俺の仕事って要らないんじゃないか
後年、夏目漱石のロンドン留学の話を知った。漱石はロンドンで文学論を勉強しようと思ったらしい。でも講義を聴いても、さっぱり参考にならない。お国からお金をもらって留学しているのに、成果が上がったとはとても思えない。悩んで、神経衰弱のうわさが立ったと言われている。留学の終わりごろになって気づく。文学論は教えてもらうものではない。自分でつくるものだ、と。漱石はそこではじめて自立した。私はそう感じて、漱石でもそうだったのかと感動した。だから漱石の創作活動は留学以後から始まる。
なぜ自立の話なのか。不要不急は自分のことではない。そのモノサシは周囲、つまり世間という状況にある。自立しなければ世間に流されてしまう。それはそれでいいけれど、それでは学問を志した意味がない。私が就職した当時は高度成長期で、大学教員の給与は相対的に低かった。全共闘の学生たちは、私の研究を不要不急とみなした。それはそれで仕方がない。とりあえずそんなものは要らないよ。そう言われたって、返す言葉がない。じゃあどうするかって、耐えるしかない。どうして耐えることができたかというと、当たり前だが、いずれは事態が「正常」に戻ると確信していたからである。戻らなかったら、どうか。そこにも自立の問題が関わってくる。なんでもいい。やろうと思ったことをするだけである。
緊急事態下でも勤務せざるをえない仕事がある。医療はもちろんそうである。その医療の世界で、私は常に不要不急を感じていた。俺の仕事って、結局は要らないんじゃないのか。たまたま機会があって、小泉内閣に入閣うる以前の竹中平蔵氏と会う機会があった。私は経済には全くの音痴だったから、自分の給料を支払ってくれているのはだれか、という疑問をもっていた。直接にはそれは税金だが、その税金の分は、だれが実質的に生み出してくれているのか。
解剖学で遺体を解剖していても、お金にならないことは間違いない。だから竹中さんにそれを尋ねた。そうしたら竹中さんはたちどころに何業が何%と、実体経済で各業種が占める割合を数字で語ってくれた。なんとも頭のいい人で、素人の私は感激した。もちろん無知だったから、経済とは実体経済に他ならない、と勝手に信じていた。金融経済と対比される、製品やサービスに対価を支払うといった、実体を伴う経済のことである。竹中さんはその私のバカ頭からの質問をきちんと理解してくれたのだろう・もっとも日本のGDPの六割弱が個人消費だ、などという余計なことは教えてくれなかったと思う。
自分の仕事は基本的に不要不急ではないか。ともあれその疑問は、たえず付きまとっていた。ただそれは自分だけの問題ではなく、世間と私の仕事の関係性だということは、どうやらわかり始めていた。世間がどういう仕事を私に要求し、他方、私はどういう仕事をしたいと思っているのか。その両者にどこまで一致点があるのか。その一致があまりない。それに気が付いた時、私は大学を辞する決心をした。その後は一瀉千里、いわば別の人生に近いものを送ることになった。