紫式部の手法
最後に紫式部の手法 the art of Murasaki とは何か。それについて対立する見方を紹介したい。紫式部が各細部を物語の中にどのように紡ぎこんだか、そしてどのような効果をあげたかというきわめて大切な手法について、英訳第一分冊ができた時、西洋の評家がそれを話題とせず鈍感にも沈黙していた。そのことにウェイリーは多少苛立ったらしい。もっとも日本の評家とても紫式部のその種の手法に対して鈍感という点では大同小異かもしれない。むしろネガティブな評価を下す人もいるくらいである。・・・
ところがその寺田透は紫式部による作中人物の登場のさせかたがまともでないと考える。寺田は『源氏物語一面』(東京大学出版会、1973年、167頁)で「構築性の問題」を取りあげて自分が『源氏物語』に覚えた違和感にふれる。
僕はこの物語を読むたびに、それぞれともかく重要な出来事乃至人物が、すでに過去のことあるいは過去をもつものとして、不意に現れることにいつも不思議の思ひをする。なかんづく重要なのは光源氏と藤壺女御の密通だろうが、それも、六條の御息所と光る源氏の恋愛も、空蝉との交渉も、朝顔宮(斎院)や筑紫の五節との交渉も、小説の始まったときは、すでに来歴のあることなのだ。・・・
六條の御息所はその後ながくわれわれの目に触れる主要人物のひとりだが、かの女でさえその最初の紹介され方は、「夕顔」の巻のはじめに「六條わたりの御忍びありきのころ」といふ簡単なもので、それがどんな女性を相手の恋愛なのか、そこでは誰にしたって嗅ぎつけることのできない、伏線とも言えない書き方である。
これは実は大正年間に和辻哲郎も指摘したところで、和辻は『日本精神史研究』に収められた『源氏物語について』では、
読者は、この「六條あたりの御忍び歩き」という一語で、それが「前坊の北の方」(なくなられた前の春宮の北の方、今は寡婦)であり、美しい娘の母君であり、また八歳年上であるところの、六條の御息所との情事を暗示すると悟り得るだろうか。
と同じ疑問を呈している。寺田はさらに続けて、
そればかりではなく、作者の筆はそこですぐ・・・よそにそれて行き、昔の乳母の病気見舞ひがこの巻の本筋なのかと思わせるのだが、それがまた(隣家の描写へ話がそれる)。
隣家では夕顔のことをあれこれ問い、歌を贈ったあとまた次の ような一節がある。
御先駆の松明ほのかににて、いと忍びて出で給ふ。半蔀はおろしてけり。間隙より見ゆる火の光、蛍よりけにほのかにあわれなり。御志のところには、木立前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに、心憎く住みなし給へり。
「御志のところ」これが六條御息所の住まいである。しかしこれだけでは読者にわからない。ウェイリーもこれだけでは話は通じるまいと思って註に Lady Rokujo's house とわざわざ記した。そのよく手入れの行き届いた庭のことが記され、ついで源氏と六條御息所の情事はこの上ない略筆描写だと寺田は指摘するが、その通りである。なお次の「うちとけぬ御有様」とは「用意ふかくけ高き人なり」と博文館本の頭註に出ている。風情も格別なので、さきほどの夕顔の家などもはや思い出すこともありえない。
うちとけぬ御有様などの気色異なるに、ありつる垣根、おもほし出でらるべくもあらずかし。
それで六條の邸で源氏は翌日寝過ごした。
翌朝少し寝過ごし給ひて、日さし出づる程に出で給ふ。
The sun was already up when he set out for home. とウェイリー訳にある。・・・
そのような寺田のいう構築性の欠如ゆえに『源氏物語』が英訳された時、これは小説であるよりも偶発的事件をリアリステックに並列して記述しただけの記録、回想録である、といった批評も出たらしい。それに対してウェイリーは第二分冊のイントラダクションの31頁で「まったく理解しがたい誤解である」と反論した・その際のウェイリーの反論の仕方がいかにも大英博物館東洋美術部門で勤務していた人らしくて興味深い。ウェイリーにいわせると、日本から西洋に巻物がはじめてもたらされた時も似たような印象を西洋人に与えたそうである。当初巻物は一連の物語ではなくて一連の地形的記録 topographical records が並べられただけのものと思われていた。物語が中に連続していることが西洋人にわからなかったというのである。ところがその巻物の技法こそ紫式部の物語の技法にきわめて近似しているとウェイリーは主張する。それrというのは紫式部は形とテンポ shape and tempo に対する感覚が抜群に優れているからで、彼女は作品全体をよく見通しているばかりか、各部においても始まり、中ほど、終わりの心得があり、その細部の一つ一つがそれぞれ独特の性格を持ち、それにふさわしいペースで進み、それにふさわしい密度があることを承知している。紫式部が巻の初めやエピソードの初めに極度に色彩豊かで抒情的記述の一節を入れることがあるとすれば、それはもちろん計算づくであって、それでもってその先に続く物語をその初めの記述で支配してしまおうという意図なのである。そしてウェイリーは寺田透とちょうど正反対のことを唱えた。すなわち紫式部ほど作中人物の登場のさせかたの巧みな作家は世界でも珍しい、というのである。
まず人物の存在が仄めかされる。われわれの好奇心が高まる。その人物を一瞥する機会が与えられる。そしてさまざまな遣り繰りがあった挙句。その人物の完全な登場が見られる。
・・・ではなぜ紫式部の作中人物の登場のさせ方が西洋作家のそれとかくまでも違うのか。簡単過ぎてなにかウェイリーの言い分が信じがたいほどだが、ウェイリーの説明はこうである。
西洋の近代の小説家はとかく登場人物をキャンバスの上に何ら下準備もなしに平気で投げ出し勝ちである。およそタクトがない。人物の登場に際して読者の側でその人物を評価し値踏みするかもしれない、とかその人物が読者の注意を惹き得るか否かわからない、などということは西洋作家の念頭にはないらしい。それというのもいまや西洋の読者層は小説に芸術の楽しみよりも知識の楽しみを求めるからである。そんな読者連中のために作家たちがスポイルされてしまったのだ。今日の世間の読者は自分たちがいままでよく知らなかった人間生活の断層が示されるならば、いかに拙劣に描かれていようともそんなことはお構いなしである。
リアリズムを唱道する文学をウェイリーが好まないことがこの一節でもわかる。それではリアリズム文学の作者でない紫式部がどのようにしてあのような「歴史的」と呼び得るほどの驚くべきリアリティを作中人物のあるものに与え、またある種の場面にあの驚くべき現実感を与え得たのか。ウェイリー自身は『源氏物語』の中で「並々ならぬリアリティ」を感じさせる場面として、夕顔の死、賀茂の祭の車争い、源氏の北山行き、葵の上の死の四つをあげ「一読すれば終生忘れることができない情景である」としている。
・・・『源氏物語』におけるリアリティの感覚ーこれは一連の事件が実際起こったとしてもおかしくない話だと読者に感じさせるあの迫真の感覚は、一体何に由来するのか。それはーとウェイリーは説明するーそれは西洋では絶滅してしまった種類の語りの才能に由来する。いいかえると、もっとも適切なことをもっとも効果的な順でいう紫式部の能力に由来する。これはいってしまえば単純きわまることだが、ここにこそ紫式部のアートの秘密の一半は存するのだ。・・・
『アーサー・ウェイリー『源氏物語の翻訳者』平川祐弘著 白水社