『詩経』のウェイリー解釈
なに着物七着無くはないさ
でも君のネグリジェ
気持ちよくて嬉しいや、
なに着物六着無くはないさ、
でも君のネグリジェ
気持ちよくて暖かいや
男は言葉たくみにこういって、また共寝したい、と女にほのめかす。これが四書五経として尊ばれた儒学の古典の『詩経』の一詩の新解釈である、といったら古風な漢学者はもとより、内外のチャイナ・スクールの中国文学研究者も、あるいは顔をそむけ、あるいは見て見ぬふりをするのではあるまいか。
ではなぜこのような『詩経』の一詩の平川新訳をあえて提示するのか。それは本書で話題とするアーサー・ウェイリーの英訳に触発されての試みなのである。その是非を問う『無衣』の詩の原詩はこうだ。第二次大戦後の日本の代表的な中国文学研究者の読みの例として集英社漢詩大系の高田真治の訓読とともに引用する。
豈曰無衣七兮 豈衣七つ無しと曰はんや
如子之衣 子の衣の安うして
安且吉兮 且つ吉なるに如かず
豈曰無衣六兮 豈衣六つ無しと曰はんや
不如子之衣 子の衣の安うして
安且燠兮 且つ燠なるに如かず
・・・
・・・中国の古代、候伯の衣服には七つの紋章があるのがきまりだった、というのである。漢詩大系本で高田真治も『毛伝』などの注を引き。「衣七 七着の衣」のことであるが、注には七章の衣 候伯の服とある」と不審を抱きつつも伝統的解釈に従い、七つの模様のある服と理解して、
わたしにも七章の衣がないわけではないが
そなたの衣の安らかで良いのには及ばない
わたしにも六章の衣がないわけではないが
そなたの衣の安らかで暖かいのには及ばない
という現代語訳を添えた。ではなぜ単純に七着の衣服とせず、七のすうじにこだわってかくもしち面倒くさい解釈をしたのか。それは『詩序』・『集伝』ともに、この詩を晋の武公のことを詠じたものとするからである。・・・
ウェイリーは1910年代、中国語を習い始めた初期段階で、先輩のシナ学者の業績に一応目を通した。『詩経』については長年香港で布教活動に従事し、オックスフォードの初代中国語教授となったジェイムズ・レッグの英訳(1871)を読んだ。クブルール(1835-?)の仏訳も読んだ。いずれも中国本国の学者の訓詁註釈を重んじている。後者は朱子解釈に忠実に従っている。だがそれでは古代の民謡が一向に民衆のフォークソングらしくない。 七の数字を侯伯の服の紋章の数と決めてかかる解釈が、牽強付会にみちていることは明かだ。「この詩が晋の武公の天子への公認、とりつけの工作だ」などという勘繰りは、いかにも中国的な政治主義的・道徳主義的な後代の見方が詩の解釈に先行した弊害であるに違いない。部外者であるウェイリーは自分はそんな伝統的解釈に拘泥されるつもりはなかった。
・・・
いまその中で最初にふれた『無衣』の詩を含む『詩経』の英訳にふれると、ウェイリーは1916年、私家版で Chinese Poems を出した時もすでに『詩経』の詩をいくつか訳した。1923年に An Introduction to the Study of Chinese Painting を出した時はさらに九歌を訳した。その時まではシナ学の先覚たちがつけた呼び方に従って『詩経』をまだ Odes と呼んでいたが、1937年『詩経』の全訳を出すに及んで The Book of Songs と英訳題名も改めた。『詩経』に集められたのはフォークソングである、という立場をタイトルにもはっきり示したかったからであろう。私は戦後その再版を手にしたとき、ウェイリー訳の新鮮さに息を呑んだ。『詩経』に実に多くの詩を感じた。なによりも日本の旧来の代表的中国文学者の読みと、詩の汲みとり方がまるで違うのに驚いた。『無衣』の詩も次のように英訳されていたからである。
'How can you say you have no bedclothes?
Why, you have seven!'
'But not like your bedclothes, so comfortable
and fine.'
'How can you say you have no bedclothes?
Why, you have six!'
'Yes, but not like your bedclothes, so com-
fortable and warm.'
この英詩を日本語に移すと次のようになる。
「なに、なにんも身にまとう夜具がないだと?
七組もおまえあるじゃないか」
「でも、あなたさまの夜具のような。気持ちのよい
素敵なのはありませんわ」
「なに、なにも身にまとう夜具がないだと?
六組もおまえあるじゃないか」
「はい、でもあなたさまの夜具のような、
気持ちのよい、暖かいのはありませんわ」
この詩では女は男に向かって、あなたの寝台で暖かく抱かれて寝たい、といっている。冒頭に揚げた「なに、着物七着無くはないさ、でも君のネグリジェ 気持ちよくて嬉しいや」はこの英訳を視野に入れて『無衣』の詩を現代風俗に合わせて訳し直し手みたのである。
・・・
きぬぎぬの別れ
従来の漢学者たちと同様。吉川幸次郎も「きものがないとはいいません」と訳した。すなわち古註や朱子の説明に従い、王室からその承認の使者が来た時、晋の武公の家臣たちが武公のために、その新しい地位にふさわしい大礼服の贈与をのぞんだのがこの詩だとした。先に高田訳を引いたので、今度は岩波書店『中国詩人選集』から吉川訳と説明を引く。
豈に衣の七なる無からんや
子の衣の
安やかにして且つ吉ろしきに如かず
いやこっちにも七つ紋付の用意がないとはいいません。しかしやっぱりあなたさまから頂戴するべべの方が、穏当で結構でございます。[何とかこんどの殿さまに、天子さまからの正式の下されものとして、新しい地位にふさわしい制服をさしあげて下さいよ。]
そして「衣七」とは、一人前の大名の大礼服は、もようの数その他すべて七つの数を用いる。毛伝に「侯伯の礼は七命、□服は七章」と補足説明した。吉川も七を模様の数と取っているから、吉川の口語訳の「七つ紋付」紋付七着ではなくて一着になる。
・・・
'How can you say you have no bedclothes?
Why you have seven!'
'But not like your bedclothes, so comfortable
and fine.'
英訳中「衣」を bedclothes に置換えたのはウェイリーが「衣」を「夜具」と受け取ったからではない。ベッドという言葉を入れることで共寝する男女という関係をはっきりさせたまでである。それは吉川幸次郎が伝統的解釈に則って日本語に訳す時「衣」を「紋付」に置換え話者が気にしている社会的身分の問題をはっきりさせようとしたのと同じ種類の骨法である。ウェイリーの新解釈に従って、今度は女言葉で当世風に訳すと『無衣』はこうなる。
あら、着物七枚ないことはなくてよ、
でもあなたのピジャマ
気持ちよくて嬉しいわ、
いえ、着物六枚ないことはなくてよ、
でもあなたのピジャマ
気持ちよくて暖かいわ。
日本でも昔から漢の古註や朱子の註に疑問を抱く人はいた。朱子自身も国風中に含まれる多くの恋愛詩を「淫奔者の詩」と汝ていたのだから。詩の正体はわかっていたに相違ない。しかし人間は時代のタブーに触れる作品を見て見ぬふりをするか、ついつい別様に解釈してしまうものである。
戦後日本では目加田誠が『新釈詩経』(岩波新書)で、とくに白川静が『詩経ー中国の古代歌謡』(中公新書1970)で旧来のこじつけ解釈に疑義を呈した。
この詩は一夜を共にした男女が、また再会を望んでいるという意味では後朝の歌である。ところで「後朝」は意に準じた当て字で本来は「衣衣」と書くべき由で、共寝した男女がそれぞれの衣を着て別れることからこの言葉は発しているという。しかし中には、相分かれる時、自分の衣を相手に贈って、愛情のあるあかしとする男女もいた。中にはそれを身にまとう人もいた。白川は『無衣』の詩もその種の贈答と解した。すなわち、
「衣はいくつか持っていますが、いただいた衣がとてもよろしゅうございます」と、贈られた衣をよろこぶ詩であることは一見して明らかである。衣は愛情のしるしであった。
そしてかってフランスのシナ学者がヴェトナムの歌謡などからの類推で中国の古代歌謡を説明しようとした。たとえば『万葉集』巻十四の3350の東歌、
筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも
は『無衣』と同じ詩境を歌って両者はいかにも似ていた。白川はさらに巻四の636、747を引いた。636は湯原王が女に贈った歌である。
わが衣形見に奉る敷栲の衣を離けず巻きてさ寝ませ
私の衣を形見としてお贈りしますから、どうか枕から遠ざけずに、身に巻いてお休みくださいませ、というのである。女の方から男に衣を贈ったこともあるらしい(巻四の747)。
吾妹子が形見の衣下に直に逢うまではわれ脱がめやも
・・・だがそれにしても白川説に先立つこと数十年、ウェイリーは『無衣』の詩は相愛の男女の詩である、と解釈した。それが邪なし、といわれた『詩経』の本来の詩境だったのだと思うのである。
『アーサー・ウェイリー 源氏物語の翻訳者』平川 祐弘著 白水社
著者のネグリジェの訳はいただけないが、文章(この場合は『無衣』という詩)の読み方によって、理解の仕方が全く違うものになることに驚いた。特に主語が明確にされていない時や、誰が誰に言っているのかなどはっきり書かれていないときに、読み方によって、まるで違ったものになる例として、引用した。いつか『詩経』を読んでみたいと思うようになった。(管理人)