『パンセ』を読む

第ニ章 神なき人間の惨めさ

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健康のときには、もし病気になったらどういうふうにしてやっていけるのだろうと怪しむ。 病気になったらなったで、喜んで薬を飲む。病気がそうさせるのだ。人はもう、健康が与えていた もろもろの情念や、気ばらしとか散歩とかの欲望を持たなくなる。そういうものは病気のときの必要とは 両立しないものである。そのときには、自然が現状にふさわしい情念や欲望を与えてくれるのだ。 われわれを悩ます心配というのは、自然ではなく、われわれが自分自身に与える心配だけなのである。 なぜなら、その心配は、われわれの現に在る状態に、われわれの現にない状態の情念を結合させる からである。
——
自然は、あらゆる状態においてわれわれをいつも不幸にするので、われわれ願望は幸福な状態というものを われわれに描いてくれる。なぜなら、その願望は、われわれの現に在る状態に、われわれの現にない状態の快楽 を結合させるからである。そして、われわれがその快楽に到達したあかつきには、それだからといって 幸福になりはしないであろう。なぜなら、われわれはその新しい状態にふさわしい他の願望を持つ だろうからである。
この一般的命題を、個別化する必要がある・・・

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公開日2008年1月27日