源氏物語 15 蓬生 よもぎう

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原文 現代文
15.1 末摘花の孤独
藻塩垂れつつわびたまひしころほひ、都にも、さまざまに思し嘆く人多かりしを、さても、わが御身の拠り所あるは、一方の思ひこそ苦しげなりしか、二条の上なども、のどやかにて、旅の御住みかをもおぼつかなからず、聞こえ通ひたまひつつ、位を去りたまへる仮の御よそひをも、竹の子の世の憂き節を、時々につけてあつかひきこえたまふに、慰めたまひけむ、なかなか、その数と人にも知られず、立ち別れたまひしほどの御ありさまをも、よそのことに思ひやりたまふ人びとの、下の心くだきたまふたぐひ多かり。
常陸宮の君は、父親王の亡せたまひにし名残に、また思ひあつかふ人もなき御身にて、いみじう心細げなりしを、思ひかけぬ御ことの出で来て、訪らひきこえたまふこと絶えざりしを、いかめしき御勢にこそ、ことにもあらず、はかなきほどの御情けばかりと思したりしかど、待ち受けたまふ袂の狭きに、大空の星の光を盥の水に映したる心地して過ぐしたまひしほどに、かかる世の騷ぎ出で来て、なべての世憂く思し乱れしまぎれに、わざと深からぬ方の心ざしはうち忘れたるやうにて、遠くおはしましにしのち、ふりはへてしもえ尋ねきこえたまはず。その名残に、しばしは、泣く泣くも過ぐしたまひしを、年月経るままに、あはれにさびしき御ありさまなり。
古き女ばらなどは、
「いでや、いと口惜しき御宿世なりけり。おぼえず神仏の現はれたまへらむやうなりし御心ばへに、かかるよすがも人は出でおはするものなりけりと、ありがたう見たてまつりしを、おほかたの世の事といひながら、また頼む方なき御ありさまこそ、悲しけれ」
と、つぶやき嘆く。さる方にありつきたりしあなたの年ごろはいふかひなきさびしさに目なれて過ぐしたまふをなかなかすこし世づきてならひにける年月に、いと堪へがたく思ひ嘆くべし。 すこしも、さてありぬべき人びとは、おのづから参りつきてありしを、皆次々に従ひて行き散りぬ。女ばらの命堪へぬもありて、月日に従ひては、上下人数少なくなりゆく。
源氏が涙ながらに須磨・明石で辛い生活を送っていたころ、都でも、さまざまに思い嘆く女が多かったが、さて自分の生活に拠りどころがある人は、源氏を慕うだけの苦しみであったが、紫の上なども、のんびりして、源氏の仮住まいの様子などもお互い心配なく知る程に、手紙のやりとりがあって、源氏の無冠の装いなども、憂き世ながらも、四季折々にお世話するので、慰めにもなったが、その数にも入らずに、源氏の別れにも立ち会えず噂に聞くだけで、人知れず思い悩む人も多かった。
末摘花は、父親王が亡くなってから、ほかに心配して世話を焼く人もなかったので、大変不如意の生活をしていたが、思いがけない須磨退去が起こってから、それまでは訪い絶えたことはなかったが、大きな権勢にしてはわずかばかりのお情けで、待ち受ける袂が小さいので、大空の星の光を盥に映しているような心細い暮らしだったが、須磨退去の後は、源氏はすべて憂し世と思い乱れて、格別深い仲ではない方への心遣いは忘れてしまって、須磨へ退去してからは、気をつけて世話することもなくなった。庇護の名残りで、しばらくは泣く泣く過ごしていたが、年月が経るにつれて、末摘花はおいたわしいほど不如意になっていた。
昔からいる女たちは、
「さても、残念な宿世でしたね。思いがけず神仏が現れたような君のお情けでしたが、このような幸運にも生きていれば出会うこともあるものだと、ありがたく思っておりましたが、公の事情とはいいながら、他に頼りにするお方がいないのは、悲しいものです」
と嘆くのであった。そのように貧しかった頃は、言っても詮ない貧しさに馴れてしまって過ごしていたのだが、多少とも世間並みの生活になれてしまった後では、堪えがたくなり嘆くのであった。少し教養のある女房は、おのずから集まっていたのだが、皆次々と去って行った。老齢で亡くなった女房たちもいて、月日が経って、上下の人数少なくなった。
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15.2 常陸宮邸の窮乏
もとより荒れたりし宮の内、いとど狐の棲みかになりて、うとましう、気遠き木立に、梟の声を朝夕に耳ならしつつ、人気にこそ、さやうのものもせかれて影隠しけれ、木霊など、けしからぬものども、所得て、やうやう形を現はし、ものわびしきことのみ数知らぬに、まれまれ残りてさぶらふ人は、
「なほ、いとわりなし。この受領どもの、おもしろき家造り好むが、この宮の木立を心につけて、放ちたまはせてむやと、ほとりにつきて、案内し申さするを、さやうにせさせたまひて、いとかう、もの恐ろしからぬ御住まひに、思し移ろはなむ。立ちとまりさぶらふ人も、いと堪へがたし」
など聞こゆれど、
「あな、いみじや。人の聞き思はむこともあり。生ける世に、しか名残なきわざ、いかがせむ。かく恐ろしげに荒れ果てぬれど、親の御影とまりたる心地する古き住みかと思ふに、慰みてこそあれ」
と、うち泣きつつ、思しもかけず。
御調度どもを、いと古代になれたるが、昔やうにてうるはしきを、なまもののゆゑ知らむと思へる人さるもの要じてわざとその人かの人にせさせたまへると尋ね聞きて、案内するも、おのづからかかる貧しきあたりと思ひあなづりて言ひ来るを、例の女ばら、
「いかがはせむ。そこそは世の常のこと」
とて、取り紛らはしつつ、目に近き今日明日の見苦しさを繕はむとする時もあるを、いみじう諌めたまひて、
「見よと思ひたまひてこそ、しおかせたまひけめ。などてか、軽々しき人の家の飾りとはなさむ。亡き人の御本意違はむが、あはれなること」
とのたまひて、さるわざはせさせたまはず。
元々荒れていた邸の中は、ますます狐の棲家になって、気味悪く、人気のない木立に梟の声が朝夕に聞こえるが、人の住む気配があればこそ、気味悪いものたちも姿を隠していたが、今は木霊など怪しいものたちが我が物顔に姿を現し、もの侘しいことのみが数々あって、邸に残った人たちは、
「どうしようもない。あの受領たちのなかに趣きある邸を好むものがあって、この邸の木立に目をつけ、つてを頼って譲ってくれるようにきているし、受領の申し出の通りにして、これほど気味悪くない住まいに、移ってはどうでしょうか。残っている人も、堪えがたいです」
などと申し出るが、
「あら、とんでもない。世間の人が聞いたらなんと思うでしょう。わたしが生きている間は、形見をなくすことなどできません。ひどく荒れていますが、親の面影が残る心地がする古い住まいと思うと、気も紛れます」
と泣いて、思いもよらない。
調度類も、古い時代のもので使い慣れた昔風で立派なもので、生半可な知ったかぶりが欲しがって、特別に誰それに作らせたものと聞き及んで、お伺いを立てに来て、こちらが貧しいのを、足元を見て、見くびって言いに来るのだが、例の女たちは、
「どうしましょう。世の常ですから」
とて、目立たぬようにとりはこんで、差し迫った今日明日の不如意を繕おうとする時もあったが、ひどく叱って、
「家の者に使わせようと思って、作らせたのです。どうして下賤な者の家の飾りにさせられましょう。亡き人の本意に違います」
と申して、そのようなことはさせなかった。
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15.3 常陸宮邸の荒廃
はかなきことにても、見訪らひきこゆる人はなき御身なり。ただ、御兄の禅師の君ばかりぞ、まれにも京に出でたまふ時は、さしのぞきたまへど、それも、世になき古めき人にて、同じき法師といふなかにも、たづきなく、この世を離れたる聖にものしたまひて、しげき草、蓬をだに、かき払はむものとも思ひ寄りたまはず。
かかるままに、浅茅あさじは庭の面も見えず、しげき蓬は軒を争ひて生ひのぼる。葎は西東の御門を閉ぢこめたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬、牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角あげまきの心さへぞ、めざましき。
八月、野分荒かりし年、廊どもも倒れ伏し、下の屋どもの、はかなき板葺なりしなどは、骨のみわづかに残りて、立ちとまる下衆だになし。煙絶えて、あはれにいみじきこと多かり。
盗人などいふひたぶる心ある者も、思ひやりの寂しければにや、この宮をば不要のものに踏み過ぎて、寄り来ざりければ、かくいみじき野良、薮なれども、さすがに寝殿のうちばかりは、ありし御しつらひ変らず、つややかに掻い掃きなどする人もなし。塵は積もれど、紛るることなきうるはしき御住まひにて、明かし暮らしたまふ。
ちょっとした用事でも、姫の身辺を訪れる人はなかった。ただ、兄の禅師の君だけは、たまに京へ出てくるときは、寄っていくけれども、それも、世に稀なほど古めいた人で、同じく法師と言っても処世のすべを知らず、この俗世を離れて生きている聖であって、生い茂る草や蓬を刈ることも思いつかなかった。
こうした状態で、浅茅は 庭を覆いつくし、蓬は軒まで競い合い、葎は西東の門を閉じ込めているのは頼もしいが、崩れがちな垣のそばを馬、牛などが踏み鳴らしてゆき、春夏になれば放し飼いをする、総角あげまきをした牧童もあきれるばかりだった。
八月、台風の荒れた年、廊下が倒れて、下々の小屋は粗末な板葺きなので、かろうじて骨が残っている有様で、下衆さえいなくなった。朝夕の煙も上がらず、悲しくつらい日々であった。
盗人など情け容赦のない者も、見ただけで貧しげなので、この邸は不要として通りすぎて、寄ってこないので、こんなにひどい外回りの野良、藪だったが、さすが寝殿のうちばかりは、かってのしつらいは変わらなかったが、きれいに掃く人もいない。塵は積もるが、まちがいなくかっては麗しいお住まいに、暮していた。
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15.4 末摘花の気紛らし
はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにてこそ、つれづれをも紛らはし、かかる住まひをも思ひ慰むるわざなめれ、さやうのことにも心遅くものしたまふ。わざと好ましからねど、おのづからまた急ぐことなきほどは、同じ心なる文通はしなどうちしてこそ、若き人は木草につけても心を慰めたまふべけれど、親のもてかしづきたまひし御心掟のままに、世の中をつつましきものに思して、まれにも言通ひたまふべき御あたりをも、さらに馴れたまはず、古りにたる御厨子開けて、唐守からもり』、 『藐姑射の刀自はこやのとじ』、『かぐや姫の物語』の絵に描きたるをぞ、時々のまさぐりものにしたまふ。
古歌とても、をかしきやうに選り出で、題をも読人をもあらはし心得たるこそ見所もありけれ、うるはしき紙屋紙かみやがみ、陸奥紙などのふくだめるに、古言どもの目馴れたるなどは、いとすさまじげなるを、せめて眺めたまふ折々は、ひき広げたまふ。今の世の人のすめる、経うち読み、行なひなどいふことは、いと恥づかしくしたまひて、見たてまつる人もなけれど、数珠など取り寄せたまはず。かやうにうるはしくぞものしたまひける。
たわいのない古歌や物語などの慰みごとで、所在ない日々を紛らわして、こうしたさびしい暮らしも何とか過ごせるのだが、そのようなことにも関心がなかった。特に好ましいわけではないが、急ぎの用もないときに、気の合う者同士が文を交わすなどして、若い人は四季折々の草木につけて心を慰めるものだが、親が大切に育てた教えのままに、世の中を用心しなければならぬものと思って、時たま文を出しても良さそうな人にも、親しくなれず、古い厨子を開けて、『唐守からもり』、『藐姑射の刀自はこやのとじ』、『かぐや姫の物語』の絵入りのものを、時々取り出しては慰めにするのだった。
古歌といっても、おもしろく選んで、題も読み人も書いてあるのが、見所があって面白いが、かた苦しい紙屋紙や陸奥紙のけばだったのに、古いありふれた歌が書いてあってまったく興ざめるなのを、一人物思いに沈んでいるときは、広げているのだった。当今の人がよくする、経を読み勤行をするなどは、恥ずかしく思って、見る人もないが、数珠なども用意していない。このように万事きちんとしていた。
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15.5 乳母子の侍従と叔母
侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどして、いと堪へがたく心細きに、この姫君の母北の方のはらから、世におちぶれて受領の北の方になりたまへるありけり。
娘どもかしづきて、よろしき若人どもも、「むげに知らぬ所よりは、親どももまうで通ひしを」と思ひて、時々行き通ふ。この姫君は、かく人疎き御癖なれば、むつましくも言ひ通ひたまはず。
おのれをばおとしめたまひて、面伏せに思したりしかば、姫君の御ありさまの心苦しげなるも、え訪らひきこえず」
など、なま憎げなる言葉ども言ひ聞かせつつ、時々聞こえけり。
もとよりありつきたるさやうの並々の人は、なかなかよき人の真似に心をつくろひ、思ひ上がるも多かるを、やむごとなき筋ながらも、かうまで落つべき宿世ありければにや、心すこしなほなほしき御叔母にぞありける。
「わがかく劣りのさまにて、あなづらはしく思はれたりしを、いかで、かかる世の末に、この君を、わが娘どもの使人つかいびとになしてしがな。心ばせなどの古びたる方こそあれ、いとうしろやすき後見ならむ」と思ひて、
「時々ここに渡らせたまひて。御琴の音もうけたまはらまほしがる人なむはべる」
と聞こえけり。この侍従も、常に言ひもよほせど、人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば、さもむつびたまはぬを、ねたしとなむ思ひける。
かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。娘どもあるべきさまに見置きて、下りなむとす。この君を、なほも誘はむの心深くて、
「はるかに、かくまかりなむとするに、心細き御ありさまの、常にしも訪らひきこえねど近き頼みはべりつるほどこそあれ、いとあはれにうしろめたくなむ」
など、言よがるを、さらに受け引きたまはねば、
「あな、憎。ことことしや。心一つに思し上がるとも、さる薮原に年経たまふ人を、大将殿も、やむごとなくしも思ひきこえたまはじ」
など、怨じうけひけり。
侍従といって、乳母の子が長年お暇も取らずお仕えしていたが、通っていた斎院が亡くなってしまったので、実に堪えがたく心細い状態であったが、姫君の母の北の方の姉妹で、落ちぶれた受領の北の方になっていたものがいた。
娘たちがいて、若い人たちも、「まったく知らぬ所よりも、親が知己を得ていたので」と思い時々通っていた。末摘花は、これほど人見知りする性格なので、親しく付き合ってはいなかった。
「受領の北の方になったわたしを見下していたので、姫君が不如意なのは承知だが、お見舞い申し上げられないのです」
など憎らしい言い方をしていたが、時々は便りを出していた。
もともと受領のような並みの身分の者は、かえって高い身分の人の真似をしてお高くとまっているのが多いが、高い身分からここまで落ちてしまったので、心が少し卑屈になった叔母であった。
「自分はこんな低い身分になり、見下されているので、どうしかして、こんな末の世にこの君を自分の娘たちの使用人にしたい。君は少し古風なところがあるが、安心できる後見であろう」と思って、
「時々はこちらにいらっしゃい。あなたの琴を聞きたがっている者もいるのだから」
と言ってきた。この侍従も勧めてみるが、姫は張り合う気持ちはまるでなく、大変な恥ずかしがり屋なので、親しく付き合わないのを叔母は憎く思っていた。
こうした時、家の主人が大宰府の大弐になった。娘たちを適宜縁付かせて、赴任しようとした。姫君をなおも誘おうとして、
「遠く行きますので、そちらの心細い暮らしに普段はあまりお見舞いも申しておりませんが、近いので安心しておりましたが、後のことが気がかりでなりません」
など、言葉巧み誘うが、まるで承知されないので
「憎らしいこと。自分ひとりで思いあがっても、あんな藪のなかに住んでいる人を、源氏殿も大切にお世話しようとしないでしょう」
などと恨むのであった。
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15.6 顧みられない末摘花
さるほどに、げに世の中に赦されたまひて、都に帰りたまふと、天の下の喜びにて立ち騒ぐ。我もいかで、人より先に、深き心ざしを御覧ぜられむとのみ、思ひきほふ男、女につけて、高きをも下れるをも、人の心ばへを見たまふに、あはれに思し知ること、さまざまなり。かやうに、あわたたしきほどに、さらに思ひ出でたまふけしき見えで月日経ぬ。
今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、悲しういみじきことを思ひながらも、萌え出づる春に逢ひたまはなむと念じわたりつれど、たびしかはらなどまで喜び思ふなる、御位改まりなどするを、よそにのみ聞くべきなりけり。悲しかりし折のうれはしさは、ただわが身一つのためになれるとおぼえし、かひなき世かな」と、心くだけて、つらく悲しければ、人知れず音をのみ泣きたまふ。
大弐の北の方、
「さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、数まへたまふ人はありなむや。仏、聖も、罪軽きをこそ導きよくしたまふなれ、かかる御ありさまにて、たけく世を思し、宮、上などのおはせし時のままにならひたまへる、御心おごりの、いとほしきこと」
と、いとどをこがましげに思ひて、
「なほ、思ほし立ちね。世の憂き時は、見えぬ山路をこそは尋ぬなれ。田舎などは、むつかしきものと思しやるらめど、ひたぶるに人悪ろげには、よも、もてなしきこえじ」
など、いと言よく言へば、むげに屈んじにたる女ばら、
「さもなびきたまはなむ。たけきこともあるまじき御身を、いかに思して、かく立てたる御心ならむ」
と、もどきつぶやく。
侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて
「見たてまつり置かむが、いと心苦しきを」
とて、そそのかしきこゆれど、なほ、かくかけ離れて久しうなりたまひぬる人に頼みをかけたまふ。御心のうちに、「さりとも、あり経ても、思し出づるついであらじやは。あはれに心深き契りをしたまひしに、わが身は憂くて、かく忘られたるにこそあれ、風のつてにても、我かくいみじきありさまを聞きつけたまはば、かならず訪らひ出でたまひてむ」と、年ごろ思しければ、おほかたの御家居も、ありしよりけにあさましけれど、わが心もて、はかなき御調度どもなども取り失はせたまはず、心強く同じさまにて念じ過ごしたまふなりけり。
音泣きがちに、いとど思し沈みたるは、ただ山人の赤き木の実一つを顔に放たぬと見えたまふ、御側目などは、おぼろけの人の見たてまつりゆるすべきにもあらずかし。詳しくは聞こえじ。いとほしう、もの言ひさがなきやうなり。
そうこうするうちに、源氏が世に許されて、都に帰ってくると、世の人々はよろこび騒いだ。我先にと深い心ざしを見ていただこうと競っている男も女も、身分の高い者も低い者も、それらの人々の心ばえを見ていると、源氏はあわれに様々のことを思い知るのであった。こうしてあわただしく月日がたっていったが、姫君のことは思い出さなかった。
「もうだめだ。年ごろ、思いがけないご不運を、悲しくつらいここと思いながら、やがて、萌えいずる春がやってくるように祈ってきましたが、世間の誰もが喜ぶ復帰をされたのに、無縁のこととして聞かなければならないとは。悲しかった時の憂いは、自分ひとりで背負わなければならないものと思ったが、甲斐なき世の有様か」と心くだけてつらく悲しく、末摘花は人知れず声に出して泣いた。
大弐の北の方は、
「それご覧。どうして、暮らしの当てもなく見栄えもしない人を、まともに扱う殿方がいるでしょうか。仏も聖も前世の罪が軽かった者を導くのですから、こんな状態で、偉そうに、宮や上などが教えた時のままにやってゆこうとしているのは、心のおごりです、困ったものです」
と、実に馬鹿げたことに思って、
「ご決心なさいなさい。世の憂き時は、山に籠ったりするものです。田舎などは、いやなところだとお思いでしょうが、そんな世間体の悪い扱いは、決してしませんから」
などと叔母が言葉巧みに言えば、元気をなくした女房たちも、
「承知されればいいのに。大したこともない御身を、どう思ってこんなに意地をはるのでしょう」
とぶつぶつ非難するのだった。
侍従も、あの大弐の甥という人に口説かれて、都に留まれそうにないので、心ならずも同行することになって、
侍従が「姫君を残したまま行くのが、大変つらい」
と思い、姫も御同行するように進言するが、それでも、久しく会えていない源氏を頼みにしていた。末摘花は心のなかでは、「それでも、月日がたっても、何かのついでに思い出すこともあるのではないか。真心のこもった契りをしたので、わたしの果報が悪くて、忘れられたので、風の便りにも、わたしがこんなひどい状態であるのを聞きつければ、必ず訪れてくれるだろう」と、ずっと思っていたので、住まい全体も昔よりひどくなったが、自分の判断で、使っていない調度などを処分することはせず、強情に堪えていた。
音に出して泣きがちで、すっかり沈んでいる様子は、山の樵夫が赤い実をひとつ顔につけていると見えて、横顔などは、並の男ならがまんできそうもない。詳しくは言わないでおこう。なんともお気の毒で、悪口になってしまう。
2018.8.14/ 2021.8.22/ 2023.3.11◎
15.7 法華御八講
冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてしたまふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行なひにしみ、尊き限りを選らせたまひければ、この禅師の君参りたまへりけり。
帰りざまに立ち寄りたまひて、
「しかしか。権大納言殿の御八講に参りてはべるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りに劣らず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむしたまひつる。仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ五つの濁り深き世に、などて生まれたまひけむ」
と言ひて、やがて出でたまひぬ。
言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞こえ合はせたまはず。「さても、かばかりつたなき身のありさまを、あはれにおぼつかなくて過ぐしたまふは、心憂の仏菩薩や」と、つらうおぼゆるを、「げに、限りなめり」と、やうやう思ひなりたまふに、大弐の北の方、にはかに来たり。
冬になるままに、いよいよ頼る所もなく、悲しく沈んだ日々を送っていた。源氏の殿は、故院の追善法華八講を、世間でも大騒ぎするほどに盛大に行った。ことに僧は、並の者は呼ばず、学に行いにすぐれた尊い者ばかりを選んだので、この禅師の君も参った。
帰りに常陸宮邸に立ち寄って、
「これこれであった。権大納言殿の御八講に参ってきた。浄土の飾りもかくやと思われ壮麗で, 趣向の凝った限りであった。権大納言の君は仏か菩薩の化身であろうかと思われた。どうしてあのような方がこんな五濁悪世にお生まれになったのだろう」
と言って、すぐに帰っていった。
言葉少なく、世にも稀な兄妹で、どうしようもない世間のことは話し合うことがない。「さても、かくも不運なわが身の有様を、あわれを感じず過ごすとは、なんと情けない仏菩薩であろうか」と、末摘花がつらい思いをして、「やっぱりもう終わりだ」と、ようやく思うようになった頃に、大弐の北の方が突然やってきた。
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15.8  叔母、末摘花を誘う
例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、たてまつるべき御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち、けしき、ほこりかにもの思ひなげなるさまして、ゆくりもなく走り来て、門開けさするより、人悪ろく寂しきこと、限りもなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかく開け騒ぐ。いづれか、この寂しき宿にもかならず分けたる跡あなる三つの径と、たどる。
わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましう煤けたる几帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌など、衰へにけり。年ごろいたうつひえたれど、なほものきよげによしあるさまして、かたじけなくとも、取り変へつべく見ゆ。
「出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。侍従の迎へになむ参り来たる。心憂く思し隔てて、御みづからこそあからさまにも渡らせたまはね、この人をだに許させたまへとてなむ。などかうあはれげなるさまには」
とて、うちも泣くべきぞかし。されど、行く道に心をやりて、いと心地よげなり。
「故宮おはせしとき、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば疎々うとうとしきやうになりそめにしかど、年ごろも、何かは。やむごとなきさまに思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世のほどを、かたじけなく思ひたまへられしかばなむ、むつびきこえさせむも、憚ること多くて、過ぐしはべるを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心やすくはべるものなりけり。及びなく見たてまつりし御ありさまの、いと悲しく心苦しきを、近きほどはおこたる折も、のどかに頼もしくなむはべりけるを、かく遥かにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえたまふ」
など語らへど、心解けても応へたまはず。
「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。かうながらこそ朽ちも失せめとなむ思ひはべる」
とのみのたまへば、
げに、しかなむ思さるべけれど、生ける身を捨て、かくむくつけき住まひするたぐひははべらずやあらむ大将殿の造り磨きたまはむにこそは、引きかへ玉の台にもなりかへらめとは、頼もしうははべれど、ただ今は、式部卿宮の御女よりほかに、心分けたまふ方もなかなり。昔より好き好きしき御心にて、なほざりに通ひたまひける所々、皆思し離れにたなり。まして、かうものはかなきさまにて、薮原に過ぐしたまへる人をば、心きよく我を頼みたまへるありさまと尋ねきこえたまふこと、いとかたくなむあるべき」
など言ひ知らするを、げにと思すも、いと悲しくて、つくづくと泣きたまふ。
普段はそれほど親しくしないのだが、誘い出そうとしているので、姫君の装束などを用意して、立派な車に乗り、顔つき態度はいかにも誇らしげな様子で、都合も聞かずにやってきて、門を開けさすやいなや、見っともない荒れはてたひどい邸内。左右の戸もみな倒れそうで、男どもが手助けして大騒ぎで開けた。この寂しい邸にもかならず踏み分けた三つの道があると探して進む。
わずかに南面の格子を上げた一間に車を寄せたので、姫は実に困ったと思いながら、ひどく汚れた几帳を上げて、侍従を出した。容貌が衰えていた。長年日がたつうちに衰えたのだが、なお品のある風情がして、恐れ多いが、姫君と取り替えても良さそうに見える。
「出立にあたって、不如意のご様子を見捨てがたく思いまして。侍従を迎えに来ました。わたしをお嫌いでしょうから、ご自分はお越しにならないでしょうから、この人をお連れしようと参りました。しかしどうしこんなにひどい邸におられるのでしょう」
と言って、泣き出しそうだ。しかし、栄転の赴任を思って、心地よさそうでもあった。
「故宮の生前、亡き姉上はわたしを一家の恥だと見切りましたので、疎遠になりましたが、わたしどもは決してそう思ってはいません。宮家は高貴な身分だと思いあがり、源氏の君などがお通いになるご縁などは、恐れ多く思っておりましたので、親しくしようにも憚ることが多くあって、過ごしていましたが、世の中の浮き沈みは定めなく、物の数に入らぬわたしどもは、心配なこともありません。あなた様には及びもつかぬと見ておりましたが、お気の毒なご様子ですので、近くにいるときはご無沙汰してもとのんびり構えておりましたが、こうも遠く離れてしまえば、後が心配です」
などと叔母は説くが、気を許した返事はなかった。
「ありがたいことですが、わたしは変わり者ですので、どうでしょう。このままで、朽ち果てたいと思っています」
と末摘花は言うので、
「実に、そう思うのもごもっともですが、生きながら埋もれて、このような気味の悪い所に住んでいることもありますまい。もし大将殿がお手入れをしてくださり、うってかわって玉の御殿にでもなれば、頼もしいでしょうが、今は式部卿の宮の御娘より他に、心を分ける人もないようです。昔から浮気っぽく、一時のなぐさみに通った所も皆忘れてしまったようです。まして、こうもひどい有様で、薮原に住んでいる人を、節を守って自分を頼って待っていると思って、殿が訪ねてくることはありますまい」
などと諭すのを、もっともだと思いながらも、悲しくてしみじみ泣くのであった。
2018.8.15/ 2021.8.22/ 2023.3.11◎
15.9 侍従、叔母に従って離京
されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、
「さらば、侍従をだに」
と、日の暮るるままに急げば、心あわたたしくて、泣く泣く、
「さらば、まづ今日は。かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ。かの聞こえたまふもことわりなり。また、思しわづらふもさることにはべれば、中に見たまふるも心苦しくなむ」
と、忍びて聞こゆ。
この人さへうち捨ててむとするを、恨めしうもあはれにも思せど、言ひ止むべき方もなくて、いとど音をのみたけきことにてものしたまふ
形見に添へたまふべき身馴れ衣も、しほなれたれば、年経ぬるしるし見せたまふべきものなくて、わが御髪の落ちたりけるを取り集めて、かずらにしたまへるが、九尺余ばかりにて、いときよらなるを、をかしげなる箱に入れて、昔の薫衣香々くのえこうのいとかうばしき、一壺具して賜ふ。
絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら
思ひのほかにかけ離れぬる

故ままの、のたまひ置きしこともありしかば、かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ。うち捨てらるるもことわりなれど、誰に見ゆづりてかと、恨めしうなむ」
とて、いみじう泣いたまふ。この人も、ものも聞こえやらず。
「ままの遺言は、さらにも聞こえさせず、年ごろの忍びがたき世の憂さを過ぐしはべりつるに、かくおぼえぬ道にいざなはれて、遥かにまかりあくがるること」とて、
玉かづら絶えてもやまじ行く道の
手向の神もかけて誓はむ

命こそ知りはべらね」
など言ふに、
「いづら。暗うなりぬ」
と、つぶやかれて、心も空にて引き出づれば、かへり見のみせられける。
年ごろわびつつも行き離れざりつる人の、かく別れぬることを、いと心細う思すに、世に用ゐらるまじき老人さへ、
「いでや、ことわりぞ。いかでか立ち止まりたまはむ。われらも、えこそ念じ果つまじけれ
と、おのが身々につけたるたよりども思ひ出でて、止まるまじう思へるを、人悪ろく聞きおはす。
しかし、末摘花は動こうとせず、いろいろ言って困りはて、
「ならば、侍従だけでも」
と、日暮れ前までに急ぐので、侍従はあわただしく、泣く泣く、
「では、ともかく今日は。こうまで言って下さる方のお見送りをします。叔母様の仰せになるのももっともでございます。また姫君がお迷いになるのももっともなので、中にたってつらいです」
と内々に申し上げた。
侍従さえ見捨てようとするのを、姫は恨めしくも悲しくも思ったが、引き止めるすべもなく、声に出して泣くことしかできなかった。
形見として侍従に贈る着慣れた衣も、汗ばんでいて、長年勤めてくれたお礼に差し上げるものもなくて、自分の髪が抜けたのを集めてつくった鬘にしたのが、九尺ばかりのもので、大変美しいのを、趣きある箱に入れて、昔の薫衣香々くのえこうの香ばしいのを、一壷添えて賜った。
(末摘花)「絶えることのない仲と頼みにしていましたが、
とつぜん遠くへ行ってしまうのですね
亡き乳母の遺言もあり、頼りないわたしでも、最後まで世話してくださると思っていました。見捨てられても仕方ないけれど、誰に世話を譲ってゆくのか、恨めしい」
と激しく泣くのだった。侍従も涙で何も言えない。
「母の遺言は、今さら言うまでもありませんが、年来の堪えがたい不如意を過ごして、こうした思いもよらぬ道に誘われて、遥かな大宰府に参ります」とて、
(侍従)「お別れしてもお見捨てしません、道々の
手向けの神にかけて誓います
命のほどは分かりませんが」
など言ふに、
「さあ、暗くなりましたよ」
と急かされて、上の空で車を引き出して、後ばかり振り返った。
長年迷惑がりながらも側を離れなかった人が、こうして出てゆくのは、ひどく心細かったが、他で使えない老人さえ、
「もう、当然です。どうしてこんなところに居られよう。われらもこれ以上辛抱できません」
と、各自の頼れそうな縁者を思いだして、出たいと思うのを、姫は体裁がわるいと思って聞いていた。
2018.8.16/ 2021.8.23/ 2023.3.11◎
15.10 常陸宮邸の寂寥
霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺めたまふ。はかなきことを聞こえ慰め、泣きみ笑ひみ紛らはしつる人さへなくて、夜も塵がましき御帳のうちも、かたはらさびしく、もの悲しく思さる。
かの殿には、めづらし人に、いとどもの騒がしき御ありさまにて、いとやむごとなく思されぬ所々には、わざともえ訪れたまはず。まして、「その人はまだ世にやおはすらむ」とばかり思し出づる折もあれど、尋ねたまふべき御心ざしも急がであり経るに、年変はりぬ。
十一月頃になると、雪や霰が降って、他所では消えるときも、朝日、夕日をさえぎる蓬や葎の上に積もって、越の白山を思いやられる雪景色で、出入りする下人もなく、末摘花は所在なげに物思いに沈むのだった。たわいない話をして慰めとし、泣き笑いして紛らす人もなく、夜も塵が積もる御帳のなかにも、独り寝は寂しく、物悲しく思うのだった。
源氏は、久しく会わなかった紫の上に夢中で、さほど大切と思わない人は、あえて訪れようとしなかった。まして、「あのひとはまだ世にいるのだろうか」とばかり思い出すときもあったが、訪ねようとする気持ちも急には起こらず、年が変わった。
2018.8.17/ 2021.8.24/ 2023.3.12◎
15.11 花散里訪問途上
卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、忍びて対の上に御暇聞こえて出でたまふ。日ごろ降りつる名残の雨、いますこしそそきて、をかしきほどに、月さし出でたり。昔の御ありき思し出でられて、艶なるほどの夕月夜に、道のほど、よろづのこと思し出でておはするに、形もなく荒れたる家の、木立しげく森のやうなるを過ぎたまふ。
大きなる松に藤の咲きかかりて、月影になよびたる、風につきてさと匂ふがなつかしく、そこはかとなき香りなり。橘に変はりてをかしければ、さし出でたまへるに、柳もいたうしだりて、築地も障はらねば、乱れ伏したり。
「見し心地する木立かな」と思すは、早う、この宮なりけり。いとあはれにて、おし止めさせたまふ。例の、惟光はかかる御忍びありきに後れねば、さぶらひけり。召し寄せて、
「ここは、常陸の宮ぞかしな」
「しかはべる」
と聞こゆ。
「ここにありし人は、まだや眺むらむ。訪らふべきを、わざとものせむも所狭し。かかるついでに、入りて消息せよ。よく尋ね入りてを、うち出でよ。人違へしては、をこならむ」
とのたまふ。
ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、昼寝の夢に故宮の見えたまひければ、覚めて、いと名残悲しく思して、漏り濡れたる廂の端つ方おし拭はせて、ここかしこの御座引きつくろはせなどしつつ、例ならず世づきたまひて、
亡き人を恋ふる袂のひまなきに
荒れたる軒のしづくさへ添ふ

も、心苦しきほどになむありける。
四月になって、花散里を思い出して、紫の上に暇をいただいてこっそり出かけた。降り続いていた雨の名残が、まだ少し降っていて、風情があり、月が出ていた。昔遊び歩いていた頃を思い出しながら、美しい夕月夜に進んでゆくと、様々なことが思い出されて、すっかり崩れて荒れた家の、木立が茂って森のようになっている所を過ぎた。
大きな松に藤の花が咲きかかって、月影に揺れて、風になびいている匂いがなつかしく、そこはかとなくただよってくる。橘とまた違った趣なので、顔を出して見ると、柳もしだれかかって、崩れた築地に垂れていた。
「見たことのある木立だな」と思ったが、まさしく宮の邸だった。あわれを感じて、車を止めさせた。例の惟光は、こうしたお忍びには必ずついて行くので、ひかえていた。呼び寄せて、
「ここは常陸の宮の邸だな」
「さようです」
と返事をした。
「ここにいた人は、まだひとりで居られるだろうか。訪ねるべきだが、あらためて出かけるのも面倒だ。ついでに、入って挨拶せよ。よく確かめてから、切り出せ。人違いではことだからな」
と仰せになる。
邸内では、ひとしお物思いがちな時季なので、物思いに沈んでいたが、昼寝の夢に故宮が現れて、覚めても名残惜しく思われ、雨漏りで濡れた廂の端の方を拭かせて、あちこちに御座を作らせなどして、いつになく歌などを詠んで、
(末摘花)「亡き父を慕い袂が乾く暇もないのに
荒れた軒を雫がまた濡らします」
心苦しいかぎりです。
2018.8.18/ 2021.8.24◎
15.12 惟光、邸内を探る
惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。「さればこそ、往き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参るほどに、月明くさし出でたるに、見れば、格子二間ばかり上げて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて、声づくれば、いともの古りたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、
「かれは誰れぞ。何人ぞ」
と問ふ。名のりして、
「侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ」
と言ふ。
「それは、ほかになむものしたまふ。されど、思しわくまじき女なむはべる」 と言ふ声、いたうねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり。
内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、「もし、狐などの変化にや」とおぼゆれど、近う寄りて、
「たしかになむ、うけたまはらまほしき。変はらぬ御ありさまならば、尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてに、止まらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」
と言へば、女どもうち笑ひて、
「変はらせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅が原を移ろひたまはでははべりなむや。ただ推し量りて聞こえさせたまへかし。年経たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごしはべれ」
と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、むつかしければ、
「よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ」
とて参りぬ。
惟光は入って、あちらこちら回って人の気配を調べたが、まったく人気がなかった。「やっぱり、往来の道を見て人が住む気配がなかったから」と思って、帰ろうとすると、月が明るくなり、よくよく見れば格子を二間ばかり上げて、簾が動く気配がした。やっと人の気配がしたので、恐ろしい気持ちもあったが、近寄って、声をかけたが、ひどく年取った声で、まず咳払いして、
「どなたじゃ。何人ぞ」
と問う。名乗って、
「侍従の君にお会いしたい」
と言う。
「その人は他所にお勤めです。しかし、同様にお考え下さってよい女がいます」という声はひどく年取っていたが、聞いたことがある老人と分かった。
邸内に、思いもかけず狩衣姿の男が、ひっそりと立ち、穏やかな物腰なので、こんな姿は見慣れないので、「もしや狐などが化けたか」と思ったが、惟光が近寄って、
「しかとお聞きしたい。昔に変わらずに居られるのなら、殿はお尋ねしようというお気持ちがないわけではありません。今宵も通り過ぎずに、邸の前で止まっておられますが、いかがお話しましょう。ご安心してください」
と言へば、女どもも笑って、
「心変わりするお方であれば、こんな浅茅が原を引き払っていることでしょう。まわりの様子をみて推し量って申してください。長年の間、生きて来ましたが、こんな生活は世にも稀で、稀有なお人と見て過ごしてまいりました」
と、ぼつぼつ語りだしたが、際限なく語るのではと厄介になりそうに思い、
「分かった。とりあえずこれで報告しましょう」
と言って、帰ってきた。
2018.8.18/ 2021.8.24 / 2023.3.13◎
15.13 源氏、邸内に入る
「などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」
とのたまへば、
しかしかなむ、たどり寄りてはべりつる。侍従が叔母の少将といひはべりし老人なむ、変はらぬ声にてはべりつる」
と、ありさま聞こゆ。
いみじうあはれに、
「かかるしげき中に、何心地して過ぐしたまふらむ。今まで訪はざりけるよ」
と、わが御心の情けなさも思し知らる。
「いかがすべき。かかる忍びあるきも難かるべきを、かかるついでならでは、え立ち寄らじ。変はらぬありさまならば、げにさこそはあらめと、推し量らるる人ざまになむ」
とはのたまひながら、ふと入りたまはむこと、なほつつましう思さるゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど、見たまひしほどの口遅さも、まだ変らずは、御使の立ちわづらはむもいとほしう、思しとどめつ。惟光も、
「さらにえ分けさせたまふまじき、蓬の露けさになむはべる。露すこし払はせてなむ、入らせたまふべき」
と聞こゆれば、
尋ねても我こそ訪はめ道もなく
深き蓬のもとの心を

と独りごちて、なほ下りたまへば、御先の露を、馬の鞭して払ひつつ入れたてまつる。
雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、
「御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて」
と聞こゆ。御指貫の裾は、いたうそほちぬめり。昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつけても、いと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。
「どうした、遅かったな。どうしてる、蓬が茂って昔の跡も見えない」
と仰せになれば、
「これこれの次第で、探し出してお会いしてきました。侍従の叔母の少将という老人がいて、変わらぬ声で応対しました」
と、様子を報告する。
ひどくあわれを覚えて、
「こんな雑草の中で、どんな気持ちで暮らしているのか。今まで訪れなかった」
と自分の心の薄情さも思い知らされる。
「どうしようか。こんな忍び歩きも難しくなったので、何かのついででなければ、立ち寄れないだろう。変わらない暮らぶりなら、そうであろうと思いやられる人柄だから」
と仰せになりながら、突然入って行くのは憚られると思った。気のきいた歌など差し上げたかったが、経験済みの返事の遅さも相変わらずであれば、使いを困らせるのも可哀想だと思ってやめた。惟光も、
「踏み分けられないほどの、蓬の露でございます。露を少し払わせてから、お入りください」
と申し上げると、
(源氏)「道なき道をわたしは尋ねましょう
深い蓬の下の変わらぬ心を」
とひとり言を言って、かまわず下りたので、惟光は足元の露を馬の鞭で払ってお入れした。
雨の雫も、秋の時雨のように木々から降ってきて、
「傘がございます。実に、木の下露は雨にまさる」
と申し上げる。指貫の裾はひどく濡れた。昔も、あるのかないのか分からなかった中門など、形もなくなり、入るにしても体裁が悪いが、見る人もないので気楽だった。
2018.8.19/ 2021.8.24/ 2023.3.13◎
15.14 末摘花と再会
姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せむも、いとつつましく思したり。大弐の北の方のたてまつり置きし御衣どもをも、心ゆかず思されしゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人びとの、香の御唐櫃に入れたりけるが、いとなつかしき香したるをたてまつりければ、いかがはせむに、着替へたまひて、かの煤けたる御几帳引き寄せておはす。
入りたまひて、
「年ごろの隔てにも、心ばかりは変はらずなむ、思ひやりきこえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに今までこころみきこえつるを杉ならぬ木立のしるさに、え過ぎでなむ、負けきこえにける
とて、帷子をすこしかきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも応へきこえたまはず。かくばかり分け入りたまへるが浅からぬに、思ひ起こしてぞ、ほのかに聞こえ出でたまひける。
「かかる草隠れに過ぐしたまひける年月のあはれも、おろかならず、また変はらぬ心ならひに、人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入りはべりつる露けさなどを、いかが思す。年ごろのおこたり、はた、 なべての世に思しゆるすらむ。今よりのちの御心にかなはざらむなむ、言ひしに違ふ罪も負ふべき」
など、さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、あむめり。  立ちとどまりたまはむも、所のさまよりはじめ、まばゆき御ありさまなればつきづきしうのたまひすぐして、出でたまひなむとす。引き植ゑしならねど、松の木高くなりにける年月のほどもあはれに、夢のやうなる御身のありさまも思し続けらる。  
藤波のうち過ぎがたく見えつるは
松こそ宿のしるしなりけれ

数ふれば、こよなう積もりぬらむかし。都に変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ。今、のどかにぞ鄙の別れに衰へし世の物語も聞こえ尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまはむと、うらもなくおぼゆるも、かつは、あやしうなむ」
など聞こえたまへば、
年を経て待つしるしなきわが宿を
花のたよりに過ぎぬばかりか

と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、「昔よりはねびまさりたまへるにや」と思さる。
月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、障はるべき渡殿だつ屋もなく、軒のつまも残りなければ、いとはなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゆるに、昔に変はらぬ御しつらひのさまなど、忍草にやつれたる上の見るめよりは、みやびかに見ゆるを、昔物語に塔こぼちたる人もありけるを思しあはするに、同じさまにて年古りにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたるけはひの、さすがにあてやかなるも、心にくく思されて、 さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひに、ほれぼれしくて隔てつるほどつらしと思はれつらむと、いとほしく思す
かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは花やぎたまはぬ所にて、御目移しこよなからぬに、咎多う隠れにけり。
姫君は、じっと待って暮らしていて、君はきっと来てくれると思っていたので、とてもうれしかったが、みすぼらしい格好で会うのが恥ずかしかった。大弐の北の方が置いていった衣だが、好かない方の頂き物なので見てもいなかったのだが、女房たちが、香の唐櫃に入れていて、なつかしい香がしたのを出してきたので、仕方なく、着替えて、あのすすけた几帳を引き寄せて座るのだった。
君は入って、
「長年ご無沙汰しても、心変わりはせず、案じておりましたが、そちらから便りがないのが恨めしく、今まで試しておりましたが、杉ならぬ木立が目だって通り過ぎることもできず、根負けましました」
と言って、帷子を少し払いのけたが、例によって、姫は恥ずかしそうに、すぐにも応対しなかった。こんな草深いところに踏み入って来られる心ざしが浅からぬのを思って、かすかに申し上げるのだった。
「これほど草深い邸に過ごされた年月のあわれも大変なものだが、あなたの心のうちも知らないまま、露深く分け入ってきたわたしの気持ちも察してください。年ごろのご無沙汰は、男女の仲ではよくあることです。これからはお心にかなわないことがありましたら、約束を破ったことで責めを負いまし ょう」
など、それほど深く思っていなくても、愛情を込めて仰せになるにことがよくおありのようだ。お泊りなさるにしても、この邸のあまりにひどい有様であれば、適当な言い訳をして、引き上げようとした。自分で植えたものではないが、松の木が高くなった年月を思うと感極まり、夢のようなこの身の変遷も思われた。  
(源氏)「松にかかった藤波を通り過ぎがたく見えたのは
この宿で待つというしるしなのでしょう
数えてみれば、ずいぶん年月が経ちました。都に異変が多くあり、いろいろと心が痛みます。そのうち、のんびりと都を離れて田舎にいた話をしましょう。今まで過ごされた春秋の暮らしの苦労なども、わたし以外の誰に愁いを訴えられましょう、と素直に思えるのが不思議です」
などと仰せになれば、
(末摘花)「年月を経て待つかいもないわが家を
ただ藤の花めでるために立ち寄ったのでしょう」
とひそかに身じろぎする気配も、袖の香も「昔よりは大人になったかな」と思われた。
月が西の端に入る頃になり、西の妻戸が開いていて、渡殿のようなさえぎるものもなく、軒のつまも朽ちてないので、月の光がはっきり射しこんでいた中で、辺りを見ると、昔に変わらぬしつらいで、忍草の生えほうだいの外よりも、みやびに見えるのを、昔塔の壁を壊したという貞淑婦人の話も思い出されて、同じように年を経たのもあわれであった。ひたすら恥ずかしがる気配に、さすがに気品があるのも心にくく思われ、そういう方として忘れずお世話しようと思ったが、年ごろ様々な物思いが生じて、うっかりご無沙汰していたのを、薄情者と見ていたのだろう、といとおしく思った。
あの花散里も、あでやかに今風めかした派手なことをしないので、見比べても、欠点が目立たなかった。
2018.8.23/ 2021.8.25/ 2023.3.13◎
15.15 末摘花への生活援助
祭、御禊ごけいなどのほど、御いそぎどもにことつけて、人のたてまつりたる物いろいろに多かるを、さるべき限り御心加へたまふ。中にもこの宮にはこまやかに思し寄りて、むつましき人びとに仰せ言賜ひ、下部どもなど遣はして、蓬払はせ、めぐりの見苦しきに、板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ。かう尋ね出でたまへりと、聞き伝へむにつけても、わが御ため面目なければ、渡りたまふことはなし。御文いとこまやかに書きたまひて、二条院近き所を造らせたまふを、
「そこになむ渡したてまつるべき。よろしき童女など、求めさぶらはせたまへ」
など、人びとの上まで思しやりつつ、訪らひきこえたまへば、かくあやしき蓬のもとには、置き所なきまで、女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きて喜びきこえける。
なげの御すさびにてもおしなべたる世の常の人をば、目止め耳立てたまはず、世にすこしこれはと思ほえ、心地にとまる節あるあたりを尋ね寄りたまふものと、人の知りたるに、かく引き違へ、何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまを、ものめかし出でたまふは、いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし。
賀茂の祭や御禊のときなどは、その支度にことつけて、人々が献上した品々がたくさんあり、しかるべき方々には配慮して賜った。中でも、この常陸の宮にはこまやかに配慮して、腹心の家臣たちに言いつけて、下人たちを遣わせて蓬を払わせ、塀が見苦しいので、板垣というのを打ち付けて修繕させるのだった。このように姫を探し出したと世間が噂するのを聞いても、自分の面目なさを恥じて、訪れなかった。文を細やかに書いて、二条院に近いところを造作させているので、
「そこに移ってもらおう。容姿のいい童女などを心して捜しておいてください」
など、女房たちのことまで思いやって世話するので、かくもひどい蓬のあばら家に住む者には、身に余る思いで、女たちは空を仰ぎ、君の方を向いて喜んだ。
一時のお遊びであっても、並の女には見向きもされず、世間でも少しは評判がよく、心に止まるところもある女を捜しもとめると、世間の人も承知しているのに、まるで違って、なにごとも人並みでさえない女を人並みにお扱いなさるのは、どんなお考えがあったのだろうか。これも前世の因縁だったのだろうか。
2018.8.27/ 2021.8.25/ 2023.3.13◎
15.16 常陸宮邸に活気戻る
今は限りと、あなづり果てて、さまざまに迷ひ散りあかれし上下の人びと、我も我も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋もれいたきまでよくおはする御ありさまに、心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り帰り、君は、いにしへにもまさりたる御勢のほどにて、ものの思ひやりもまして添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前栽のもとだちも涼しうしなしなどして、ことなるおぼえなき下家司の、ことに仕へまほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと見取りて、御けしき賜はりつつ、追従し仕うまつる。 もう終わりだと馬鹿にしきって、あちこちに散っていった上下の人々が、我先にと競って戻るのであった。姫の心ばえは、内気すぎるほどのよい人柄なので、気楽な宮仕えに慣れていて、つまらぬ受領などの家に仕えた人たちは、慣れない居心地の悪さもあって、遠慮もなしに気持ちも隠さず帰ってくるし、君は昔よりももっと権勢があり、思いやりも行き届いて、細やかに指図するので、邸はすっかり羽振りがよくなり、ようやく人の姿も見え、木や草も手入れもなく荒れ放題だったのだが、遣り水の流れをよくし、前菜の下草も刈ってすっきりさせるなどして、日頃目にかけていただけない下家司たちも、忠勤に励みたい者は、君のご寵愛があるだろうと見て取ってご機嫌をうかがいながら、お仕え励むのだった。
2018.8.28/ 2021.8.25/ 2023.3.13◎
15.17 末摘花のその後
二年ばかりこの古宮に眺めたまひて東の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける。お二人が対面したまふことなどは、いとかたけれど、近きしめのほどにて、おほかたにも渡りたまふに、さしのぞきなどしたまひつつ、いとあなづらはしげにもてなしきこえたまはず。
かの大弐の北の方、上りて驚き思へるさま、侍従が、うれしきものの、今しばし待ちきこえざりける心浅さを、恥づかしう思へるほどなどを、今すこし問はず語りもせまほしけれど、いと頭いたう、うるさく、もの憂ければなむ。今またもついであらむ折に、思ひ出でて聞こゆべき、とぞ。
二年ばかりこの古い邸に過ごして、東の院という所に、後ほどお移りになった。お二人が対面されることは大変困難なことであったが、区画が近くなので、普通の御用などでおいでになるときは、ちょっと顔を出したりして、そう軽んじた扱いもされないのだった。
あの大弐の北の方が、上京して驚いている様子や、侍従が、うれしくはあったが、もう少し待ちきれなかった浅はかさを、悔やんでいた様子など、いま少し語りたいのですが、頭が痛く、面倒で、気が進まないのです。今度また機会があれば、思い出して語りましょう、ということです。
2018.8.29/ 2021.8.25/ 2023.3.13◎ 

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読書期間2018年8月1日 - 2018年8月29日