そのとき、釈尊は瞑想三昧からゆっくり立ち上がると、舎利弗
に語った。
「舎利弗よ、諸仏の智慧はかぎりなく深く、難解難入である。修行僧たちの理解できるものではない。なぜなら、如来は
無辺の昔から幾千万億の諸仏に仕えて修行し、未曾有の法を得たからである。これまで如来は、その意趣があまりに難解なので、
種々の方便をもって語り、衆生をもろもろの執着から脱離させてきた。如来のみが、諸法の実相を究め尽くし、如来のみが
語り理解できるのである。すなわち世の有様とその本質である。舎利弗よ、智慧第一と賞せられるお前のようなものたちが、たとえ
ガンジス河の砂のように数かぎりなく集まって求めたとしても、知ることができないであろう」
会衆のなかに、阿若憍陳如
ら千二百人の阿羅漢や、法を求める沢山の僧や在家者たちがいたが、
皆の心に疑念が生じた。
「世尊は、なぜ如来の得た法はかぎりなく深く、解り難いというのであろう。またなぜ方便で説いたというのであろう。
解脱は一つだと説いてきたではないか」舎利弗は皆の心を計り、自分も同じように疑問に感じたので、釈尊に問うた。
「世尊よ、いまだかって世尊からこのように聞いたことがありません。何ゆえに、この法はかぎりなく深く、理解すること難く、
そして方便を使って説いてきたと仰るのですか。教えてください」
釈尊は舎利弗に言う。
「やめなさい、舎利弗よ。説いてもなんになろう」
舎利弗は再び請い、釈尊は再び断る。しかし舎利弗はさらに請うたので、釈尊は三度目についに応じて語った。
「舎利弗よ、お前は三度にわたって懇願した。それでは話そう。よく聴きなさい、聴いて心に留めなさい」
釈尊がこのように語ったとき、会衆のなかの僧や在家者たち五千人が立ち上がって、釈尊に礼をするとその場から立ち去った。 釈尊は黙ったまま彼らが去るにまかせ、制止しようとはしなかった。枝葉は払われた、真実の法を求めるもののみが残った。
釈尊は舎利弗に語った。
「諸仏や如来がこの法を語るのは、三千年に一度だけ咲くという優曇華
の花のようなものだ。如来は一大事の因縁をもって世に出現するのである。
一大事の因縁とは、衆生に如来の知見を
表し、示し、悟らせ、そこに入らせることである。そのために如来は世に出現するのである。如来の法は、ただ一つの
仏の乗物すなわち
一仏乗であって、他に二つ目三つ目の乗物があるわけではない。過去の諸仏も、様々な方便で仏の知見を衆生に知らしめ悟らせて
きたのであるが、それもこの一仏乗のゆえである。未来の諸仏も、様々な方便で仏の知見を衆生に知らしめ悟らせるであろうが、
それも一仏乗のゆえである。現在の諸仏も世界中の国土で、種々の方便を使って、衆生に如来の知見を表し、示し、悟らせ、
そこに入らせようとしているが、これもまた一仏乗によるのである。第二第三の仏の乗物があるわけではない。舎利弗よ、
諸仏は五濁の世に現われるのである。そのようなとき衆生は、汚れは多く、善根は少なく、心は頑なである。
そのゆえに方便をもって衆生に説くのである。
舎利弗よ、幾多の僧たちが阿羅漢
を得たと思って阿耨多羅三藐三菩提
を求めないとすれば、大変な間違いである。また如来は、
誰にでも説くわけではない。真実の法を求めるものすなわち菩薩たちにのみこの法を説くのである。この法は会い難く、真実である。
他によることなく、如来の言葉を信じなさい」
釈尊はこのように語ると、重ねてこの意味を伝えようとして、詩句をもって唱えた。
頁をめくる 譬喩品第三
頁をもどす 序品第一