檜の命
日本の文化のなかで木が占めるものも多いんと違いますか。『日本書紀』に「宮殿建築には檜を使え」ということが
書いてありますのや。杉と楠(は舟を造るように、槇(
は死体をおさめる棺にせよということも書いてありますな。
この時代、日本人はすでに檜の特性を知りつくしておったんですな。ですから法隆寺も薬師寺もみんな檜でできていますな。
ところが時代が下りまして檜が手に入らんようになると欅(を使い出す。欅がなくなると、
こんどは栂(を使う。
江戸時代はだいぶ栂を使っていますな。こうなると檜のよさがなくなり、長持ちせん建物になります。解体修理された跡にも
栂がありますが、やっぱり持ちませんからすぐに直さんといかんようになる。
法隆寺や薬師寺の建物は大陸から仏教と一緒に入ってきたものです。大陸には本当の意味での檜はありませんな。似たものは
ありますけど、本当の檜ではありません。檜は日本の特産です。それなのに、『日本書紀』に「宮殿には檜を使え」というている
ことは、そのころにはすでに檜を使うという経験を積んでいて、そのよさを十分に知っておったということですな。檜は品がよくて、
香りが高くて、長持ちするということを知っておったんでしょう。
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檜は長持ちするうえに大工にとって使いやすい木ですわ。鑿(も切れるし、
鉋(もよくきく。松なんかとは、
えらい違いや。手斧(ではつっても檜は木っ端がずっとめくれてきますな。松はねじけてるさかい、木っ端があっちいった
り、こっちいったりして危ないわ。欅(けやき)ももうひとつ使いにくいですな。しかし、この檜、ただ素直で柔らかく、使い
やすいというだけではおまへんで。
新しい材料のときは釘を打つにしても軽く打てますが、時間がたったら木が締まって抜けなくなりますな。五十年も
たたらもう抜けませんわ。下手にやったら釘の頭がびーんと飛んでしまいますな。檜はそれほど強い木でもありますのや。
そういうことを体験的によう知っていましたのやな。
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大きな伽藍を造るには大きな檜がいるんです。たとえば薬師寺の、現在再建している伽藍やったら、どうしても樹齢
二千年前後の檜が必要なんです。原木の直径が二メートル前後、長さが十五メートルから二十メートルの檜が必要なんですな。
そうすると、どうしても樹齢が二千年前後になりますな。木曾は日本の檜の名産地やけれども、ここには樹齢五百年ほど
のものしかありませんのや。それぐらいの木では伽藍造りには不向きなんです。長さが足りず太さが足りんのですわ。
今から二千年、二千五百年前といいましたら神代の時代でっせ。
こんな樹齢の檜は、現在では地球上には台湾にしかありませんのや。実際に台湾の樹齢二千年以上という檜の原始林に入って
みましたら、それは驚きまっせ。それほどの木が立ち並ぶ姿を目にしますと、檜でなく神々の立ち並ぶ姿そのものという感じがして、
思わず頭を下げてしまいますな。これは私だけやなしに檜の尊さを知っている人はみんなそうだと思います。檜の寿命は二千五百年
から三千年が限度ですが、杉やったらこれが一千年、松やったら五、六百年ぐらいですかな。
木の命には二つありますのや。一つは今話した木の命としての樹齢ですな、もう一つは木の用材として生かされて
からの耐用年数ですわな。
檜の耐用年数が長いということは法隆寺を例に取ればよくわかりまっしゃろ。法隆寺の創建は西暦六○七年ごろと思われますが、
六七○年に炎上し、再建されたのは私にはよくわかりませんが、少なくとも六九二年以前やと考えられます。ということは今から
千三百年前には建てられたということになりますな。
この建物を昭和十七(1942)年に五重塔の、二十年には金堂の解体修理を始めました。創建以来このときまで解体修理は
されておりませんのや。それぞれ十年ずつかけて修理したんですが、このときまで部分的な修理はありましたが、千三百年も
建物が持っているんですな。
これはすごいことでっせ。
それもただ建っているというんやないんでっせ。五重塔の軒をみたらわかりますけど、きちんと天に向かって一直線に
なっていますのや。千三百年たってその姿に乱れがないんです。おんぼろになって建っているというんやないんですからな。
しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが
戻ってきますし、鉋をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。これが檜の命の長さです。
こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。千年の木やったら少なくとも千年生きるように
せな、木に申し訳がたちませんわ。そのためには木をよくよく知らなならん。使い方も知らななりませんな
『木のいのち木のこころ』西岡常一著 1992年草思社 「木を長く生かす」から