料理の自由についても、今一度確認しておきます。「料理はなんでもありや」なんていう人がありますが、それは間違いです。やたらなんでもかんでも無茶苦茶してもいいのではありません。
味噌汁はひと椀の有限の世界において自由なのです。つまり有限の無限だということですが、有限であるから私たちに自由があるのです。孫悟空も仏さんの手のひらの上で暴れているのです。
無限の世界に自由などありません。無限の世界にあるのは無明。有限に秩序が生まれ思想が生まれます。ですから、有限の世界を維持持続するためにケハレ(日常と非日常)があり、貧と贅のバランスをとっているのです。無限の成長は自滅です。
人間に無限の進化などありません。地球という有限の世界で、無限に進化しようとする人間社会(資本主義)など無理だとわかっているのです。だから宇宙に行くのですか、でも宇宙は人間の住処ではありません。
ひと椀に守られた自由お味噌汁
有限の無限を幸いと知る
一汁一采を土台にプラスする、自分が食べたい、家族に食べさせたいと思ってつくる料理は、すべて楽しみです。料理はクリエイションの始まりで、自由に工夫することが楽しいのです。そうでなければいけないし、やっていられません。時間がないなら、疲れているのなら、気分が乗らないなら、なにもしなくてよいのです。
元気な人は、疲れた家族に頼らなくても、自分で一汁一采をつくれるでしょう。一人暮らしでも、あるもので適当にお味噌汁をつくって、冷ご飯に梅干か味噌を添えて食べる。それでよいのです。疎かにしていたご飯の尊さに出会えます。