合掌行気法
その方法は、まず合掌して指から手掌へ息を吸い込んで吐く。その合掌した手で呼吸する。やっていると手掌がだんだん暖かくなり、熱くなり、ムズムズ蠅のはうような感じがしてきたり、涼風感があったりするが、そのまま呼吸を続けると手掌がだんだん拡がって室中一ぱいになり、「天地一指」という感じになって、自分がどこへ座っているか、脚も体もなくなって、ただフカフカした雲の中に合掌だけだあるということになる。もっとも初めから誰でもそうなるとは限りませんが、やっていると、いつかはそうなる。初めは、指から手掌へ呼吸するということだってむずかしい。そういうつもりで息をしておればよい。
やってみましょう。さあ、一緒に息を吸い込みます。ハイ。手掌に気が集まると手掌が呼吸していることが判ります。自分のだけでなく他人のも判ります。自分の手掌に他の人の指を向けてもらってごらんなさい。その指から息が出ていることが判ります。指を動かすと、その感じは指と一緒に動く。これが感じるようになれば、胸でもお腹でも手掌を近づけると気を感じます。その気の熱いのは、その部分の体の働きすぎ、ゆまり過敏状態。温かさの強いのは弛んでいる部分。冷たいのは鈍っている部分。・・・感じますネ。そんなに近づけなくともよい。気が合えば離れていても感じるし、合わなければ隣にいても感じない。気とはそういうものです。
今度は合掌して、その両手を三センチほど離します。見ていると、両方の手から互に吸いついて合わさってしまう。合わさったら目をつぶってもう一度呼吸する。
この間、この実習がすんだとたん、「アッ、鰻だ」といった人がおりました。あとで室に運ばれた弁当は鰻でした。どうして判ったと聞いたら、「匂いですよ」と申しましたが、台所まではそうとう遠い。第一、他の人には匂わない。私も感じなかったが、その人は感じた。お腹がよほど空いていたのでしょう。要求がある場合、気が落ち着くと感覚がとたんに敏感になる。この人はそうだったのでしょう。しかし誰でも敏感になります。
合掌行気は正座、合掌、瞑目して行う。時間は五分前後、時間よりも精神集中度が大切です。気が散ったり乱れたりして行うのは無意義です。気の抜けたまま長時間座っていても駄目です。
背骨への行気
疲労したり、体力の呼び起こしを必要とする時は、背骨へ気を通す。
その方法は背骨で息をすること、背骨に息が通ると汗が出てくる。背骨の硬いところは通りにくいが、通ると「可動性」が出てくる。息を通すつもりだけでも、やっていると息が通ることが判る。その方法は、ただ背骨で息をすること。方法は簡単だが、精神が統一すると体の力はいっせいに発動する。正座でも倚座(腰かける形)でも、立姿でも臥姿でもよい。初めは瞑目してやる。できるようになったら、眼を開いたままでもやれる。慣れれば歩行中でも、病気の経過の遅い人も、栄養物を食べても満ちない人も、これを行うと、それまでと異なった活気のある体になる。しばらくすると体の中に勢いが湧いてくることが判ります。
気をおくり、通す法
愉気というのは、他人の体に息を通すことである。離れていても、手をつないでいても、その部分に手を触れていてもよい。自分の気を相手におくるつもりで、気をこめて息をおくる。それだけである。静かな気、澄んだ気がよい。強くとも荒んだ気、乱れた気はいけない。
愉気法とは、人間の気が感応しあうということを利用して、お互いの体の動きを活発にする方法です。こういうことが果たしてできるかと疑念を持つ人もいるが、気を感ずる人ならできる。物しか見えない人にはできない。