基本テーゼへの回帰 人間の知能はプログラムで実現できないはずはない
第1章で述べたように、もともと、人間の知能はプログラムで実現できないはずはない。ところが、それが人工知能の分野で長年実現できなかったのは、 コンピューターが概念を獲得しないまま、記号を単なる記号表記としてのみ扱っていたからだ。記号を「概念と記号表記がセットにしたもの」として扱ってこなかった、あるいは扱うことができなかったからである。
そのために、現実世界の中から「何を特徴表現とするか」は、すべて人間が決めてきた。決めるしかなかった。コンピューターの能力が今ほど高くなく、記号をそれのもとになる低次の情報とあわせて扱うことなどできなかったからだ。そこがすべての問題の根源になっていた。
ディープラーニングの登場は、少なくとも画像や音声という分野において、「データーをもとに何を特徴表現とすべきか」をコンピューターが自動的に獲得することができるという可能性を示している。簡単な特徴量をコンピューターが自ら見つけ出し、それをもとに高次の特徴量を見つけ出す。その特徴量を使って表される概念を獲得し、その概念を使って知識を記述するという、人工知能最大の難関に、ひとつの道が示されたのだ。もちろん、対象は画像や音声だけではないし、これだけですべての状況における「特徴表現の問題」が解決されたとはとても思えない。しかし、きわめて重要なひとつのブレークスルーを与えているのは間違いない。
「人間の知能がプログラムで実現できないはずがない」と思って、人工知能の研究はおよそ60年前にスタートした。いままでそれが実現できなかったのは、特徴表現の獲得が大きな壁となって立ちふさがっていたからだ。ところが、そこに一筋の光明が差し始めている。暗い洞窟の先に、今まで見えなかった光が届き始めた。できなかったことには理由があり、それが解消されかけているのだとしたら、科学的立場としては、基本テーゼに立ち返り、「人間の知能がプログラムで実現できないはずがない」という立場をとるべきではないだろうか。
いったん人工知能のアルゴリズム実現すれば、人間の知能を大きく凌駕する人工知能が登場するのは想像に難くない。少なくとも、私の定義では、特徴量を学習する能力と、特徴量を使ったモデル獲得の能力が、人間よりもきわめて高いコンピューターは実現可能であり、与えられた予測問題を人間よりもより正確に解くことができるはずである。それは人間から見ても、きわめて知的に映るはずだ。
人間の脳はさまざまな点で物理的な制約がある。たとえば普通の人より脳のサイズが10倍大きな人は存在しない。しkしコンピューターの場合には、コンピューター1台でできることは、10台にすれば10倍に、100台にすれば100倍になる。人間の知能レベルになるということは、すなわちすなわち人間の知能を超えるということと同じである。
特徴表現の獲得能力が、言語概念の理解やロボットなどの技術と組み合わされることで、可能性としては、すべてのホワイトカラーの労働を代替えしうる技術となる。それがどのくらいありうることなのかについては終章でくわしく述べるが、少なくとも、そう思って初期の人工知能は研究されていたはずである。そのインパクトははてしなく大きい。いまこの時代に、もう一度、この基本テーゼに戻るべきだ。
「人間の知能がプログラムで実現できないはずはない」