様々な思想


思想とはもの思う言いである
   

HOME    様々な思想 目次

紫式部の人生

初雪
 もう、語り疲れた。振り返れば短いようで長い人生だった。
 老いて宮仕えを退き、古びた自宅にひきこもって、もはや私にはすることもない。そんなある夕暮れ、私は友達から一通の手紙を受け取った。
初雪降りたる夕暮れに、人の
恋しくてありふるほどの初雪は 消えぬるかとぞ疑われける
(初雪が降った夕暮れに、人が贈ってくれた歌
紫式部さん、どうしていらっしゃいますか。逢いたいとずっと思っているのですよ。そうしたら何と、今日は初雪が降ったじゃありませんか。この雪のように、あなたも消えてしまったのではないかしら。私ときたら、そう心配になってしまったのです。大丈夫? ちゃんと生きているわよね?)
 雪見舞いの手紙だ。私は外を見た。ああ、確かに雪が降っている。初雪だ。真っ白な雪がひとひらまたひとひらと、古く荒れた庭に舞い落ちている。
 そうだ、私にもこの初雪のような時があった。無垢で何も知らず、恐れもせずこの人生という庭に降り立った時が。しみじみとした思いが心に満ちて、私は詠んだ。
ふればかく憂さのみまさる世を知らで荒れたる庭に積もる初雪
(世の中とは、生きながらえれば憂いばかりが募るもの。そうとも知らずに初雪が、この私の荒れた庭に降っては積もってゆく)(『紫式部集』113番)

 私は人生を振り返る。出会いと別れの人生。憂いばかりの人生だった。だが長くいきてみてやっと分かった。それが「世」というものであり、「身」というものなのだ。これが私の人生だったし、これからもそうなのだ。
いづくとも身のやる方の知られねば 憂しと見つつも永がらふるかな
(いったいどこに、憂さの晴れる世界があるというのでしょう。そんな世界などありはしません。いったいどこに、この身をればいいのでしょう。そんな所も知りません。この世は憂い。そう思いながら、私は随分長く生きてきましたし、これからも生きてゆきます。心配してくれてありがとう。大丈夫、ちゃんと生きているから (『紫式部集』114番巻末歌))

そう、この身が消えるまで、それでも私は生き続ける。
『紫式部ひとり語り』(山本淳子著 角川ソフィア文庫)
HOME    様々な思想 目次;
公開日2024年8月27日