単位は家
人権週間というものがあって、そこでときどき話をさせられることがある。たいていは自治体主催の集まりである。そんな週間があること自体、人権がいかにタテマエかを示している。この場合のタテマエとは、「言葉とその意味内容と思われるものだけがあるべきものとして存在していて、実体が不在である」ことを意味している。タテマエの裏はホンネだが、そのホンネがもともとない。だって、人権は輸入品なんだから。そもそも人権が世間の常識だったら、人権週間なんてものはない。憲法は個人を公の私的単位と規定したのだが、世間は慣習である。その慣習は、公の私的単位は家だということでやってきた。個人なんか関係ない。
このために混乱が生じた典型が、靖国問題であろう。首相が靖国に参拝すると、ジャーナリストが、
「公人としてですか、私人としてですか」
と聞く。
「個人です」
と答えるであろう。なぜなら、憲法はその「個人」に、思想・信教の自由を与えているからである。そのかわり公用車を使ってはいけないし、お賽銭は自腹を切る。参拝の名簿に日本国総理大臣なんて書かない。
「俺個人が靖国に参拝しようが、オウムに入ろうが、それは俺の勝手だろうが」
ということを憲法は許しているはずなのである。ところが、そんなこと、考えてないし、考えたこともない人が多い。あろうことか、公のために都合が悪いから、首相は参拝を我慢せよという論評まで出る。公のために都合がよかろうが悪かろうが、個人の思想・信教の自由を妨げてはいけない。妙な話に聞こえるかもしれないが、靖国に行かれては公が困るというのなら、むしろますます個人としての参拝を禁じてはいけない。それでなきゃ、信教の自由なんて憲法上の規定は、そもそも不要ではないか。もっとも首相だって、それがわかっているのかどうか、私は保障しない。
塀で堺する
世間の私の最小単位が家だということから、簡単に説明できることがいくつかある。日本ではそうとうにケチな家でも、たいてい塀がある。泥棒なら問題なく乗り越えられる塀が多いから、あれはなんだと、子どものころから疑問だった。外国に行くようになったら、この塀が探してもなかなかない。お手本の西洋では、場所にもよるが、たいてい家が裸で建っている。東南アジアで塀があると、実に立派な塀で、塀の上に鉄の針だのガラスの破片などを植え込んで、塀の中にはドーベルマンがいたりする。つまり家の主人はお金持ちなのである。
他方、日本の世間では、泥棒が入ったとしても、
「気の毒だからなにか置いていこう」
と思いそうなアバラ屋にも、それに見合った塀があったりする。つまりあの塀こそが、私的空間を世間から堺するものである。だからこそ「阿部一族」は塀のなかに籠城し、「公」と戦うことになる。さらには、
「男子ひとたび門を出ずれば、七人の敵あり」
ということになる。家のなかと同じように、フンドシ一丁で気を緩めているわけにはいかない。いったん「門を出れば」、公的空間だからである。
そう思えば、嫁姑とは何だったか、それもわかるであろう。ある私的規則を持った私的空間から、別の規則を持った、別な私的空間に移動する。それがお嫁さんである。新たに移った先は、自分が生まれ育ったのとは「別な私的空間」だから、当然規則が違ってしまう。それを教えるのが姑の役目だった。別に嫁さんをいじめるのが姑の本来の仕事だったわけじゃない。姑だって、さらに別の私的空間から、かってその家に来た人だった。突然、日常のルールが変わるということが、どういうことか、それがよくわかっている人だったのである。
そんなことが、シロタ女史にわかるわけがないでしょうが。このベアテ・シロタという人が、新憲法の民法に関わる部分の草案を書いたという。女史のご両親は軽井沢に戦前住んでいた「外人」だった。女史が年頃になってアメリカに留学している間に戦争になった。戦争が終わってみると、日本のことを知っている人はそうはいない。仮にいても、アメリカに比較したら、当時は生活程度のとてつもなく低かった日本に、喜んで来るアメリカ人はあまりいなかったはずである。だから日本を知っているということで、民政を担当する占領軍の一部として、大学を卒業したばかり、まだうら若い女史が日本に帰ってきたのである。小さいときから、日本の女性は無権利状態で、気の毒だと思っていたから、思い切って民法の基礎となる憲法の部分を徹底的に変えた。それがそのまま、いまのいままで続いているのである。
オバサンたちがそれでハッピーだから済んでいるようなものの、大学出たてのガイジンの女の子が書いた憲法を拳拳服膺していると、日本の女性は思っているのだろうか。べつにそれでも「正しいことは正しい」んだから、いいと思えば、それでよろしい。しかしそれなら、日本の社会を構成する最小の私的単位とはなにか、それくらいは自分で考えて欲しいものである。