紫式部の感慨
序章
「紫式部」。名前ばかり華々しくもてはやされたものだが、その実この私の人生に、どれだけの華やかさがあったものだろうか。自ら書いた『源氏の物語』の女主人公、紫の上にちなむ呼び名には、とうてい不似合いとしか言えぬ私なのだ。
老いて宮仕えを退き、古びた自宅にひきこもって、最早私にはすることもない。そんなある日のこと、ふと外を見ると、おや雪が降っている。初雪だ。真っ白な雪がひとひら、またひとひらと、古く荒れた庭に舞い落ちている。
そうだ、私にもこの初雪のような時があった。無垢で何も知らず、恐れもせずこの人生という庭に降り立った時が。しみじみとした思いが心に満ちて、私は詠んだ。
ふればかく 憂さのみまさる 世を知らで 荒れたる庭に 積もる初雪 (『紫式部集』113番)
(世の中とは、生きながらえば憂いばかりが募るもの。そうとも知らずに初雪が、この私の荒れた庭に降っては積もってゆく)
私は人生を振り返る。思えばいろいろなことがあったものだ。記憶が雲のようにいくつも湧いては心をよぎる。
私は思い出を手繰り寄せる。私の人生、それは出会いと別れだった。
『紫式部ひとり語り見』山本淳子著 角川ソフィア文庫