死は無になることではない
およそ五年前、私は『私の遺書』(新潮文庫)という題のメッセージを書いた。私は五十二歳から二十年にわたって、いわゆる超常現象と呼ばれている現象を経験し、それによって得たことをこの世への私の遺言として遺したい、遺さねば、という気持ちだったのだ。
その経験で私が知ったことは、
- 一、死は無になることではない。
- 二、死後の世界はある。肉体は灰になっても人間の魂はありつづける。
- 三、あの世とこの世の間には、あの世に行ききれない未浄化の魂がうろうろしている。(仏教でいう「成仏出来ない」ということ)
- 四、この世の恨みつらみ、執着、未練などの情念や欲望を持ったまま死ぬと成仏できない。
- 五、こういうフ浮遊霊、悪霊は、同じ波動を持つ人に憑依し、その人の人格は損なわれる。
極めて大ざっぱにいうと、ざっとそういうことを二十年の辛酸によって私は学習したのである。
そうして改めて思ったことは、これはうかうか生きてはいられないぞ、ということだった。さんざんこの世で苦しい思いをして、やっと(というのもヘンだが)死んだと思ったら、へたをするとあの世へは入れずにこの世(三次元世界)とあの世(四次元世界)の間でうろうろさまよわなければならない。そうしてさまよっていると相性のいい(?)低い波動の持主がやってくる。シメタと思うかどうかはわからないが、波動が合うので引き寄せられようにとり憑いてしまう。とり憑かれた人は人格が変わってしまうので、まわりが驚いて霊能者に祓ってもらう。祓われた霊は仕方なく離れるが、離れてくれても、その人(憑かれていた人)の波動が低いままだと、また戻ってくる。
すると、「あの霊能力者は金ばっかりとって、何の役にも立たなかった」といって怒ることが多い。しかし怒るのは間違っている。その人が波動を上げようと努力しないでいるのが悪いのである。
未浄化霊や悪霊が憑依するのは、その人の波動が低いことが原因である。低い波動は同じ低さの波動と惹き合う。高い波動の持主に未浄化霊は憑依しない。波動が合わないので、憑依できないのだ。
『老兵の進軍ラッパ』佐藤愛子著 『人間の煩悩』
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公開日2021年10月28日