谷崎の日英文章比較
ところで日本でウェイリーの『源氏物語』英訳をテクストに即して最初に具体的に批評したいま一人は谷崎潤一郎である。昭和八年九月の『改造』に出た正宗白鳥の『文芸時評』(英訳『源氏物語』他)を読んだ上でのことであろう。正宗白鳥がその時評の中で「この英訳を新たに日本文に翻訳したら、世界的名小説として、多くの読者を得るかもしれないと推察される」などと書いたことに対し、なにも英訳から新訳をつくらずともよい、原作から新訳『源氏物語』を自分が出したら多くの愛読者を得るだろう、などと野心を抱いたのではあるまいか。谷崎は Tale of Genji が全訳された翌昭和九年に出した『文章読本』な中で、直接紫式部の原文とウェイリーの英文を引用して、正宗とは大分異なる意見を「西洋の文章と日本の文章」という章の中で開陳した。谷崎の英語力もかなり高度なものだが、谷崎は部分観察を基に、原文と訳文の乖離を指摘し違和感を述べた。その点では、正宗の大局的な把握とは異なる。というか世間の英語教師などによくある、月並みな翻訳批評の域を脱していない。谷崎はいう、
かの須磨は、昔こそ人の住みかなどもありけれ、今は、いと里離れ、心すごくて、海人の家だにまれになど聞きたまへど、人しげく、ひたたけたらむ住まひは、いと本意なかるべし。さりとて、都を遠ざからむも、故郷おぼつかなかるべきを、人悪くぞ思し乱るる。よろづのこと、来し方行く末、思ひ続けたまふに、悲しきこといとさまざまなり。
これを、ウェイリー氏はどんな風に訳したかというと、
There was Suma. It might not be such a bad place to choose. There had indeed once been some houses there; but it was now a long way to the nearest village and the coast wore a very deserted aspect. Apart from a few fishermen's huts there was not anywhere a sign of life. This did not matter, for a thickly populated, noisy place was not at all what he wanted; but even Suma was a terribly long way from the Capital, and the prospect of being separated from all those whose society he liked best was not at all inviting. His life hitherto had been one long series of disasters. As for the future, it did not bear thinking of!
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ウェイリー氏の英訳は、近頃の名訳であると云う評判が高いのでありまして、日本人が読んでさえ中々理解しにくい古典を流暢な英文に翻訳し、而も原作を貫く精神とリズムを或る程度に活かし得ていることは、大いに感謝してよいのであります。此処に引用した一節なども、英文としてみれば恐らく立派なものでありましょう。されば私も、この文章を批難する気はありませんが、唯、同じことを書いても英語にすると如何にも言葉数が多くなるかと云う実例として、お目にかけるのであります。御覧の通り、原文で五行のものが、英文では九行(その直訳で十行に伸びています)それもその筈、英文には原文にない言葉が沢山補ってあるのです。たとえば「それは住むのにそう悪い場所ではないかも知れなかった。」" It might not be such a bad place to choose." と云う文句は原文にはない。「今は、いと里離れ、心すごくて、海人の家だにまれになど聞きたまへど、人しげく、ひたたけたらむ住まひは、いと本意なかるべし。」と、さう云ってゐるだけである。然るに英文では此の原文の文句を又引き延ばして、「今は最も近い村からも遠く隔たってゐて、その海岸は非常にさびれた光景を呈してゐた。ほんの僅かな小屋の外には云々」から「決して彼の欲するところではなかったのであるから。」まで、六七行を費やしてゐます。一方では「古里覚束なかるべきを」と云っているのが、一方では「彼が最も好んだ社交界の人々の総てと別れることになるのは、」となってをり、「よろづのこと、来し方行く末、思ひ続けたまふに、悲しきこといとさまざまなり」が、「彼のこれまでの生涯は不幸の数々の一つの長い連続であった。行く末のことについては、心に思ふさへ堪え難かった!」となってをります。つまり、英文の方が原文より精密であって、意味の不鮮明なところがない。原文の方は、云わないでも分かっていることは成るべく云わないで済ませるようにし、英文の方は分かりきっていることでも尚一層分からせるようにしてゐます。
しかし原文も、必ずしも不鮮明なのではない。成る程「覚束ななるべし」と云うよりは「彼が最も好んだ社交界の総ての人々と別れること」と云った方がはっきりはしますけれども、都を遠く離れて行く源氏の君の悲しみは、此の人々と別れることばかりではない。そこにはいろいろの心細さ、淋しさ、遣る瀬なさが感ぜらるるでありませう。さればそれらの取り集めた心持を「古里覚束なかるべし」の一語に籠めたのでありまして、英文のように云ってしまっては、はっきりはしますけれどもそれだけの意味に限られて、浅いものになります。・・・全体かう云う場合の悲しみは、分析し出したら際限のないもので、自分にもその輪郭がはっきり突き止められないのが常であります。・・・西洋の書き方は、できるだけ意味を狭く限って行き、少しでも陰のあることを許さず、読者に想像の余地を残さない。われわれからみれば、「彼が最も好んだ社交界の云々」では極まり切ってしまって余情がなさ過ぎますけれども、彼等からみれば、「古里覚束なかるべし」では何のことか分からない、何故覚束ないのであるかその理由を明示しなければ、得心が行きません。
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谷崎が昭和十三年二月『中央公論』に寄せた『源氏物語の現代訳について』で述べた次の二点であろう。一つは「含みのある物の云い方」である。
私は、現代語に移すに当たって、出来るだけその色気を失わないやうに心を用いた。・・・さうするためには原文のあの曖昧さー間接な、むき出しではなく、幾様の意味にも取れるやうな含みのある物の云ひ方、-を、踏襲することが必要だった。
これはウェイリー訳への批判というよりも与謝野晶子訳への批判的感想と読めないこともない。・・・(晶子の)現代語訳もまさに男手であってきっぱりしている。晶子訳がきわめて直接的で原文の含意をあらわにした例は多い。前にも引いた六條御息所の生霊が葵上にとりついた前後の場面もその一例で、六條御息所は「あやしう、我にもあらぬ御心地を思し続くるに」と原文にある。それを晶子は思い切って「自分が失神したようにしていた幾日かのこのことを静かに考えてみると」と「失神」という漢語を用いて明確化した。それだから与謝野訳で読むと理解がしやすい。幾様の意味にも取れるところを今日的な一つの意味で固定するからだ。谷崎は、「何だか正気を失ったようにお感じになる折々もありましたが」と含みのある元の云い方を訳文にとどめた。六條御息所が失神してしまい、その間に彼女の魂が肉体から抜け出して葵上にとり憑きに行ったというのなら、話はそれだけ単純化される。ところが本人には意識はある、それでもなにか正気を失ったように感じるおりもある。その中途半端な状態の六條御息所なのであろう。そしてそのような曖昧な精神状態こそが疑心暗鬼をつのらせる所以であろう。
二つは「色気」である。『源氏物語』について外国人と話していて、色気もなにも一瞬に消え失せる時がある。それが『源氏物語』はレイプにつぐレイプの文学だ、という非難を真っ向から浴びる時である。(これは丸谷才一『輝く日の保』のヒロインが「『源氏物語』はレイプづくしだ」と笑いを含んでいう時とは語気が違う)。確かに源氏の空蝉や末摘花や朧月夜や紫上に対する振る舞いは無理無法といえないことはない。これは平安貴族の婚姻形態である妻問い婚とも無縁でない行動に相違ない。前にもふれたが、源氏は空蝉の家に入り込む。夫の伊予介の留守の間に、源氏は空蝉に無理強いに通じてしまった。しかしその空蝉にもどこか自分は源氏になびいたという気持ちもないわけではない。先夜ほのかに見た源氏の「御けはひありさまは、実になべてにやはと思ひいで聞こえぬにはあらねど」とある。「ほのかに拝んだおん面影は、本当にたぐい稀でしたので、お偲び申さないわけではありませんが」それでも夫ある身としてこれ以上交際を続けてはならない、と空蝉は自制する。そんな心理のたゆたいは強姦被害者の惨めな気持ちからほど遠い。そこへまた源氏が予告した上で空蝉の家に現れる。その時の女の気持ちは原文ではこうである。
女も、さる御消息ありけるに、思したばかりつらむほどは、浅くしも思ひなされねど、さりとて、うちとけ、 人げなきありさまを見えたてまつりても、あぢきなく、夢のやうにて過ぎにし嘆きを、またや加へむ、と思ひ乱れて、なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ、
円地文子は「帚木」の巻の終わり近くのこの節をこう訳している。
女もそういう趣のお文があったので、自分に逢おうばかりにさまざまに手を尽くして下さるお志は、浅くは思われないながらも、さればといって、心を許しすぎてみすぼらしい有様を残りなくお目にかけてしまうのも興ざめな味気なさのみ残って、過ぎ去ったあの夢とも現とも分かちかねるおぼろげな境の、この上なく美しくきらきらしい幻に、いよいよ嘆きの霧を深めてゆくことにもなろうかと思い乱れて、やはりこのままにお待ち申すことは面映ゆいのであった。
「夢のやうに過ぎにしなげき」は悪夢のような体験ではない。源氏の君と思いもかけず夢のような一夜を過ごしたが、しかし自分のような地方官に嫁いだ女がこれからさき源氏と末永く連れ添うことなどありえないから、その逢瀬のはかなさをいまさらのように感じている。それだからこそ美しい夢なのである。空蝉には自分はみすぼらしいという自覚が強すぎるほどある。それだけに今度源氏をお迎えすればそんな恥ずかしい姿が露見してしまうだろう、そうすれば嘆き悲しみをさらに重ねることになるだろう。それで源氏をお待ちすることを気恥ずかしく思い、空蝉は姿を隠すのである。
ところがこの箇所についてはこんな英訳もある。第二句の they は後に出てくる the urges を受ける。「気持」と訳すより「情欲」とでも訳すべきかもしれない。
The lady had been informed of the visit. She must admit that they seemed powerfull, the urges that forced him to such machinations. But if she were to receive him and display herself openly, what could she expect save the anguish of the other night, a repetition of that nightmare? No, the shame would be too much.
これは、夫の不在をいいことに権力者が一晩、無理強いに女と関係を結んだ。その男がいろいろ手をまわしてまたも女の家に訪ねに来るという恐怖の話である。この英訳では「夢のやうにて過ぎにしなげき」の夢は暴行された女性の夢魔と解された。しかしこの nightmare という読み方ははたして正しいだろうか。-これは実はサイデンステッカー訳である。
それに対してウェイリーはこの一節を次のように訳した。源氏がいろいろ手をまわして自分ゆえに空蝉のの家に来ると聞いて女心はやはりくすぐられるのである。
(In a message) Genji told her of his plan. She could not but feel flattered at the knowledge that it was on her account he had contrived this ingenious excuse for coming to the house.Yet she had, as we have seen, for some reason got it into her head that at a leisurely meeting she would not please him as she had done at that first fleeting and dreamlike encounter, and she dreaded adding a new sorrow to the burden of her thwarted and unhappy exsistence
サイデンステッカー訳を読んだ人が、『源氏物語』はレイプにつぐレイプの文学という感想を抱いたとしても無理はない。世の中には含みのある物の言い方を露骨な言い方に訳すというか言い直す人がいる。・・・
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「葵」の巻の終わり近くで、源氏は紫上と契りを結ぶが、少女の合意があったとはおよそいいかねる。翌朝、「御衾を引きやり給へば、(紫上は)汗におしひたして、額髪もいたうぬれ給へり」印象まことに強烈な光景である。・・・そんな「わかの御ありさま」をリアルに叙した紫式部の観察力に感心する。「わかの御ありさま」をウェイリーは her distress was due merely to extreme youth and inexperience と訳しているが、これならばレイプと訴えることも出来ないであろう。
『アーサー・ウェイリー『源氏物語の翻訳者』平川祐弘著 白水社