そのとき富楼那弥多羅尼子は、
釈尊の智慧の方便による宜しきに随う説法を聞き、また大弟子たちに
阿耨多羅三藐三菩提
の記を
授けたのを聞き、また過去世の因縁を聞き、俗を離れた心に歓びが湧き上がった。
座より起って釈尊の前に到り、頭面に足を礼して、さがって正面に座し、釈尊を仰ぎ見て、こう思った。
『世尊は実に素晴らしい。衆生の機根に応じて法を説き、人びとの執着を抜き取ってしまう。とても言葉では言い尽くせない。
世尊のみがわれわれの心の願いを見通しておられる』
そのとき釈尊は、諸々の僧たちに告げた。
『この富楼那弥多羅尼子は、何人のなかにあっても、常に最も優れた説法者であった。如来を除いては、説法において
富楼那に勝るものはいない。過去、九億九千万の諸仏の処において、富楼那は説法第一であった。
空の教えにも通暁し、明瞭に説き適確に語り、幾千万億の人びとを教化してきた。諸仏はみな、富楼那は真の声聞であると賞賛している。
また富楼那は過去七仏を通して説法第一であったし、
今もまた千の仏が現われる賢劫
の時にも、第一であるだろう。
また未来においても、無量の衆生を導いて、阿耨多羅三藐三菩提を起こさしめるだろう。富楼那は、限りない時を経て、
法明如来という名の仏になるであろう。
その仏は、ガンジス川の砂の数にも等しい三千大千世界を一仏国土とし、
国土は掌のように平坦で、山や谷はなく、地は七宝からなり、天の宮殿は虚空に浮かび、天子と人は自由に往来している。
その国に悪はなく、女人はおらず、人はみな化生
で生まれ、淫欲がないであろう。神通力を得て身体から光を放ち、
自由に飛ぶことができる。食は二食で、一つは法を喜ぶ食事、一つは瞑想を喜ぶ食事である。
幾千万億の菩薩や声聞たちは、よく法を教示し、修得している。その時代は宝明
といい、国は善浄という。
仏の寿命は無量の阿僧祇劫で、如来の教えは長く永く続くだろう」
そのとき、千二百の阿羅漢たちは、このように思った。
「素晴らしいことだ。声聞が仏になった。もし世尊がわれわれにも記を授けてくれたら、どんなにうれしいことだろう」
釈尊は弟子たちの思いを察し、摩訶迦葉に語った。
「迦葉よ、わたしはこの千二百の阿羅漢に、今ここで、阿耨多羅三藐三菩提の記を授けよう。この
阿若憍陳如は六十二千万億の諸仏を供養し、仏になるであろう。
その名声は十方にあまねく聞こえ、すべてのものから敬われるようになる。
名を普明如来という。仏の寿命は六万劫にわたり、
正法は寿命の倍つづき、像法もまたその倍つづくだろう。またここにいる五百人の阿羅漢たちは、
みな阿耨多羅三藐三菩提を得るだろう。みな同じく普明と号するだろう。迦葉よ、わたしの他の弟子たちにも伝えよ、
皆このようになるであろう」
そのとき五百の阿羅漢たちは、歓喜して座より立ち、釈尊を拝し、自責の念にかられて言った。
「世尊よ、われらはすでに阿羅漢果を得て、最終的な悟りに達していると思っていました。われらは無知なるがゆえに、
大きな間違いを犯していました。如来の智慧を得るべきところ、小智で満足していました。世尊よ、たとえば、ある人が親友の
家に行って、酔いすぎて寝込んでしまったとします。友は用があって出かけなければならなかったので、
何かの役に立つ時があるであろうと思って、寝込んでいる男の衣の裏側に、高価な宝玉を縫いつけてやりました。男はそれを知らずに
起き上がると、他国へ行ったが、そこで困窮して、衣食を得るにも事欠くようになったが、男は少しのもので満足していた。
後にその親友がたまたま男に会って、友の有様を知ると、こう言うでしょう。君はどうしてそんなに苦労しているのか、
困った時のためにと、君の衣の裏側に高価な宝玉を縫い付けておいたのに。あれは君にあげたものだ。それを知らずにいるとは。
それを売れば、何不足ない生活ができるだろう。
世尊よ、仏もまたこのようなものです。世尊が菩薩であったときに、われらに
一切智を説いてくれたにもかかわらず、
われらはそれを知らず忘れて、小智に甘んじていました。しかし、かの宝玉が無くならなかったように、一切智の願いは常にあって
失うことがなかったのです。世尊よ、今われらは阿耨多羅三藐三菩提の記を授かって、未曾有の歓喜にひたっています」
— 要約法華経 五百弟子受記品 第八 完 —
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