『パンセ』を読む

あとがき

『パンセ』(ブランシュヴィック版)の前半の章句からは多く引用したが、残念なことに、後半からはまったく引用できなかった。 前半あれほど生き生きと人間を活写したパスカルの精神は、後半キリスト教擁護の論陣を張る段になって、 急に動きがとまり、凡庸な文章の羅列になってしまった感じである。パスカルの後半の論調は、 キリスト教こそ真の宗教であることを示そうとするにある。私は、それは間違いである、パスカルの偏見 であると思っているので、読んでいてまったく感心するところがなかった。

キリスト教の弁明となると、基本的に社会的集団の活動である。前半は、人間はどんな存在であるかをパスカルの目で 見たことを書いている。これはパスカル個人の見方であり、個人的真実であるが、それは現代人にも充分訴える普遍性を持っていて 人々を感動させるのである。しかし社会的集団になると、それは一つの全体となり、個人の真実と相容れない面が必ず出てくる。 キリスト教は社会的存在であるし、そうなると多くの宗教的集団の一つの宗派となる。主義の異なる政党間の論争と同じことであり、 つまらないものになってしまうのである。そこでは個人の目で見た真実は全幅に発揮できないばかりか、 宗派の目的にあわせてゆがめられてしまう。個人の真はイコール集団の真とならない、その真実は別のものに変形してしまう。 イエスの言説が、キリスト教派となって、それぞれの人間の解釈が入り、組織の論理が出来上がり、真正に受け止められなくなったことと 同断であると思う。このようなことはパスカルは先刻承知であろうと思うのであるが、とにかくパスカルが『パンセ』を書いた目的は、 無信仰者を説得して、イエス・キリストと神に目覚めさせ、キリスト教の信仰に入らせることにあったのだから、キリスト教の弁明を 書かないわけにはいかなかったのである。

パスカルは、ジャンセニスムに傾倒していたことは周知の事実である。ジャンセニスムとは当時ポール・ロワイヤル修道院を拠点として、 アウグスチヌスの解釈の仕方をめぐって勃興した宗教運動である。人間は生まれながら、アダムによって犯された原罪を背負っており、 人間の自力による救済の無力さを説き、神の恩寵によらなければ救われないとする。『パンセ』を読むものは、この考え方がパスカルの 考え方にぴったりはまるので、パスカルがジャンセニスムに影響されたのか、パスカルの本来の考え方に呼応するように、タイミングよく ジャンセニスムの運動が出現したのか、分からなくなる。パスカルの妹はポール・ロワイヤル修道院に入り、パスカルもそこを一時生活の 場とし、熱心に修道院の規律に従って修養している。また神の恩寵がパスカルに降臨したことは、パスカルの回心として有名である。 1654年11月23日の夜、パスカル三十一歳のときである。このときの受けた感動をパスカルはメモし、胴衣の裏に縫いこんで、終生 肌身離さなかった。今日「覚え書」として残っているが、パスカルほど達意の文章を書く人のメモとしては、読んでもその感動の有様は 伝わってこない。なおジャンセニスムは、後にローマ法王庁から異端とされた。門外漢にはその理由が分からないが、おそらく神の直接の 恩寵による救いを強調することで、司祭の存在を軽んじたことにあるのではなかろうか。ところで神の恩寵は誰にでも来るわけではない。 選ばれた人にのみ訪れるのである。

パスカルが今どうしているのか気になるところである。死の間際に「神が決して私を捨てたまわないように」という最後の言葉を 残して、39歳の若さで亡くなった。パスカルはあの世を信じていたのであろうか。天の王国に昇天すると信じていたのであろうか。 神を信じるものは、永遠の命を得ると信じていたのであるが、それは実際にはどういうことだろうか。

公開日2008年3月16日