様々な思想

   

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本物を見る 複製で見る

私の経験からいうと、外界への関心、理解と、ものを書くことの原則は深くかかわっています。私は初めから一人で神羅万象について書かなければならないというような考えは毛頭持っていなかった。自分で見てきて、よく知っていることを書けばいい。知らないことはたくさんあるから、それは知っている人が書けばいい。人だったら会ってみるとか、何か事件があったらそのp場に行って見るということは、やはり大きなことだと思う。文字だけで見るとどうしても一面的なので、もっと具体的な出発点になっているイメージというか、そういうものを直接受け取ったほうがよりよく知っているということになるのです。これについては若干の経験があります。

たとえば、1945年8月の広島の原子爆弾被害ですが、私は医師団の一人として行った。現場を見るのと見ないのとでは理解が大違いです。私が広島に着いたのは爆弾が破裂してから、大体一カ月後です。

もう一つは、石川淳さんの影響もあるかもしれないけれど、石川さんには、文人画について書いた長いエッセイ(「南画大体」)があって、彼は自分で実物を見たことのないもの、複製で見たものについては一切しゃべらない、本物を見たことのある作品についてだけ書くということをそこで断っているのです。

そのうち、私もだんだん絵を見るようになってわかってきたことは、やはり複製で何かをいうのは危険だということです。本当のものを見ないといけない。一度、本当のものを見た後で、記憶が確かでないから、たとえば構図とか色でさえもそのとおりではないけれども、思い出すために複製を使うのは大いに役立つ。しかし、初めから複製だけで見ると、本当に芸術作品としてのいちばん大事なところがわからないように思います。

私も石川さんに習って、たとえ一行といえども本物を見ない絵については書かない。・・・『私にとっての20世紀』加藤周一


文学は翻訳で読み、音楽はレコードで聞き、絵は複製で見る。誰も彼もが、そうして来たのだ。少なくとも、凡そ近代芸術に関する僕等の最初の開眼は、そういう経験に頼ってなされたのである。翻訳文化という軽蔑的な言葉が屡々人の口に上る。尤もな言い分であるが、尤もも過ぎれば嘘になる。近代のに日本文化が翻訳文化であるという事と、僕等の喜びも悲しみもその中にしかあり得なかったし、現在も未だないという事とは違うのである。・・・『ゴッホの手紙』小林秀雄


放送大学の面接授業で、昭和時代文芸評論の名作を読むを受けた。面白かったので、その一部を抜粋して掲載する。 加藤周一は、東大医学部を出た、医師。医学博士号も持っているそのかたわら、文明批評もやり、日本で最高の知性であるように、思われる人物である。海外の大学で招かれて講義し、『日本文学史序説』の著書もある。・・・管理人

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公開日2022年11月20日