのつま、頭つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし。
今日は簀子にゐたまへば、茵さし出でたり。「いと軽らかなる御座なり」とて、例の、御息所おどろかしきこゆれど、このごろ、悩ましとて寄り臥したまへり。とかく聞こえ紛らはすほど、御前の木立ども、思ふことなげなるけしきを見たまふも、いとものあはれなり。
柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して、枝さし交はしたるを、
「いかなる契りにか、末逢へる頼もしさよ」
などのたまひて、忍びやかにさし寄りて、
ことならば馴らしの枝にならさなむ
葉守の神の許しありきと

御簾の外の隔てあるほどこそ、恨めしけれ」
とて、長押に寄りゐたまへり。
「なよび姿はた、いといたうたをやぎけるをや」
と、これかれつきしろふ。この御あへしらひきこゆる少将の君といふ人して、
柏木に葉守の神はまさずとも
人ならすべき宿の梢か

うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひたまへなりぬる」
と聞こゆれば、げにと思すに、すこしほほ笑みたまひぬ。
あの一条の宮に、夕霧はいつも訪問を欠かさない。卯月らしい空は、どことなく心地よげで、緑一色に染まった四方の梢もおもしろく見えるのを、喪に沈んだ邸は、何かにつけて静かで心細い。暮らしかねている所へ、夕霧の来訪があった。
庭もようやく青味を帯びた若葉が見え、ここかしこの砂子の薄い物陰に蓬が我が物顔で生えている。前裁に心をこめて手を入れていたのも、茂り放題で、一叢の薄も一気に広がって、虫の音が聞こえる秋が思いやられるので、すごくあわれを感じて、草を分けて入っていった。
篠簾しのすだれをおろして、鈍色の衣替えをした几帳の透影すきかげ、涼し気に見えて、美しい童女の、鈍色の汗衫かざみの端など、頭付きのほの見えるのもおかしい、やはり見るとはっとさせられる色であった。
今日は簀子に招じ入れられて、敷物が出された。「応接が軽すぎる」とて、女房たちが例によって、御息所のお出ましをお願いするが、この頃、具合が悪いといって、物に寄りかかっている。御前の木立の、何の悩みもなさそうな生い茂る風情を見るにつけ、あわれを感じた。
柏木と楓との、一段と若い色で、枝を差し交すのを、
「どんな縁があるのか、末に逢える頼もしさだ」
など仰って、秘かに寄って、
(夕霧)「どうせなら、連理の枝のように親しくしていただきたい
亡き柏木の許しがありましたので
御簾の外にいて隔てがあるのが、恨めしい」
といって、長押なげしに寄りかかっている。
「なまめかしい姿は上品なこと」
と互いにつつきあう。その場をつくろって夕霧の相手をしていた少将の君は、
(御息所)「主はおりませぬにしても、
みだりに人を近づけてよいものでしょうか
口から出まかせでしょう、思いは浅いのでしょう」
と御息所が仰るので、夕霧はもっともと思い、少し微笑んだ。
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36.25  夕霧、御息所と対話
御息所ゐざり出でたまふけはひすれば、やをらゐ直りたまひぬ。
「憂き世の中を、思ひたまへ沈む月日の積もるけぢめにや、乱り心地も、あやしうほれぼれしうて過ぐしはべるを、かくたびたび重ねさせたまふ御訪らひの、いとかたじけなきに、思ひたまへ起こしてなむ」
とて、げに悩ましげなる御けはひなり。
「思ほし嘆くは、世のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそはべめれ。さすがに限りある世になむ」
と、慰めきこえたまふ。
この宮こそ、聞きしよりは心の奥見えたまへあはれ、げに、いかに人笑はれなることを取り添へて思すらむ
と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御ありさまも問ひきこえたまひけり。
容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、などて、見る目により人をも思ひ飽き、また、さるまじきに心をも惑はすべきぞ。さま悪しや。ただ、心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。
「今はなほ昔に思ほしなずらへて、疎からずもてなさせたまへ」
など、わざと懸想びてはあらねど、ねむごろにけしきばみて聞こえたまふ。直衣姿いとあざやかにて、丈だちものものしう、そぞろかにぞ見えたまひける。
「かの大殿は、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬づきたまへることの並びなきなり」
「これは、男々しうはなやかに、あなきよらと、ふと見えたまふにほひぞ、人に似ぬや」
と、うちささめきて、
「同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば」
など、人びと言ふめり。
右将軍いうしょうぐんが墓に草初めて青し」
と、うち口ずさびて、それもいと近き世のことなれば、さまざまに近う遠う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬはなきも、むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情けを立てたる人にぞものしたまひければ、さしもあるまじき公人、女房などの年古めきたるどもさへ、恋ひ悲しびきこゆる。まして、上には、御遊びなどの折ごとにも、まづ思し出でてなむ、しのばせたまひける。
「あはれ、衛門督」
といふ言種、何ごとにつけても言はぬ人なし。六条院には、ましてあはれと思し出づること、月日に添へて多かり。
この若君を、御心一つには形見と見なしたまへど、人の思ひ寄らぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君は、ゐざりなど
御息所がいざり出てくる気配がして、夕霧は居住まいを正した。
「憂き世を、悲しみ沈んで、 日々を過ごしておりまして、すぐれない気分で、ぼうっとしておりましたが、このようにたび重ねて弔いにお越しされるのも、かたじけなく、思い直しまして」
といって、なるほど苦しそうな様子であった。
「無常の世を嘆くのは、世の常ですが、またそう悲しんでばかりいるのもどうか。万事が必定です、世間とはそういうものです」
と慰め申し上げる。
「落ち葉の宮は、噂で聞くよりたしなみ深い方だ、お気の毒に、死別に加えて、世間体を気にされている」
と思うにつけ、夕霧は心が騒ぎ、大そう念入りに、落葉の宮の有様を訊ねた。
「ご容貌は、十分に美しいとはいえないだろうが、見られないほど不器量でさえなければ、どうして、柏木が嫌ったり、道に外れた恋をしていいということにはならないだろう。見苦しいことだ。気立てこそ、つまるところ、大切なのだ」と夕霧は思うのだった。
「今はどうぞ故人と同じように考えて、隔てなくお付き合いください」
夕霧は特に色めいた言い方ではないが、十分にその気があるところをほのめかした。直衣姿はあざやかで、身の丈も堂々として、見上げるほどだった。
「柏木様は、すべてにわたってやさしく優雅で、品よく、人を惹きつける愛らしさが無類のお方でした」
「夕霧様は、雄々しく快活で、まあおきれいだ、と一目で思われる美しさが、並みはずれている」
と女房たちは、ささやき合った。
「どうせなら、こうしてお通いになったら」
と女房たちは言うのだった。
「右将軍が墓に草初めて青し」
と口ずさんで、それも近い世のことなので、早世した右将軍の、あれこれと近き世も昔も、心乱れる無常の世なれば、身分の上下を問わず、柏木の死を惜しまぬものはなかった。公人としての仲間はさるものにて、不思議と情愛の深い人だったので、それほどでもない公人や年をとった女房さへ、慕って悲しむのだった。まして、帝は、管弦の遊びには折毎に、まず思い出して、偲ぶのであった。
「あわれ、衛門督」
と言い草を口々に言うのだった。源氏は、あわれと思うことが、日が経つにつれて多くなった。
この若君は、源氏は柏木の形見と見ていたが、人が思い寄らぬことで、詮無いことだった。秋ごろになり、若君は、這うようになった。
2020.6.17/ 2022.1.9/ 2023.7.26
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読書期間2020年6月3日 - 2020年6月17日