様々な思想


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向田邦子の友情


向田さんとの出逢いは、全くの偶然から始まりました。
もう二十五、六年前、当時、私の住んでいた六本木の家は、白い壁に黒い鉄の飾り柵のついたスペイン風のインテリアでした。
アトリエで小さなコレクションが出来るほどの手頃な広さでしたが、その頃ではまだ珍しかったせいか、よくテレビ関係者の装置のかたが見にいらっしゃいました。
向田さんは紹介者もあってのことでしたが、デザイナーのサロンは・・・という好奇心で来られたのではないでしょうか。家中を、あちこち見回して、体いっぱいの熱っぽさで見ていろいろ質問をされました。
私が「いつでも、どうぞお遊びにいらして・・・」と言うと、向田さんの答えがふるっていました。
「私は洋服はいらないの。作らなくても遊びに来ていいかしら」
それから、六本木と麻布、ふたりの家が近かったこともあり、「ご飯食べに行きましょう」に始まり、「話していかない?」という友達づきあいがが始まりました。
でも、私が結婚して家庭があったときは遠慮されたのでしょうか、それほど頻繁なつきあいにはなりませんでした。押しつけ過ぎず、その勘所の見事さこそ、向田さん一流のものです。
ひとりになった年の暮れ、向田さんに招待された大晦日ほど、人の情けが身にしみたことはありません。ひとりぼっちになってしまった私への最高の贈り物でした。
他人の痛みに敏感に気づきながら決してさわらず、素知らぬふりで優しさを見せる気っ風の良さ。その都会的な江戸っ子気質に、私は密かに憧れさえ抱いていたものです。
直接てきなものの表現を本能的なまでに拒み、むしろ、それをあえて避けて通るという照れ屋さんの美学は、都会的な感性として私には映り、とても好ましく感じたものです。
・・・
ある時風邪をこじらせ、部屋で臥せっていると、電話の呼び鈴。受話器の向こうからは、元気な声で、「今、出るところだけど、十五分くらいたったらドアを開けておいてね・・・」と。
うつらうつらの十五分が過ぎ、ドアの外に気配を感じて急ぎ玄関に出てみますと、そこにはもう向田さんの姿は見えず、心づくしの食べ物、スープが、手紙を添えておかれているのです。
やつれた寝間着姿を人に見られるのはつらかろうという向田流の心遣い。一陣の風が吹き抜けたように、静かな余韻が残る・・・。
向田さんの優しさは、まさにこの余韻であり、それだけに残されたものの心に染みるのでしょうか。
手紙の封を開いてみると、向田さんらしい大振りな字で次のように書いてありました。

風邪は食べないと治りません。スープを作ったので、とどけます。
• おなべごと、あたためてもよし、これごと冷蔵庫に入れ、食べる分だけレンジであたためても(小丼に入れラップでカバーをかけても)よし。
• ごはんは、包んだまま、冷凍庫でガチガチに凍らせて、食べる分ずつ、ラップをとり、茶碗に入れて、新しいラップでカバーをかけ、三分ほどあたためると、炊きたてのホカホカになります。
• 松たけごはんも二つ、入れました。少し薄味ですが、添えてある佃煮「茸くらべ」と」一緒に食べるとおいしい。
• 白いごはんは、電子レンジであたためて、卵のおじやにしてもよしです。スープを入れたスープおじや(上にパセリを振る)は絶品なり。
•おなべは、うちにはいっぱいありますから治ってから返していただきます。このままお使い下さい。
• 早く治って、もっとおいしいもの、食べに行きましょう。
        お大事に く
    いつ子さん

(お礼の電話をかけた植田に、向田邦子はワザと怒ったようにこう言った。
「別に特別じゃないんだから。放送局に原稿届ける用事があったもんで、ちょっと寄っただけなのよね」
心くばり、気くばり、気づかい、思いやりー表現こそ違え、多くの知人、友人たちが、生前の向田邦子をそう語る時、植田は決まってあの日の走り書きを思い出す。)


無造作をよそおいながら、これほどまでに心くばりのゆきとどいたメモを私は見たことがありません。読みながら涙ぐんでしまう私・・・。
面倒見のよい向田さんに、何から何までまかせきっていたあの頃の私の姿、それは懐かしく、また哀しく私の心に生き続ける大切な一枚の絵です。
贈り物じょうずの向田さんらしい鮮やかさでした。
年齢では私のほうが一歳年上なのに、意見されるのはいつも私。
「仕事はよくやるのに、他のことは要領悪くて見ていられない」とか「あなたのように計画性のなさでは、病気になったときはどうするの」などなど。まるで姉のような口調と親身さでよくお説教されたものです。

    ・・・・・・・・・

「いつ子さんのデザインする女っぽい服は、私には似合わない」というのが口癖でありながら、雑誌には、あるときこんな文章をのせる向田さんでもありました。
「気品、かくれた色気、ゆったりした雰囲気、さりげない華やかさ・・・。この人の服を着ると、自分にない女らしさのお裾わけにあずかったような気分になります」と、過分な誉め言葉。

『布・ひと・出逢い』植田いつ子著 平成4年10月30日 主婦と生活
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͡※カッコ内()、松井清人氏の記述(『向田邦子ふたたび』文春文庫)
友達がひとりで風邪で寝込んでいるのに、いつもの様に脚本なんか書いていられない、と向田邦子は感じたのであろう。 向田邦子に関係するものを読んでいて、植田いつ子という美智子妃殿下のデザイナーと、マンションも近く、知り合いであることを知り、一流は一流を知る類で、二人が知りあった経緯を知りたかったので、引用した。すばらしいお付き合いですね。これがこの世に生きているということか、友を得るということか。植田がお礼の電話を入れた、ちょっと怒ったような向田邦子の返事にしびれます。東京っ子の友達思い優しさ心意気でしょうか。
「一生に一度でいい、ロアルド・ダールの短編のような小説を書いてみたい」-生前の彼女の口癖であった。(松井清人氏)  管理人

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公開日2023年6月21日