「気」は物質以前の存在
元気とか活気とか、気おくれとか、気が合うとか合わぬとか、気を入れるとか気がないとか、天気、気配、気遣い、気取りから、気が乱れる等々、いろいろと気という言葉は使われておりますが、さて、気とは何ぞやとなると戸惑ってしまいます。それほど身近では気づかないまま使っているのです。西洋には気という言葉がありません。ミトゲン線とかアルファー線とかいっても、それは物質の細かくなって放散する形であって、気ではありません。オーロラにしても、水蒸気にしても、気の現れであって、気そのものではありません。
気は物質以前の存在です。欅の大樹も始めは一粒の種子でした。その種子の中にあった気が必要とする物質を集めて、ああいう大きな樹となったのです。・・・人間の体を解剖して生命を見つけようとしているようなもので、笑えないことです。物をいくら分解しても生命は見つかりません。気も同じです。人間の体も気が造ってきたのです。要求によって生まれた気が、必要とするものを集め生み出したのです。気は精子以前の存在、物質以前の動きなのです。気の動きは勢いなのです。勢いはいのちです。
心で気の集散を自由に行う
気をおくり、気を通して元気を呼び起こす「愉気法」というのは、気をおさめる訓練を行うことから始めます。・・・気が心にひきずられないで、心で気の集散を自由にすることが、その訓練の内容です。
『整体入門』野口晴哉著 ちくま文庫